2017/11/27

在院日数短縮への「対症療法と原因療法」

「統計学‥従属変数?因果関係?? で、対症療法との違い?って」

 統計学は因果関係を読み解く学問です。「統計学が最強の学問‥」といった本がベストセラーになっていて、経営学においても頻繁に活用されています。代表的なのは、「風が吹けば桶屋が儲かる」という言い伝えでしょうか。古典学的な解釈よりも俗説のほうが解りやすいのでそっちで説明すると、「風が吹く→ボヤが大火事になる(海山で遭難事故が増える)→多数の死者が出る→葬儀で棺桶が大量に必要になる→棺桶屋の売上が上がる」という一連の流れです。一見して無関係に見える事象同士(大風の風量と棺桶屋の売上)でも、巡り巡っていく因果関係の中にある、ということ。時には、あり得ないこじつけを批判する際に使ったりもします。

 さて、その統計学についてです。このときの「桶屋の売上」を従属変数(あるいは目的変数)、そして「大風の風量」を独立変数(同じく説明変数)と言います。ちなみに「変数」とは、文字通りその都度変わる数字であり、その数字を書き入れる計算式の箱です。解りやすく言うと、風の風量が2立米、3立米と上がって行くに連れて、棺桶屋の売上が2倍、3倍と増えていけば、この両者に因果関係があることになります。つまり、独立変数の風量が変化すれば、従属変数の売上が変化する。あくまでも風が先で売上が後。もっと例えて言うなら、牛乳をたくさん飲むと身長が伸びる、勉強をたくさんすると成績が伸びる‥。このときの牛乳摂取量や勉強時間を「独立変数(説明変数)」、身長や成績を「従属変数(目的変数)」というわけです。

 さぁ、掲題の在院日数についてです。日々、目にしないことはない「平均在院日数」。医療従事者の皆さんにしてみれば、恨めしい数字かもしれません。病床稼働率を上げるために、さらにはその回転率を上げるために、全ての患者の在院日数を短縮しなければならない。しかも、とりあえず他院に送る「爆弾回し」ではなく、在宅復帰を進めなければならない。医師の意向、患者や家族の希望などなどは一先ず置いといて、理事長や事務長などから「ベッドコントロール!在院日数を短縮し、在宅化を促進せよ!」と命令を受けた皆さんは、まず何をするでしょうか。「退院支援Nsを任命して対策に当たらせる」「担当者で集まって話し合い、チームを作り相互に連携して対策に取り組む」「スクリーニングシートを活用して患者情報を収集し、医師をはじめ全ての担当者で共有する」「チームメンバーを院外にも広げ、ケアマネジャーなど外部者との連携を密にして対応する」‥。キーワードは「1に連携、2に連携、3~4で(情報)共有、5に連携」です。
 しかしながら、頑張っている皆さんを前に難癖付けるのは極めて心苦しいのですが、これら全て「対症療法」に終始しているように見えて、常々から色々とうずうずしてしまう今日この頃です。

 そこで、もう一度、統計学の「従属変数と独立変数」に戻ってみましょう。やっぱり必要なのは、対症療法ではなく「原因療法」ではないでしょうか。連携と情報共有で問題に対応するのは重要ですが、そもそも「何で在院日数が減らないのか」「何で在宅療養が伸びないのか」の根っこにある原因は何か。ここをスルーして「連携!共有!」はNGです。さらに、その原因の程度を表す数値はないのか。在院日数を従属変数(つまり先の例えで言うところの身長や成績)とすれば、それと因果関係にある独立変数(同じく牛乳や勉強)が必ずあるはずです。「何が増えると在院日数が伸びる」「何が減ると在宅療養が伸びない」、さらにもっと進めて、その独立変数の数字の動きをモニタリング出来ないのか。風が何立米を超えて吹くと、ボヤは大火事に発展し、多数の死者が出る。それなら、その風は、どういうメカニズムで吹くのか。どんな環境で、強くなるのか。その対策には何をどうすれば良いのか。その対策を施して、住民に安心してもらうには何をどうすれば良いのか‥。とにかく原因を特定し、それを数値化(独立変数と)してモニタリングし、因果関係の向きを捉えてその対策を考え、その先にある問題の「在院日数」の変化を分析する。こんな、従属と独立の双方の変数を追いつつ行う原因療法的な対策こそ、病院経営改革に不可欠な考え方ではないかと思うのです。

 またまた例によって、経営指導先の病院のスタッフの皆さんに、そんな独立変数を「あーだこーだ」考えて頂きました。
 「それならまずは誤嚥性肺炎。最初に何より発熱とCRPの値、次に患者ADLと嚥下評価の摂食状況レベルの数字。これら独立変数?の数字を適当に解釈して安易に食事始めちゃうと喉ゴロゴロ、咽せてゲホゲホ、痰の吸引ゴボゴボとなって、在院日数は確実に伸びる。食事の際の水分量が重要。ゼリーやトロミ剤の濃さ、キザミ食材との組み合わせとか粘度のスケールに落として食事開始のスタートラインを決め、そこからの担当プライマリNsの患者状態チェック回数を独立変数に、そんで従属変数の在院日数との関連を追って行ったら因果関係出る??」
 「誤嚥性肺炎の患者なら退院後、在宅療養になって、決められたクスリ飲まなかったり、指示されたトロミ剤使わなかったりすると、徐々に状態悪化して熱発で救急車呼んで再入院しちゃう。これじゃ在宅療養は全然伸びない。だからこの辺り、独居なら訪問看護のNsやヘルパーさんに残薬数(クスリ摂取率)とかトロミ剤スティック使用数とかチェックしてもらって、それ系のデータを独立変数にずっとモニタリングして、ヤバい!ってなったら介入するってのアリ??、だよねー」
 「そもそもなんだけど、在宅療養時のデイ(サービス)とか介護サービスの充実度みたいなの、あとは予定はしてたけどめんどくさいから結局行ってないとか系の出席率とか、こういうの変数?として追っかけていくと、かなりリスク減るよね。そうそう、透析の患者さんなんかだと、とにかく体重の変化と塩分摂取量だよね。ラーメン食べたりしたの?ダメです!なんて怒っちゃうとウソつくから、何食べたのかとか怒らずフォローして、それらを変数に設定してずっと数値追っかけて、成績上がりましたねーなんて褒めて患者教育すると、在宅療養伸ばせるかもねー」。

 私が帰った後も、Nsの皆さん「結構おもしろいね!」とか相互に言いつつ、こんな議論が延々と(指導終了後もナースステーションで)続いたとのこと。何より何より、良い傾向です。

2017/11/12

「介護」技能実習制度の行方

「やっと受入開始ですね! 経営者はみんな喜んでいます」

 2017年11月、新しい外国人技能実習制度が始まって、外国人の在留資格「技能実習」の対象職種に「介護」が加わりました。特養などの介護施設はもとより、病院においても看護助手の担当分野で受け入れを進めようとする動きが進んでいます。なお、訪看などの移動を伴いつつ一人で行う分野については、言語や文化に不慣れな外国人にはリスクが伴うことから、その対象から外されています。
 少子高齢化で利用者や患者は急増する一方、人手は集まらない。世界トップクラスの財政赤字で、報酬のプラス改定など望むべくもない。他方、医師や看護師など専門職の流動化はさらに進み、こちらの賃金は上がり続けて人件費も嵩み、その他の職種(介護系など)の賃金を上げる余裕などない。「外国人技能実習生の受け入れ解禁は、平成30年同時マイナス改定のバーター」なんて、医療介護関係者の「見立て」もチラホラ聞く昨今です。

 この業界の皆さんには目新しい制度かもしれませんが、「技能実習生」はわれわれ企業経営関係者にとっては古くて新しい制度です。もう50年以上も前、1960年代に日韓国交正常化がなされ、日本企業が韓国に大量進出するとともに韓国からたくさんの「研修生」が来日し、アパレルや電子部品の工場で日本企業の技術を働きながら学んでいました。その後ほぼ30年前、1990年代に入って超円高と中国の改革開放とともに日本企業が中国に大量進出し、同様に中国からたくさんの研修生が来日しました。当時の日本はバブル経済の人手不足下にあり、外国人不法就労問題がマスコミで話題になっていたこともあって、研修生の企業受け入れを職種限定的に認め、中小企業が事業協同組合を設立して協同で研修生を監理する「外国人研修制度」が生まれました。不法就労の代替労働力として、職域を限定しつつ組合経由で間接的に在留を監理する外国人受け入れ制度、これが現在の「技能実習制度」の前身です。

 バブル時代から現在に至るまで、研修ではなく、外国人単純労働者の解禁を求める議論が盛んに展開されて来ていました。「国際化」は現代のキーワードの一つでもあります。外国人の受け入れは政府の専権事項、つまり政治が決定することなのですが結局、「労働者」の受け入れ自由化には至っていません。現在のような難民受け入れに伴う治安悪化を心配する意見のほか、好況の時は良いが不況時には日本人労働者が職を奪われると危惧する意見、外国人の社会福祉や子弟の教育に多大な予算が必要になるという「社会的コスト」を踏まえた否定的意見(ただでさえ福祉予算が厳しいのに)などが根強かったためです。それゆえ、その中で生まれた研修生受け入れ制度は「帰国前提の外国人材育成で技術の国際移転を行う国際貢献制度」とすることが強調されてきました。とはいえ、人手不足対策兼不法就労者代替制度という現場の認識は否めず、研修生の受け入れは「建前は国際貢献だが、実質は労働力受け入れのグレーで曖昧な制度」と揶揄され続けてきたわけです。

 2000年代に入り、日本経済においては長期に渡る不況が続いていました。いわゆる「失われた20年」です。デフレが蔓延し、非正規社員が増え雇用が不安定化して、賃金はどんどん下がり続けました。企業はこぞって人事のリストラを進め、賃金の引き下げを狙って動いたのですが、そのとき狙い撃ちされたのが「研修生」です。研修は労働ではない、つまり最低賃金や時間外割増賃金などを定める労働法は適用されない。日本人労働者は労働法や労働組合に守られるが、外国人研修生はそうした存在ではない。いつの時代も不況期には弱者にしわ寄せがいくのですが、それらを研修生が集め、「時給300円の“研修生”という名の労働者」が社会問題となりました。さらに、こうした悪評は海を渡り、アメリカの国務省(日本の外務省に相当)が「日本の研修生受け入れ制度は、違法な低賃金労働者を国際的に手配する人身売買制度に等しい」と日本政府を名指しで非難したほどです。

 こうして2009年、リーマンショック不況が蔓延するなか、外国人研修制度を引き継ぐかたちで生まれたのが「技能実習制度」です。制度改正のポイントは、「労働者ではない(だから労働法は適用されない)研修生」に労働法を適用し、人権問題を解決し、待遇改善を図ることです。在留資格が新たに設置され、「技能実習」というある種の就労ビザを発給し雇用認定することで、労働法が適用されるようになりました。しかし就労とはいえ、昨今の欧州などでな難民受け入れに伴う治安悪化テロ問題などもあって、やはり移民や外国人労働者受け入れ自由化には至りませんでした。「人づくりと帰国担保による国際貢献制度」という看板は維持されたわけです。労働法が適用されることで労働基準監督署が動き、悪質な受け入れ事例はその都度摘発されるようにはなったのですが、送り出し国から中小企業の事業協同組合(制度上では「監理団体」と言います)の仲介を経て斡旋されていく仕組みはそのまま、最低賃金は守られるようにはなったものの、肝腎の「人づくり」のところがほとんどなおざりになっていた。こうした状態を打開すべく検討されてきたのが今回2017年の制度改革、なのです。

 「介護」を含む新制度では、厚生労働省職業能力開発局(「人づくり」の所管部局)と法務省入国管理局(外国人受け入れの所管部局)などがリードして、新たに「外国人技能実習機構」が設置されました。この機構は、外国人技能実習生を受け入れる中小企業の事業協同組合に「事業許可」を出す役所です。もちろんこの機関の目的は、外国人技能実習生を受け入れる企業の労働法遵守の徹底を図るとともに、「人づくり」の効果的な取り組みと実際の成果がしっかり出ているかどうかを厳密にチェックすること。これまでの日本の入国管理と監理団体の審査は、地方外局のチェックが緩いところや厳しいところと様々だったのですが、これも厳格な審査を全国統一で行う。人権と労働法と職業訓練(人づくり)と国際貢献(帰国後の成果)を徹底的にチェックする。新たな機構の担当者の「もうグレーで曖昧な、いい加減な制度だなんて、絶対に言わせない!」という決意と意気込みを肌で感じる、そんな制度になっています。

 病院や施設の「介護の外国人技能実習生」受け入れは、こうした制度的チェックを経て実現するものです。「確か、何か新制度が出来たんだよね。ウチも外国人入れられるんだよね。先週そんな電話の営業があったんで、その営業マンに今度会ってみるんだよ。いろいろ手続きが面倒だけど、その辺は斡旋会社が何とかしてくれるらしい。協同監理で複数の施設がまとまって受け入れるんだから心強いよね。外国人がたくさん入ると人件費も抑えられて、来年度の決算は今よりちょっとラクになるかな‥」
 こんな感じの経営者が、「許可」が降りずにがっかりする、あるいは許可が下りて受け入れたは良いものの、その後の学校並みのチェックに辟易する‥。もし、何か問題が起きて世論が騒ぎ、政府が外国人受け入れを絞ろうと思ったら、「人づくり」体制のハードルを上げチェックを厳格にすればいい‥。
 そんな「行方」を思い浮かべるのは、私だけでしょうか。

2017/11/11

医療従事者の「モチベーション」を高めていくもの

「手当や給料でナースを働かせようとしても、ムダですよ」

 とある病院の研修で病棟師長さんに、こう言われてしまいました。退院支援促進のための新たなプログラムを開始するに当たり、「参加者に手当を出しては?」と提案してみた時のことです。彼女曰く、「ナースを動かすには、まずビジョン、そして意味と意義。ナイチンゲールの精神を尊ぶ人たちです。最初におカネの話なんかしたら下に見られて、先生の言うことなんて聞いてくれませんよ」。うーん、そうなのか‥と思い、インターネットで「看護師_モチベーション_論文」と入れて検索してみました。貴重な研究論文がたくさんヒットしたのでいくつか読んでみたのですが、誤解を恐れず率直な印象を申し上げると、「人並み外れて」いて「数字が多く難しい」。医療従事者のモチベーションは「モラル」「有能感」「達成感」等によって維持される、それらは「因子分析(斜行回転)」「測定尺度」「線型モデル」「重回帰分析(t検定)」によって支持される、そしてアメリカでは、EUでは‥。

 論文の中には、理論モデルが示されていたりします。それらを読み解いていくと、まず医療従事者のモチベーションを引き上げるもの(因子)があり、個人的には「教育的背景(出身学校)」「専門領域」「経験年数」「所属組織における職位」「学会や研修など教育機会への参加」「仕事のやりがい」等で、組織的には「所属組織の社会的地位」「理念や目標など組織の方針」「教育機会の提供」「臨床能力評価」「目標管理」「チームワーク内での返報性(恩返し的なもの)」等々。これらが医療従事者を動機付け、やる気を引き出す(確かに!)。一方、モチベーションを引き下げるものがあって、誰もが知る大小様々な「ストレス」。医療とは究極のサービス労働なのですが周知の通り少子高齢化で職場がどんどん過酷になっているため、「患者・利用者・家族からのストレス」「上司・同僚・部下からのストレス」「仕事内容に起因するストレス」「労働時間に起因するストレス」「法令遵守や管理責任に起因するストレス」等々、モチベーションの引き下げ要因は枚挙にいとまがない(そうでしょうね‥)。冒頭の病棟師長が仰る通り確かに、モチベーション因子(要因)に「おカネ(給料や手当)」が入る余地は少ないのかもしれません。

 要因の項目がたくさんありすぎて、それでいて統計的手法が多用され、論文は夥しい数の数字で溢れていたので、私の頭の中が少々混乱した。そこで、経営学の基本に立ち返って整理してみたくなった、というのが今回のエントリです。

 医療従事者界隈で何かと問題になる「モチベーション」ですが、経営学部の人的資源管理論では「モチベーションとインセンティブ」のセットで講義します。すなわち「動機付け(モチベーション)と誘因(インセンティブ)」でセット。簡単に言うと、前者は「やる気」、後者は「それを刺激するもの」。もっと簡単に例えると、「人参(インセンティブ)」を垂らして「馬の鼻息(モチベーション)」駆り立てるパターンの、この「鼻息と人参」でセット。そして「この2点セット」を理解し活用する上で欠かせない枠組みがあり、それが、この2つは①「金銭的」、②「社会的」、③「自己実現」の発展段階的3局面でそれぞれ相対する概念となる、というものです。

 まず①、人間には「生活のために稼ぎたい」という金銭的なモチベーションがあり、それに向けて工夫するのが金銭的インセンティブとなります。冒頭の病棟師長は「ウチのナースに金銭的インセンティブは効かない」と言っていましたが、これが効くスタッフ層(群)は必ず存在する。「夫がリストラされた」「子どもが私立中学に合格した」「マンションの修繕積立金が値上がりした」など、おカネが必要な人たちのモチベーションを刺激するのは、手当(時間外、役職)であり昇給なのです。しかし、これらのインセンティブは客観的で分かりやすいものの、ある一定レベルを超えると効果が薄れる傾向がある(年収300万円の人に100万円昇給するのは非常に効果的だが、年収1000万円の人に同じ額昇給してもそれほどの効果はない)。つまり、現在の看護師は賃金がある程度高いので、金銭的モチベーションが低く金銭的インセンティブが効きにくい、という仮説が成り立ちます。逆に言えば、年収が低い年齢層や、子どもがいるなど生活費が増えつつある世代には、普遍的に金銭的インセンティブが効く、ということです。

 次に②、人間には「同じ価値観を持つ集団に所属し、構成員として認められたい」という社会的なモチベーションがあります。皆さん良くご存じの、マズロー欲求5段階説の3番目です。医療従事者のモチベーション論文には、この社会的モチベーションに関する因子がたくさん取り上げられていたように思いました。医療従事者には、同じ思いを共有する組織の中で自らメンバーシップを発揮しようとする強い社会的モチベーションがあり、この情熱的で献身的な人となりが、スタッフそれぞれの出自、専攻、地位、権限、役割、扱い、評価、尊厳など社会的インセンティブによって刺激される。スタッフが定着し、良い医療を効率的に行う組織には必ず「面倒見の良いチーム」が存在し、個人はそのチーム集団に所属することでもたらされる利益を享受しながら、その集団内での評価、地位、権限を得ようと、集団内での自らの役割を出来うる限り果たそうとする。すなわち「役割」達成という社会的モチベーションが、集団における「評価、地位、権限」という社会的インセンティブによって刺激されていくわけです。

 そして③、人間には「自分はこうありたいという理想に向け、限りなく成長し続けたい」という自己実現的なモチベーションがあります。そうした人間の損得勘定を超えた究極的な自己実現モチベーションを刺激するものこそ、「憧れの先輩」のような「理想像」「先行モデル」、つまり自己実現インセンティブです。これらは最も高い次元に位置する「セット」となります。金銭的インセンティブが余り効かないレベルの高所得を得て、社会的インセンティブを刺激され最良のチームのポジションも得られたのなら、あと残されているのは自己実現インセンティブだけ。しかしながら自分の理想を完璧に体現できている人間など身近な周囲には、そうそういない。だから、その理想を文字にして壁に貼っておく。それが、組織が掲げる「理念」「ビジョン」「目標」なのだと思います。

 あなたの病院が掲げている「理念」は、あなたの高次元のモチベーションを日々刺激し続けるインセンティブに‥なっていますか?

2017/11/09

介護報酬マイナス改定を「国民目線」で考える

「この現状でマイナス改定なんて、政府は何を考えてんですかね!」

 周知の通り来年の平成30年度は、「6年に一度」の診療報酬と介護報酬ダブル改定です(診療報酬は2年ごと、介護報酬は3年ごとなので、6年ごとにダブル)。介護については、2年前から政府内で検討が始まっている「第7期介護保険事業計画」のスタート年度でもあります。同計画では、保険者(国民から介護保険料の納付を受けている団体組織=地方自治体)主導の制度改革と、ケアマネジャーなど地域の関係者が集って知恵をひねり続ける「介護予防」(地域包括ケアの予防的実践)が謳われています。さらに保険単位が市町村から都道府県に広がる、つまり保険者が市町村から都道府県へと移行します。市町村のような小規模保険者だと財政が不安定になるし(「小さな保険会社の保険に加入するより全国レベルの大企業のほうが安心」というビジネス原理と同じ)、小さな役所だと職員も少なく事務が大変だし(大会社で一括処理したほうが低コスト)、市町村単位だと良いところと悪いところの格差が出るし(企業城下町になっている市町村は良いが、その他の過疎地は目も当てられないマーケット問題)、といった具合なのですから経済合理性で考えれば必然の流れだと思います。

 来年度のダブルどころかトリプルの環境変化に対し、特別養護老人ホームの経営者など介護サービスの事業者は必死に今後の経営戦略を検討しているはずです。事業者にとって「介護報酬はサービス単価」に他なりません。これは、タクシーの「初乗り料金+一律のメーター運賃」と同じです。少子高齢化で、人手は集まらないのにも関わらず、入所希望者はどんどん増える。こんな状態で単価が下がってしまったら、収入減と職場のブラック化は必至です。減収が人件費負担にガツンと来て、賃金引き上げなど不可能、よって人材が集まるわけもなく悪循環。他方、保険者が大きくなるのは良いことばかりではない。しかも政府は、その「保険者主導のリーダーシップ強化」を国の計画として謳っているのです。民間保険の領域が広いアメリカなどでは、病院などの事業者より巨大な保険会社(米の保険者)のほうが立場も権限も強力で、「こんな適当なサービスじゃぁ支払いなんかできねーよ」なんて事業者たる現場の医療従事者は効率化とコストダウンを強いられるばかり。まさに、下請工場が親会社にイジメられるような構図が固定化するかもしれません。

 現在の状況は、事業者にとってかなり厳しい。そこで冒頭のセリフが出てきます。単価を下げられたら困る(介護報酬マイナス改定が続いたら困る)。効率化やコストダウンを迫られたら困る(保険者主導が行き過ぎたら困る)。だから社会に、とりあえずはマスコミにアピールしなければなりません。単価つまり介護報酬が引き下げられたら、介護施設の現場は崩壊する。高齢者(国民)は入所できなくなる(現状でも、入居待ち人数が凄く多いのに)。施設で働く労働者(こちらも国民)は、いつまでたっても処遇が改善されない(現状でも、かなりブラックな職場なのに)。実際、マスコミで展開される取材記事や論調は、こうした「事業者目線」のものが多くなっています。そしてわれわれ国民はそれらを読んで、「少子高齢化で大変なのだから、介護サービス事業者の単価は上げてやったら良いのでは?(それをマイナスなんて‥)」と、内心感じているのではないかと思います。

 経営学者は「事業者目線」を大事にしなければならないのですが、私も国民の一人ですし、介護保険制度自体が国民のためのものなので、ここは「国民目線」で書かせて頂きます。

 まずは、介護保険料についてです。「単価」はさておき、今後の日本においては「サービス供給量」が大問題です。団塊世代の後期高齢者化が控えている訳ですから、必然的に供給は増える。つまりサービス利用者が確実に増える。すると、その分が事業者から保険者に請求されてくる。支払いが増えカネが出て行けば、保険者はカネを確保するため保険料を引き上げるしかない。結果、われわれ国民が納付する介護保険料は増えていく。こうなると先の、「大変だから事業者の単価上げてやったら良いのでは」なんて国民の気遣いはどこかへ飛んで行くでしょう。自分の出費が増えるとなれば一大事、とりわけ「年金受給が少ない高齢層の国民」が納付する介護保険料問題がシビアです。保険料が上がって不満を募らせる国民が出てくる前に、その対策を打たなければならない。最も確実な対策は単価切り下げ、すなわち介護報酬のマイナス改定です。明確な事実は、「単価削減というマイナス改定は、介護サービス利用者のお財布にやさしい」と言うこと。これは「介護サービスの値段が下がる=国民の自己負担が減る」ことを意味します

 そして、介護職員の昇給問題についてです。前々々回の平成21年度改定の時(麻生内閣時代)、既に介護職場のブラック化は社会問題になっていて、現場の労働者の賃金を上げるべく介護報酬はプラス改定を実施しています。少なくとも「政府目線」ではそうです。それで、結果はどうだったか。そのプラス分は、現場職員の昇給にはほとんどつながって行かなかった。医者や看護師が病院に対して持つバーゲニングパワー(交渉力)と比べ、介護労働者が施設に対して持つそれは、力不足が否めなかったのでしょう。働き方改革と賃金アップによるデフレ対策を目指す安倍内閣は、そこに切り込んだ。こうして前回の平成27年改定では、介護報酬をマイナス改定として単価を絞りつつ、新たに「介護職員処遇改善加算」を設け、介護報酬を介護労働者の賃金増に紐付ける工夫がなされています。「われわれの施設では、現場の職員の賃金をこれだけ上げる」という計画を出させ、それが実行されて初めて加算が下りるシステムです。昨年度にこの加算を申請、受給した全ての法人は、この夏に実績報告書を提出しているはずです。介護現場で働く「国民目線」で評価される施策になっていると思います。

 「国民目線」で介護保険サービスの「未来(2025年の供給増問題)と過去(報酬の労働分配問題)」を考えると、今度の「介護報酬改定」はかなり厳しくなるのでは?と予想せざるを得ません。

2017/11/02

クリニカルパスとクリティカルパスは「似て非なるもの」

「クリカルもクリティカルも、同じものだって教わりました」

 この「パス」は英語の“Path”で「バイパス手術」のパス、「通り道」のことです。「通行証」などを意味する“Pass”ではありません。つまり医療で言うパス(Path)は、通り道すなわち「経路、ルート」を意味します。したがってクリカルパスのそのまま直訳は「臨床の経路」です。皆さんが普段使っているパスには、投薬治療や検査や食事開始などのスケジュールが並び、入院診療の「経路、ルート」が明示されているので、これこそ文字通りの「クリカルパス」です。一方、クリティカルパスの直訳は「最も重要な経路」です。一番大事な、精力を一番注がなければならないルートのみが「クリティカル」なのであって、そのパスにさほど重要でないものが混ざっていてはいけません。真っ直ぐな医療従事者の「パスに記載された活動は全て重要。医療に重要でないものなど一切存在しません!(だからこれはクリティカルパスです!)」という言い分も有り得ると思いますが、少なくとも経営学が組織や活動の効率化を目指す実践的な学問であるとすれば、「現場タスクの優先順位も付けられないようでは、経営なんて土台無理でしょ!」。こうなると医学と経営学は喧嘩別れです。

 先のエントリ(こちら)で、誤嚥性肺炎にかかる入院治療の一連の活動タスクをチーム医療の協働ネットワークとして作図し、パスのモデルを提示しました。指導先の病院のスタッフの皆さんに「あーだこーだ」と臨床現場の活動の流れを振り返ってもらって、理想的な順序を考え、さらにそれぞれに要する標準時間を例示して頂きました。こうして出来上がったのが、この病院の「誤嚥性肺炎アローダイアグラム基本モデル」です(以下図)。ちなみに「アローダイアグラム」とは、通常のパスで言うところの、治療の順序が並んだ表のセル(一つ一つの欄)を矢印(アロー)で表現した作図(ダイアグラム)のことで、経営学のプロジェクトマネジメント論では「PERT(パート)図」として必ず勉強する専門知識でもあります。

 図に従って、この病院の誤嚥性肺炎入院治療のパス(経路)をおさらいしてみましょう。図に沢山あるマル印の中には、診療活動の節目となる内容が記入されています(先のエントリの「イベント」)。まずは「入院①」。ここから治療が始まり、投薬で「解熱③」を目指します。これに要する標準時間が7日ということなので、①→③の矢印(アロー)の上に(7)と記入します。同時に入院から直ぐ、患者や家族の現状に関する情報収集やアセスメントが始まり、その担当看護師などが「情報②」を目指します。この①→②に要する時間が3日。よって、①→②のアロー上に(3)。さらに、患者の解熱を受けて嚥下評価が始まり、これに2日。同じく③→④のアロー上には、(2)と記入します。

 こうして嚥下「評価④」が固まると、ここからは医療チームが4つに分かれ、各担当者の活動がそれぞれ同時に動き出します。退院先の目安を情報チームと共有し(「出先⑤」へは情報共有するだけなので作業時間なし。作業時間がない場合は点線矢印で示して、時間は(0)と記入)、キザミ食やトロミ食など介護時の「食事⑥」と「喀痰⑦」の見極めはそれぞれ3日で行えるが、家族の意向や施設など退院先(出先)の受け入れ能力の見極めや指導は少々時間が掛かり、退院「調整⑧」までの④→⑧は4日。最後は、喀痰と食事と(退院)調整の進捗を互いに情報共有して足並みを揃え(⑥~⑧のタイミングを揃える)、めでたく「退院⑨」へ。各ルートからは、それぞれ1日ずつ。最後の⑨のマルの上にある(14)という数字は、以上の標準時間を全部足し上げた入院期間の計14日を表しています。もちろん、全てのケースが14日で収まるわけではなく、最終的に退院が伸びたら伸びたで「どのアローが伸びてしまったのか?」について後ほど振り返りをしなければなりません。これこそが「バリアンス」分析の中心となり、それへの個別具体的な対策が各アロー(活動)における今後のタスク設計の変更点となっていく。アローが伸びるバリアンスは、①→③の治療経路以外にもたくさん存在します。治療プロトコル(パス)のバリアンスばかり分析しても、在院日数は縮まらないのです。

 この図では、太い矢印で「クリティカルパス(Critical Path)」が描かれています。これは、この「経路、ルート」に遅れが出てしまうと致命的(クリティカル)に入院が伸びる、ことを意味しています。例えば、①→③→④→⑧のルートは標準時間7+2+4の計13日ですが、「入院①」から分かれる情報収集のための別ルート(①→②→⑤→⑧)は3+1+1の計5日で済み、早く終えてもどうせ治療から解熱・嚥下評価を経るルートの終了を待たなければならないわけですから、こちらは時間的に余裕がある(これを「フロート」と呼びます。関連エントリはこちらこちら)。つまり「在院日数を短縮化する」という病院経営上逃れられない宿命的課題に対して、①→②→⑤→⑧のルートは「クリティカル」ではない。同様に、「評価④」から分かれる3つの活動ルート(情報共有だけの④→[点線]⑤を除く)については、4+1の計5日かかる④→⑧→⑨が絶対に遅れてはならない「クリティカルなパス(経路)」なのであって、3+1の計4日で済む④→⑥→⑨と④→⑦→⑨の2つのルートはそれぞれ1日分だけ余裕がある。すなわち、この2つの活動ルートも退院支援として重要なものであることは認めるが、最重要経営課題である「在院日数短縮」を念頭に置くなら、それらは「クリティカル」な経路ではない。

 冒頭のやりとりに戻ってまとめると、クリカルパスという「臨床の経路」の中には、クリティカルな経路とクリティカルでない経路の2つがあるのです。「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」(日本代表サッカーTV中継時における某テレビ局の名セリフ)ではありませんが、「絶対に遅れてはならない経路が、クリカルパスにはある」。「そのルートに遅れが全体の遅れにつながる」経路もしくはルート、それこそが「クリティカルパス」(このモデル図では①→③→④→⑧→⑨の活動ルート)なのであって、これを「最重点管理工程(“Critical Path”の日本語訳)」と位置づけ、作業順序を練って有能な人材を配置し、常時遅れを監視し、遅れたら(バリアンス時)しっかり振り返って対策を練る‥、という体制がとられるわけです。

2017/10/30

「フロート消費」で伸びる在院日数

「明日まで主治医不在だから、とりあえずこの仕事はストップですね‥」

 【空想】あなたは駆け出しの女優です。とある映画制作の脇役をゲットし、クランクイン(撮影開始)したところです。ちょうど、あるワンシーンの撮影を終え、次のシーン撮影は主役とのツーショットで、その俳優待ち。その俳優は今、別シーンの撮影をしています。現場のちょっとしたトラブルで、かなり時間が押している模様。そんな中あなたは、撮影現場の隣に設置された楽屋のテントで、気心知れた俳優仲間と談笑しながら出番待ちです。きょうの撮影後の予定もあるにはありますが、この撮影現場は山奥だし、急いだところでどうしようもない。次の予定の関係者には、主役俳優と映画監督のせいにして連絡しとけば良いから気が楽。降って湧いたようなゆったり時間で、束の間のリラックスを楽しんでいます。

 【もう一つ空想】あなたは映画プロデューサーで、とある映画の制作委員会を立ち上げ、無事クランクインにこぎ着けたところです。映画公開日程は既に決まっていて一年後。予算を組み、キャスティングを決めて、大道具や小道具の発注も済ませ、順調に撮影‥するところが、この長雨(2017年夏)。この一ヶ月の間ずっと雨で撮影中断。最初の数日は「ここのところ超人的に忙しかったから、この雨は良い休息。恵みの雨かな?」なんて思っていたものの、一週間二週間と撮影雨天順延が続き、だんだんシャレにならなくなってきた。実は計画当初、クラックアップまで一ヶ月ほどの余裕時間を組み込んでいました。映画には細々としたトラブルがつきものだから。でも、それを夏の長雨で一気に使い果たしてしまった。かなり焦っています。

 プロジェクトマネジメントにおいて、プロジェクトを進める上での「余裕時間」を「フロート(FLOAT:直訳は浮くモノ、浮き輪ですが、米の俗語で“時間的余裕”を意味します)」と呼びます。フロートには二種類あり、「一連の作業の全体に悪影響を与えない、次の作業に入る前の、直前の余裕時間」を「フリーフロート(自由な余裕時間)」、「一連の作業全体を通しての余裕時間で、先に誰かが使い切ってしまうと、後の者がキツくなってしまうもの」を「トータルフロート(全体の余裕時間)」と言います。上述の空想事例で言うと、主演俳優待ちをしている脇役女優が楽屋でゆったりしている余裕の時間が「フリーフロート」、長雨が続き余裕を持たせていた撮影日程がだんだんキツくなって困っているプロデューサーの消えてしまった余裕の時間が「トータルフロート」となります。

 【現実】に戻って、あなたは病棟のプライマリ看護師です。打ち合わせ、会議、合間に処置。手術、面談、合間に書類作り。まさに毎日、目まぐるしい程の忙しさ。こんな感じでマジにガチで働いてたら、普通に倒れてしまいます。だからこそ、日々の仕事の合間の「フリーフロート」は貴重な時間。【空想】の「現場入りが遅れている主演俳優」のような、「外来が終わらず会議に遅れたドクター」「仕事か何かで面談に遅れた家族」「熱が下がらす手術が遅れている患者」等々のお陰で、合間合間に生まれる「フリーフロート」の時間はしっかりと消化したい。て言うか、遅れたのは私のせいじゃないし‥。「空いた時間を見つけたら、仕事を探してこなしてしまおう」「今日できることは、明日に持ち越さないように」とか、普通に綺麗事でしょ?
 チーム医療の全員がそこかしこに持っている「フリーフロート」の使い方を、どのように管理するか(例えば、こちらのエントリ)。「フロート消費」の個別管理が行き届いていないと、早く終われるものも早く終わらない、つまり【現実】の課題の在院日数はなかなか短くならない訳です。

 【もう一つ現実】に戻って、あなたは病棟の退院支援看護師です。地域の高齢化で、毎年着実に増えていく肺炎患者。内科医がパスを作って治療を計画的に進めようと努力してはいるものの、一週間の抗菌薬投与でそろそろ良くなっているはずの患者の喉が、相変わらずゴロゴロ、ゴロゴロ‥。週末予定の嚥下評価は、担当医師が医局派遣で不在になるため週明けへ後ろ倒し。他にも色々「手続き進めているはずだった介護保険が、ケアマネが捕まらなくて‥」「家屋評価に行ってみたら、実はトイレの前にもの凄い段差があって‥」「夜間の吸引も可能な施設だったんだけど、看護師さん辞めたみたいで‥」。事務長が収益状況から14日後退院を主張していたところ、看護師長が現場実態から「余裕みて21日」としてくれたのに、その「プラス7日のトータルフロート」を最初の一週間で使い切ってしまった‥。
 入退院スケジュールの全体プロセスは、チーム医療の全員が見渡せるパスに可視化し、「トータルフロート」を提示しつつ、どの段階でどの程度消化してしまったかを共有する(例えば、こちらのエントリ)。「フロート消費」の全体管理が行き届いていないと、同じく【現実】の課題の在院日数は、どんどん伸びて行ってしまうのです。

2017/10/29

「ゴール設定」で伸びる在院日数

「この病院は病人を前にして、入院直後から退院の話するんですか!」

 発熱して、介護施設などから急患に搬送されてきた高齢患者への対応を思い浮かべてみて下さい。主治医を決めて諸検査を行い、誤嚥性肺炎と診断し入院を担当者に指示、抗菌薬投与の治療パスに乗せ、チームを組んで全体スケジュールを共有します。診療報酬制度の制約などから考えて、入院期間は14日。とりあえずの「ゴール設定」、つまり退院予定日は14日後です。検査スケジュールは、解熱とCRP数値の確認と判断が一週間(7日)後。そこから嚥下評価が始まり食事開始で、この間2~3日。これでもう10日を消化、予定の14日まであと4日。その残り4日で、嚥下評価の結果をもとにキザミ食にするのかトロミ食にするのか食事介助のあり方を検討し、喀痰の状態から吸引処置のレベルを見定め、搬送元に戻った時の対応について指示しなければならない。限られた4日ではありますが、看護師とST(言語聴覚士)のプロフェッショナルなチームワークがあれば何とかこなせるのではないかと思います。

 しかしながら、退院(日)調整が大問題です。これには「もの言う相手」が存在するからです。しかも、意思と判断が定まらないケースがほとんど。まずは、患者と家族の意思。家に帰りたいのか、これまで居た施設に戻りたいのか、施設とはいえ退院後は違う施設に替わりたいのか、など。そして、受け入れ側の判断も様々。施設の職員から、ハイレベルの介護食(キザミ食やトロミ食)には対応できない(設備も前例もない)、夜間の喀痰吸引には対応できない(看護師がいない)、在宅の家族からは、エレベーターがない(建物が古い)、独居だから無理(介護者がいない)、など色々と問題が提示されてきます。これらの指導や諸調整(退院調整)を、上述の「限られた4日」で対応するのは非常に難しい。患者が認知症、離れて暮らす家族で仕事が忙しくつかまらない(電話してもつながらない、メールにも返事がない)、介護保険の申請をしないと経済的に無理(とはいえ保険の申請・適用には時間がかかる)、(診療所などの)主治医がいない、などなど背景は様々です。これ全てが良くある話なのですから、たとえプロの退院支援NsでもMSWでも、難しいものは難しい。

 それだから、MSWなど退院支援担当者は、なるべく早い時期から患者対応に介入しようとします。早い担当者なら入院直後。患者・家族との支援面談、施設や自宅に関する情報収集、ケースごとのスクリーニング、情報共有シートの作成、アセスメントシートの作成、担当者ミーティングの実施、などなど、退院調整業務てんこ盛りです。患者や家族も色々聴かれて煩わしい。とはいえこちらも、情報収集した後それぞれ個別に対応しなければならないのですから、後ろには引けません。やらないと「設定したゴール(14日で退院)」に辿り着けない。それゆえ急いで支援面談をセッティングしようと動く。

 ここで出るのが冒頭の、家族などからの「怒りのお言葉」です。親を施設に入れ、離れて住んでいた家族が、救急で運ばれたと知らせを受け、ビックリして病院に駆けつけた。久しぶりに見た親は、発熱でグッタリしている。先月会いに行った時は元気だったのに‥。こんな状態なのに、見るからに苦しそうで治療が必要な病人なのに、「この病院は、入院直後から退院の話するんですか!」

 患者の家族が一般の人なら、「誤嚥性」という病名は初めて聞くものでしょう。もちろん意味など分からない。「DPCだから14日で退院させる必要がある」なんて報酬制度など知るはずもない。しかしながら医療従事者は、報酬制度の通り、事務長などが口酸っぱく言う通り、14日後退院をゴールに設定する。この認識のズレを放置したまま、患者・家族と病院間の信頼関係なんて構築できるはずもない。こうして患者と家族の気持ちは不安と不満で固められ、退院への対応を頑なに拒むようになる。苦しむ親の治療のためにも、さらに病院のケシカラン連中を懲らしめてやるためにも、「意地でも入院を継続してやる!」と意固地になる。こうして平均在院日数は、グングンと伸びていきます。

 私は、この「ゴール設定」自体が問題なのではないか、と考えています。ゴールとは、活動の全てが終わることを意味します。若い健常者の骨折入院などとは異なり、後期高齢者の終末期を伺う患者に、実はゴールは存在しない。つまり、治療が終了するのではなく、治療は「最期」の看取りまで続いて行く。患者や家族は「患者の60代ぐらいの元気な姿」に戻れることを期待して入院治療のゴールをイメージするのでしょうが、多くの現実は、そうはならない。

 とりわけ後期高齢者の誤嚥性肺炎などのケースに必要な設定概念は、ゴールではなく「マイルストーン(節目)となるリレーポイント(中継点)」だと思います。つまり、健康な従前の状態に戻ることは残念ながら有り得ず、患者の治療は「一進“二”退」「三“温”四“寒”」で長く続いて行くのです。だから、入院直後に行う支援面談では、そうした「高齢者治療の現実」と必要な情報を伝え、「最期」までしっかり責任を持って伴走することを約束し、「最期」つまり真のゴールを出来るだけ先送りさせようと前向きに患者と家族のモチベーションを上げていく。そのこれから長いプロセス上での中継点、言わば足がかりの最初の一つが「ここで言う14日目」であり、患者には「その節目」で一旦退院して頂き、高齢化で同様の患者が溢れる地域医療のために、地域の急性期として必要なベッドを空けて準備しておく。入院直後の支援面談では、こうした長期ビジョンを患者と家族に理解して頂かなければならない。それでいて、けっして暗くなることなく、皆で前を向く‥。

 「あの‥診療報酬制度というのがありまして、厚労省が入院14日過ぎたら病院の収入を下げるって決めてるんで、だからその日が退院日なんです(看護師の私個人はあなたを入院継続させてあげたいと思ってますけど、そう決めたのは政府。文句があるなら厚労省へ)」なんて患者に言って退院を迫るとか、絶対に御法度。「この病院は金儲けしか考えてない!」と憤られるだけだと思います。

2017/10/27

多職種「職務職能表」を作ってみる

「ウチにもありますよ‥。機能評価の時に、他のをコピーして作ったものが」

 医療の経営資源の中心は、間違いなく人材です。時間管理を軸とした「リソース管理」に関するエントリ(こちら)でも、そう強調しています。自院の人材が、雑務に振り回されることなく、また負荷が掛かりすぎないよう、持続的な活動継続のために人事労務管理を行うことこそ、医療機関の管理職の最大の仕事と言えます。

 しかし、それ以上に重要なことがあります。「経営資源」なのですから、その資源(人材)がどのくらいの能力を持ち、どのような機会でどう実力を発揮できるのか把握し、管理できていなければなりません。建設現場の現場監督が大型建機を取り合うように、能力ある経営資源が現場に少なければ、病棟など現場の日々の仕事がこなせなくなってしまうからです。また、建機のような経営資源は、文字通り機械ですからその保有能力が予め決まっていて等しく徐々に摩耗していくわけですが、人材という経営資源は、保有能力が当初わずかばかりでも、育成訓練や経験蓄積によって力を伸ばしていく可能性を有しています。成長する人材は、放っておいても成長します。しかし、人材の能力は「等しく」変化していくわけではない(放っておいたら、退化する者もいます)。つまり人材は、能力が多様に変化していく経営資源なので、その状況を常に把握していてこそ「リソース管理」の実効性が高められていくわけです。病院など医療機関は多職種による統合組織なので、その全ての職種に渡る人材の保有能力を把握していなければなりません。

 医療従事者の職業能力を測るための、様々な尺度や枠組みが検討されてきています。その代表例は、看護師の「キャリアラダー」(例えば、日本看護協会「クリニカルラダー」:こちら)でしょう。看護師に必要な能力レベルを高低で複数段階に分け、各段階の実践的かつ具体的な能力を発揮機会別に文書化したものです。非常に練り込まれた、汎用性のある良い尺度だと思いますが、問題は「これを、自分の現場の人的リソース管理に使えるか否か?」です。結論から言うと、実際はちょっと使い難くて、結局はラダーに明記されたチェックポイントを使い客観的に評価するのではなく、管理者自身が現場で感じる印象評価で決まってしまう。人材の評価は既に管理者の心の中で決まっていて、その数値化可能な後付け評価としてラダーが使われるパターン。なぜ、そうなってしまうのか。その「ラダー」が悪いのではありません。それは他の人が作った「ラダー」で、自らが自らの組織の人材の現状を前提に作ったものではないからです。

 「多職種に渡るクリニカルラダーみたいなものを、ましてや自分達で作るなんて、とてもとても‥」。例えば自院で、看護職の独自ラダーを作ろうとしても、看護師自身は忙しい、人事担当の事務職は現場感覚がない。「そう言えば病院機能評価の時に、他院のものをコピーさせてもらったっけ‥」。こんな感じでやり過ごされ、何時まで経っても整備できない。つまり、リソース管理ができない。人事担当を専門の外部研修に送ろうか‥、医療コンサルタントに頼もうか‥、企業の人事経験者を中途採用してみようか‥。いずれも病院の「管理部門あるある」ですが、いずれもダメです。結局は、他の人が作った枠組みを受け容れることになってしまうからです。

 さて、その「クリニカルラダーみたいなもの」を、人事労務管理論では「職務職能表」と言います。早速、Googleで「厚生労働省_職務職能表」と検索してみて下さい。「中央職業能力開発協会_職務職能表」だともっと詳しいサイトがヒットします。中央職業能力開発協会とは、厚生労働省職業能力開発局が設置した認可団体で、職業能力開発に関する様々なデータを集め、公開しています。それらが開設しているサイトで「職業能力評価基準」という概念で展開されているのが、ここで言う「職務職能表」です。これらは、簡単に言えば、業種の職種ごとに「新人・一人前・エキスパート・管理職」など人材を能力・職務別にざっくり分けて、それぞれの保有能力を言語化し、職務(医療で言えばケア業務、調整業務、管理業務など)ごとに整理したものです。検索で提示されたサイトを適当にクリックして行けば、様々な産業の様々な職種における「能力別保有能力の職務記述(能力の内容を言語化した文章)」を整理した表(枠組み)が大量に出てくると思います。これらは厚生労働省が予算を投入して作成した表ですから、もちろんどれだけ活用しても無料です。ちょっとしたアンケートに答えるだけで、全ての表がダウンロードできます。

 後は、見よう見まねでOK。自院の現状、自院スタッフのレベルに合わせて、ダウンロードしたファイルをコピペしながら自作してみること。専門研修や経営コンサルタントが作るフレームと比較してしまったら、すごく見劣りするようなものしか作れないかもしれません。でも、それで良いんです。何よりも、実際に使う人間が、実際に働いている人間を想定して作る「能力評価表(職務職能表)」。これこそ「リソース管理」を実行するための、必需品なのです。

2017/10/21

勤務医バーンアウトか、病院ブレークダウンか

「医師の応召義務って、一種の強制労働だと思うんですが‥」

 「夜勤医師の時間外労働賃金不払い問題」、「労基署による有名病院ガサ入れ」、「医師も同様に過労死自殺問題から働き方改革」、「応召義務を理由とした医療分野の適用除外と改革先送り」などなど。

 本格的な少子高齢化時代に入って医療現場の人手不足感は最高潮に達し、とりわけ救急など夜間勤務の労働現場では「ブラック」なんて言葉では表現しきれないほどの、異次元の労働強化が常態化しています。ただでさえ大変な現場なのに、しかもわが国は法治国家で、その労働法が時間外及び深夜勤務の際の割増賃金支払いを求めているのに、夜勤の勤務医に「宿直手当」しか支給しなかったり(割増賃金支払いは実際に急患があったときだけだったり)、大規模な公立病院が労基署の指導を受けたり、著名な民間病院が億単位の不足分を後から支払ったり‥。他方、大手広告代理店同様の医師の過労死問題が発生したり、医師が集団で転職エスケープ(いわゆる「逃散」問題)を図ったりと、テレビドラマの冒頭ナレーションではありませんが、既に「医療崩壊」と言っても過言ではない状況が顕在化しています。今後は団塊世代の後期高齢者化(終戦直後1947~50年生まれのベビーブーマーが、現在2017年で67~70歳)が進むわけですから、現状のさらなる悪化は目に見えています。

 「だから医師を増やせ」と声を上げるのは簡単ですが、それを実行するのはもちろん簡単ではなく、それゆえ実効性ある具体的な動きは今のところ見当たりません。いま医学部を増設したとしても医師を労働力として病院に送り出すのは約10年後になるし、外国人労働者(外国人医師・看護師)の受け入れ政策は国民的合意が前提だから入管法改正なんて早々ありえないだろうし(先進国はいずれも難民受入問題等で内向きだし、円安の進行で出稼ぎの旨味は少なくなったし)、歯科医師や弁護士や公認会計士など供給増で賃金条件が低下した花形専門職労働市場崩壊の前例が直近にあったし(いまや全てが大学最難関となった医学部も、現在の法科大学院のように人気や偏差値が低迷してしまうかもしれないし)、「人の問題の改革」は色々な背景や様々な利害が複雑に絡み合っていて、繰り返しますが「簡単ではない」のです。

 私のような一介の経営学者では何ともならない大きな問題なので、改革私案などを提示するなんて気概はあるわけがなく、「先々どうなるのか」を考えるだけの現在です。

 働き方改革」は現政権による官邸主導の政策、今や「政治主導」の力は強大です。官僚や業界が太刀打ちできる相手ではありません。これまで規制緩和政策などで、官邸に抗う抵抗勢力が様々存在しましたが、それを跳ね返すことができた勢力はほぼ皆無。「俺が本省に言う!」とか年配の重鎮先生は語気荒く何かと自信ありげですが、個人的には正直、さすがの医療界も厳しいと思っています。したがって、医師の時短や時間外問題の適正化は時間の問題。夜勤で出勤したのに宿直手当だけとか今時の労働法適用除外としてはかなり違和感があるし、救急医療など本来的に国や公共部門が担うべき役割を民間病院や個人に「応召義務」として負わせるのも、実態は、医師法が生まれた敗戦前後の医療の荒廃を乗り切るための「どさくさ当時の倫理規定」だった。少なくとも官邸と国民は、そう捉えると思います。結局、選挙を経て政権が落ち着けば働き方改革は実行され、いずれ政府は医療現場の異常さを解決すべく動き出すでしょう。「かとく(過重労働撲滅特別対策班)」に続き、東京と大阪の労働局に、新たに「医療かとく」が新設される‥。そんな絵(こちら)が脳裏に浮かんできます。

 当然ながらこうした政府の動きは、病院の財務と現場を直撃する巨大イベントとなります。病院経営コストの大半が人件費で、それが飛躍的に増大する。高齢化が進行して医療費が高騰する一方、健保も財政も既にカツカツで、診療報酬が増えることはない。つまり病院の収入が増えず(人件費)コストだけが急増するのですから、病院経営はコストの高い大都市部から一気に収縮して行く。そして結局、割増分の支払いに困った病院は、元々の賃金水準を下げ、全体の支払総額を抑えなければならなくなる。それでいて労働強化が極まる現場の仕事量は今と変わらず不変。既に「バーンアウト」(燃え尽き)寸前だった勤務医は、堰を切ったように「カネの切れ目が縁の切れ目」と病院を辞めていくでしょう。そして、その後の世界で真っ当な夜間の救急医療を維持できるのは、国・公共機関や一部の大規模病院などが巨額予算を投じて「大勢の医師を雇用し、ゆとりあるとは言えないまでも完全交代制を整備できる」現場のみ。その他の民間病院は残念ながら、夜間救急を断念し縮小均衡のソフトランディングを図ることが精々。少なくとも現在の、2,000を超える数の地域密着型民間病院に支えられた日本の地域医療は「ブレークダウン」(崩壊)必至の状況に追い込まれるハズです。

 さて、その、これまで大多数の民間病院で働いてきた勤務医はどこへ行くのか。普通に考えれば独立開業の方向でしょう。現在の医師のキャリアは「大学病院→公立病院→民間(私立)病院」(詳しくはこちら)ですが、その「後ろ2つ」を飛ばしてクリニック開業へと本気で走る。ブラックな病院の今後が、廃業か超ブラック化かのいずれかなのですから当然です。応じて、銀行など金融機関や医療コンサルタント会社がその波に乗ってビジネスを広域展開する。こうなると、今度は地域で診療所間の競争が激化していく。もちろん既存の開業医グループはこちらも本気で抵抗するでしょうから、恐らく、開業に関わる「保険医の配置・定数や自由開業・自由標榜の見直し」検討が急速に具体化されていく。この流れに、医師の需給や偏在を解消しようと検討してきた政府プロジェクトや総合診療医の普及拡充を目指す民間ネットワークなどが合流し、勤務医の独立開業への大量移動をコントロールしようと動き出す。他方、崩壊が進む民間病院には個を凝集して経営力をつけるべくホールディングス化(グループ持株会社化)の流れがうねり、経営層の代替わり問題も相まってドラスチックなM&A(病院買収)が展開されていく。もちろん金融機関やコンサルタント会社はまた、そのマーケットで一山当てようとするでしょう。

 保険医問題にせよホールディングス化にせよ、これまでシーズはあったもののブームにはなっていなかった「医療経営の独立ベンチャー志向と連携ネットワーク化」のうねりへの引き金を、1年半後に動き出す「医療の働き方改革」政策が大きく引く。このトリガー(引き金)は、改定だの加算だのの類いとはレベルが異なります。そこから一気に時計の針が回り出し、医療経営は戦国時代へ。そんなことを考えて、経営学者としては、ただただ身震いしつつ背筋が伸びる思いなのです。

2017/10/13

病院経営のカタカナ戦略

「ホント経営学ってカタカナ多いですよね。医学もそうですけど‥」

 「こちらにもありますけど、カタカナばかり‥。何となくイメージはありますが、実際に何をどうするのかとか全く解りません」。と言われているのは、経営戦略論で頻出するキーワードです。イノベーション(技術革新、新機軸創造)、マーケティング(顧客開拓、市場適応)、リストラクチャリング(事業再構築、合理化)、アウトソーシング(外部委託、業務請負)など。確かにカタカナばかりですね。先のエントリのマトリクスでは、「問題児」でイノベーション、「看板」でマーケティング、「金のなる木」でリストラクチャリング、「招かれざる客」でアウトソーシングと整理していますが、医療従事者の皆さんには流石に解りにくいだろうと思います。ここでは、カタカナそれぞれの意味と用法について、マトリクスのコードネームごとになるべく解りやすく説明していきましょう。

 「問題児」ゾーンには、その病院の「件数増・低収益」患者が集まっています(マトリクスの4ゾーン別に仕分けた結果はこちら:以下同じ)。これらの患者対応には抜本的なイノベーションが必要です。患者が押し寄せているのに点数が確保できないのですから、頑張れば頑張るほど足下が沈んでいくパラドックスに陥ってしまうのです。マトリクスにある通り高齢者の急増を背景に、認知症患者も肺炎患者も日々増えるばかり。これらに立ち向かうイノベーションには、例えば「ユマニチュードによる認知症ケア」や「肺炎クリティカルパス+退院支援パスの整備」などがあります。認知症患者の増加で対応する医療従事者が消耗しないように新たな技術を貪欲に取り入れ、また、肺炎患者の退院支援に戸惑いズルズルと在院日数を伸ばしてしまわないような新たな仕組み(機軸)を的確に整備して行く。「新たな技術」や「新たな仕組み」こそ、こうした分野に必要なイノベーションなのです。

 「看板」ゾーンには、その病院の「件数増・高収益」患者が集まっているのですから、ここで必要なのは「とにかく掻き集める」活動です。増やして、増やして増やしまくることが、そのまま収益増につながるのです。しかも、社会に患者は増加中。文字通りの新規開拓、顧客創造、販売促進、イメージ通りのマーケティングです。例えば、整形外科を擁する回復期病院なら、大腿骨頸部骨折や脳梗塞の患者を集めるためにMSWを多数マーケティング部門に再配置し、DPCデータで近隣の骨折や脳血管のオペ実績のある急性期病院をリストアップして、件数が多く距離が近い病院から順に「顔の見える」営業を仕掛けていきます。こうした活動を、ターゲットマーケティングと言います。私の経験では企業よりも病院のほうが、こうしたマーケティングに向いているようです。企業の営業だと競合相手も多く価格設定の自由度があるので競争に打ち勝つのは非常にシビアな世界ですが、地域医療圏内の病院立地が一定程度管理され診療報酬制度で価格が統一されている医療の世界では、過当競争が限られているからではないかと見ています。

 「金のなる木」ゾーンには、その病院の「高収益・件数減」患者が集まっています。意外に思われるかもしれませんが、これらの患者対応には継続的なリストラクチャリングが不可欠です。ピロリ菌感染率の低下に伴って胃がん患者が減少するように、将来的にはどんどん市場が小さくなる分野が存在します。とはいえ点数は高いというのがこのゾーンなのですが、病院組織内での仕切りは多くの場合、成果主義的な実績優先かつ近視眼的な独立採算の医局縦割りで、「ウチの診療科は利益出しているのだから多少ムダがあっても許される」とばかりに、合理化圧力が掛かりにくくなる傾向があります。リストラなんて以ての外で、まさしく「金のなる」のは事実であるものの所詮「木」でしかない存在に、神木(しんぼく)のように崇めて建造物で囲むが如く多額の予算を投じている。むしろ、このゾーンの医療こそ、将来を見据えたリストラクチャリングが必要なのです。こうした高収益部門こそ徹底したリストラでキャッシュをどんどん捻り出し、その捻出分をその他の部門の将来のための戦略予算に大量供給していく。これぞ「まさに金のなる木」と言えるでしょう。

 「招かれざる客」ゾーンには、その病院の「低収益・件数減」患者が集まっています。応召義務があるので、もちろん診察も治療も拒まず対応しなければなりませんが、報酬点数が低いということは、行政上の視点でも「病院以外の医療機関で看るべき患者」と判断される分野と言えます。ここで行うべき活動は「看板」ゾーンにおけるマーケティングの逆、つまり地域の医療連携を広げつつ、徐々に患者を地域のクリニックなど連携先へと外部委託(アウトソーシング)していく活動です。こうした病診連携を進めつつ地域の後方支援病院として地盤を固めていく。地域の介護施設に対しても、例えば褥瘡処置の技術を積極的に移転するなどして施設の看護力を引き上げ、施設の重症患者収容力を高めていく。ポイントは、クリニックにせよ施設にせよ、病院との“Win-winの関係”が構築できるように仕向けていくことです。

「リソース管理」のツールとノウハウ

「仕事って、デキる人に集中しちゃうもんなんですよね‥」

 「経営資源(マネジメント・リソース)」と聞いて、何が思い浮かんでくるでしょうか? 例えば、建設業の大型建機、製造業の工作機械などがそれに当たります。「それがないと仕事が進まない」ような、会社の資源です。大型建機は建設現場の監督同士で取り合いになるし、メインの工作機械にトラブルがあったりすると生産量がガクッと落ちてしまいます。それゆえ建機をどう遣り繰りするか、どんな機械を設備投資し保守するかといった「リソース管理」は、いずれでも最重要のマネジメント項目となっています。では皆さんが勤める病院、医療の経営資源とは何でしょうか? 言うまでもなく、それは「人的資源(ヒューマン・リソース)」でしょう。医療従事者がいないと、キュアもケアも進まないからです。つまり、医療の「リソース管理」=「人材の稼働状況の管理」となるのです。

 労働関係法を遵守しつつ看護師の出勤シフトを組むことなどは、リソース管理の第一歩です。しかしこれは、出勤と法令遵守の現況を管理する仕組みに過ぎません。管理はさらに、その稼働状況を把握しながら、オーバーロード(過負荷)のリスクを抑えつつ、チームの生産性を引き上げていく枠組みへと発展させなければなりません。つまり管理職は、部下という人的資源の「リソース管理」をどのように行うか、という役割を持っていることになります。

 リソース管理には欠かせない概念があります。①アポイントメント(会議や手術、家族面談など、相手と時間に合わせなければならない課業)、②パーソナルタスク(日常の処置や資料作成、電話連絡・メール送信など、自分の都合でできる課業)、③フロート(談話室での喫煙など、余裕時間)の3つです。「リソース管理」とは、各人材における上記①②③の組み合わせを把握して負荷の集中や偏りを廃し、部分の生産性向上が図れるよう支援し、各人のタスクの優先順位についてチーム全体の視点で変更を加えていく協働の進捗管理を言います。ある部下の1日にアポイントが詰まっていたり、フロートが放置されていたりしてはいけません。
 そして、これらは以下の簡単な算式で表すことができます。

1日の総労働時間―アポイントメント(予定時間)ーパーソナルタスク(標準時間)×実行タスク数=フロート
 (左辺がマイナスになれば、右辺は「フロート」ではなく「残業」)

 ここではさらに、簡単な管理ツールを作ってみました。以下の表は、管理する部下メンバーにおける1日の「アポイントメント」の予定、それぞれが抱えている「個人(パーソナル)タスク」の件数を簡単にまとめるためのツールです。これを毎日はじめの10分程度、始業時ミーティングなどでチームの「リソース管理」を行ってみて下さい。これだけでも、チームの状況がよく見えてくるはずです。
 管理職のあなたは部下それぞれに、どれだけのアポイントメントが入っているのか(こなせる範囲か)、その日に実行しようとしているタスクはアポイントメントの合間のどこで処理しようとしているのか(例えば、表の「佐藤さん」の曲線矢印)、フロートが大きすぎて人的資源が遊んでいないか(例えば「佐藤さん」は14時以降、アポイントもタスクもないので、他のメンバーのタスクを引き継ぐよう指示する。また、余裕時間の偏りがあれば、タスク割り当ての変更や優先順位の低いタスクの先送りなどを行う)について検討する。そして、個人の動きの制約となるアポイントメントの時間設定や短縮化、技能の向上により効率化できるのであればそのための教育研修、また、各タスクの優先順位を見極めるため部門間で情報共有を行い、さらには、フロートさえも単なるリフレッシュに留めることなくチームメンバー間のコミュニケーション促進を図る工夫など、様々なアイデアを行動に移して行く。それが、管理職の行う「リソース管理」なのです。

2017/10/12

退院支援協働タスクのネットワーク化とモデル化

「退院支援ナースは、医師の指示の前に動き出して欲しいんです!」

 医師曰く「病棟のナースは医師の指示待ち族ばかり。医師が指示しないと誰も動かない。ただでさえ医師は超多忙なのだから、退院支援ナースならなおさら、先々を考えて退院支援に動き出して欲しい。そうでないと、在院日数を縮めるとか永遠に無理!」
 他方、看護師曰く「何だかんだ、責任を負っているのは主治医。ナースが判断なんかしたら、それこそ大問題。医師は患者の状態を踏まえた上で、治療と検査のスケジュール、退院見込みの提案、退院日の調整指示、最終カンファレンスへのGoサインぐらいサクッと出してもらわないと‥」

 医師と看護師からの板挟みに遭い、退院支援を構成するタスクを洗い出すことにしました。病棟の退院支援を生産管理論の基本であるPERT(プログラム・エバリュエーション・アンド・レビュー・テクニック)モデルに当てはめ、多職種連携による作業を分解して時間軸のもとに並べ、全体の流れの最適化を図る方法です。入院から退院までの全ての作業の流れを鳥の眼で見渡せる作図を行うことで、関わる医療従事者が「次は何をするべきか」悟らせようとするものです。PERT図は通常、クリティカルパス(最重点管理工程)を見出す手法として普及しているので、皆さんが普段使っているクリニカルパスの原型モデルとなるものでもあります。

 今回は、症例が多くモデル化が容易な「誤嚥性肺炎患者の受け入れ」を想定し、肺炎治療から退院支援へとつながる多職種協働のPERT図を作成してみました(以下)。
 上の図は高齢患者が、発熱に伴って介護施設から救急搬送され、入院するケースです。PERT図ではイベントを丸印と番号で表現します。ここでは①を入院、⑨を退院としています。そして同図では、多職種が協働する様々な活動(アクティビティ)を実線の矢印で表現し、また活動は伴わないもののゴールや指示の確認(サイン)を破線の矢印で表現します。

 入院以降は、まず主治医を中心に治療計画を確認する「初期カンファレンス」などの初期イベントがあります(②)。そこでの合意事項のもと抗菌薬治療が開始され、検査スケジュールに基づき発熱とCRPを確認する治療プログラム(②→⑤)が医師によるメインの活動となりますが、同時進行で担当看護師と退院支援看護師による誤嚥性肺炎の嚥下評価プログラムが動き始めます。ここでは、そのプログラムを2つ設定しています。痰吸引の医療処置レベルを見極めるプログラム(②→③)と、食事が始まった段階から介護食レベル(キザミ食、トロミ食など)を見極めるプログラム(②→④)です。メインとなる治療プログラムで体温やCRPのアウトカム水準を確認する「中間カンファレンス」などのイベントが開かれます(⑤)が、このイベントまでに痰の処置方針(③)と介護食の対応方針(④)が見極められ、その(⑤)イベントでOKサインを出すという流れになります。ここまでが、治療プログラムを中心とした前半のプロセスです。

 後半は退院支援プログラムを軸とするプロセスに入ります。「中間カンファレンス」のイベントを起点に、メインとなるバトンは医師からMSWに移され、救急搬送元(自宅や介護施設など)に帰るのか、その他の退院先を探すのか、MSWが患者の病状と患者・家族の意思を確認して実際の退院先を確定し、併せてスケジュールの都合を確認して具体的な退院日を確定する退院調整のプログラムが動き出します(⑤→⑧)。それと同時進行で、担当看護師が「中間カンファレンス」で確認した医療処置方針に基づき患者及び家族を指導する医療処置指導のプログラム(⑤→⑥)と、退院支援看護師が退院先となる後方の関係者(介護施設の介護担当者、ケアマネジャー、訪問看護の担当看護師など)に情報を共有し、必要に応じて指導する後方指導のプログラム(⑤→⑦)が進められていきます。メインとなる退院調整プログラムで退院先と退院日を確定後「最終カンファレンス」のイベント(⑧)が開催されますが、このイベントまでに医療指導と後方との情報共有が予定通り執り行われ、担当者はそのイベントでOKサインを出さなければなりません。ここまで関係職種の担当タスクが時間通り遂行されて初めて、⑨の退院へと進んでいくわけです。

 この退院支援モデルは、現時点では協働タスクの連携構造図(ネットワーク図)に過ぎないので、それぞれの矢印の「時間軸の長さ(予定所要時間)」が入っていません。しかしながら様々な病状と重症度、様々な属性の患者の退院支援について、各タスクを開始するタイミングの変更、「ついで」の機会を使った効率化や情報システムの活用、それぞれの専門職が専門分野を超えて行うタスクの融通などを工夫しつつ、様々なケースの所要時間を計測、記録していくことで、在院日数の短縮化と標準化が進んでいく展開を期待しています。
 今後は、この「モデル」を「実績」に変えて行かなければなりません(こちらのエントリにつづく)。

2017/10/06

経営学の古典に学ぶ「チーム医療」管理論

「今度、師長になります。管理職として何か読むべき本とかありますか?」

 「上司に、ドラッカーを読めと勧められました」とか、良く聞きます。もちろん、アメリカの著名な経営学者P・F・ドラッカー(1909-2005)の本もオススメなのですが、大学の経営学部的にはC・I・バーナード(1886-1961)のほうがメジャーです。経営管理論のメインコンテンツこそ「バーナード理論」なのです。どちらかと言うとドラッカーは顧客志向のマーケティングに関する著作が有名で、人の上に立つ管理職について研究した本となると、やはりバーナードでしょう。バーナードの著作(『経営者の役割』)は、経営管理論の古典中の古典です。

 先のエントリ(こちら)では、私なりに「チーム医療」の定義づけを行いました。主治医と患者担当のプライマリ看護師、病棟師長、担当リハビリスタッフ、MSWなど多職種が、共有化された治療計画(クリニカルパスやプロトコル)のもと、個々の専門的知識と労働力を投入(インプット)して結果(アウトプット)を出し、それらを一定基準(中間アウトカム)で接続させて、最終的な成果となる退院基準(最終アウトカム)へと導く。その治療計画上での、参画メンバーそれぞれによる一連のタスクのつながりを「チーム医療」としています。先のエントリの表現を使えば、「中間アウトカムでつなげた複数のパスの連立方程式を、滞ることなく的確に解く」こと、これがチーム医療です。
 さて、バーナード理論を踏まえると、チーム医療はどう管理されるべきなのか? 同理論の要諦は「有効性と能率」という2つの概念にあります。

 バーナードが言う「有効性」とは、目的達成に有効なインプットの技術レベルのことです。つまり、技術的かつ具体的な処置や薬剤の使用などスキル全般を意味し、インプットの有効性が高ければしっかりとしたアウトプットが出せます。さらに、チームで協働するために必要な基準(中間アウトカム)があるので(例えば、転科基準を取り上げたこちらのケース)、その行為の達成目的は必然的にアウトカムとなります。チームメンバーのそれぞれが、知識と経験と労働力の完璧なインプットを行って、あっさりとアウトカムを引き出すことが出来る技術。そうした技術を有するメンバーが多ければ、それは「組織の有効性」が高いチームです。いわば最も有効性が高いのは、「どんな状態でも焦らず成果を出せる、実績十分のベテランを揃えたチーム」となるでしょうか。
 ごく当たり前の話ですよね。問題は次です。

 バーナードが言う「能率」とは、成果目的達成に取り組むチームメンバーの意欲の持続性(モチベーション維持)のことです。通常「能率」概念は、インプットに対するアウトプットの比率を意味します。少量のインプットだけで大量のアウトプットを産出することを、われわれは「能率的」と表現します。しかし、それだけでは、組織が求めるアウトカム水準に達しないアウトプットを、個人が勝手に、「能率的」に量産させてしまうかもしれません。そこでバーナードは、インプットとアウトプットではなくアウトカムと個人のモチベーションを軸に据え、この「能率」概念を全く異なったものに仕立てています。インプットすれば一応のアウトプットは出るのであって、最終的な目標はあくまでもアウトカムなのだけれども、そのアウトカムは達成できることもあるし、達成できないこともある(クリニカルパスではこれをバリアンスと言っています)。そこでの現実問題は、仮にアウトカムが達成できなかった時、インプットを行ったメンバー個人のモチベーションが下がってしまうことであって、たとえアウトカムを達成できなくても(通常、アウトカム未達ならガッカリ意欲喪失してしまうところ)メンバーのモチベーションが高く維持できるなら、それこそが「組織の能率」の高いチームだ、と考えるのです。いわば最も能率的なのは、「少量のアウトカムしかなくても腐らず、有効なインプットを大量に投入し続けるチーム」となるでしょうか。

 管理職の役割は、チームの「有効性と能率」を引き上げることです。看護師長になったのなら、病棟におけるチーム医療の「有効性と能率」を引き上げなければなりません。技術力の低いままアウトカムが出せずに腐っているプライマリばかり(WLBを盾に現場から逃げようとするのも同じ)、では師長失格なのです。パス上のアウトカムを確実なものとするために、チームメンバー個々が行う「知識と経験と労働力」というインプットの技術レベルを可能な限り引き上げるには、何をどうしたら良いのか。例えば、どんな訓練や振り返り、さらにはどんな情報共有を行うべきか(外部の定型的な研修やコンサルティングに、安易に依存していませんか?)。パスのアウトカムが達成できずバリアンスとなっても、関係メンバーのモチベーションを維持し続けるには、何をどうしたら良いのか。例えば、どんな声かけや手当、さらにはどんなバリアンス対策を講ずるべきか(半ば軍国主義的に、現場スタッフへ自己犠牲を強要していませんか?)。

 「何となく解ったような、まだ腑に落ちないところがあるような、モヤモヤした感じがあるので、バーナードの本、早速買って読んでみます!」と、皆そう仰るのですが、私はオススメ致しません。というのは、バーナードの本は超難解!!だからです。

2017/10/05

クリニカルパス上のインプット・アウトプットとアウトカム

「とにかく最終的なアウトカムは、退院基準の達成です」

 先のエントリ(こちら)でとりあげた「大腿骨頸部骨折患者が肺炎発症」のケースで考えてみましょう。クリニカルパスは、肺炎治療と整形外科手術と退院支援の3本がつながって同時に走る連立方程式です。3つの方程式それぞれにインプット、アウトプット、アウトカム(中間)があり、連立方程式の最後にまたアウトカム(最終)があります。

 まずはパス1本目。内科医が診察し、治療計画を立て、点滴抗菌薬を患者にインプット。検査スケジュールに合わせ発熱とCRPをチェック、例えば「38.0度、18mg/dL」まで下がったのなら、それがアウトプット。でも、未だ手術が出来る状態ではない。内科医と整形外科医で手術が出来る基準について、例えば「37.5度以下、10mg/dL以下」と定めたのなら、それがアウトカム(これは肺炎パス上のアウトカムに過ぎず、退院基準まで持って行くまでの全体で見れば「中間アウトカム」)。

 そして2本目。肺炎の中間アウトカムをクリアした患者を、骨折骨接合術や人工骨頭置換術パスへと接続。退院先の環境(自宅の状況など)及び患者ニーズを踏まえ、ADLやFIMのゴールを個別に設定。これがアウトカム。カンファレンスを行い手術とリハビリの計画を決め、手術実施(整形外科医の知識と経験と労働力をインプット)。手術が成功したら、それがアウトプット。この段階になると最終的な退院基準が見えてきます。疼痛管理に薬剤師や看護師が、同じくリハビリにPTやOTがインプット。それぞれが持ち場でタスクを工夫して少しでも状態・状況を改善させたのなら、それらは全てアウトプットにはなるが、それぞれが最終的な退院基準(アウトカム)につながるレベルでなければいけない。

 3本目は、上の2つと同時進行。多職種で退院支援パスを組み、ケアマネジャーが労働力をインプットして介護保険申請し保険適用なら、それがケアマネジャーのアウトプット。MSWが労働力をインプットして患者と家族のニーズを傾聴し、OTのインプットと共に家屋調査を実施して、ADL等の設定ゴールの実効性を確認したら、それがMSWとOTのアウトプット。そして、退院支援ナースがそれらアウトプットを踏まえ、病棟で実際の動きを想定してチェックするなどして主治医に治療終了の目安を確認し、患者や家族と退院日のスケジュールを調整するなどもろもろのインプットがあって、めでたく無事退院。これが、最終アウトカムになります。

 節目となるポイントは、内科医が手術OKのサインを出す「肺炎治療の中間アウトカム」(体温とCRP基準)、整形外科医とPTやOTが退院OKのサインを出す「骨折手術の中間アウトカム」(疼痛管理やADL等の基準)、MSWやケアマネジャーそして退院支援ナースが環境状況OKのサインを出す「退院支援の中間アウトカム」であって、これらの連立方程式を全てクリアした段階が「退院基準達成という最終アウトカム」となる訳です。

 ちょっと混乱させてしまったかもしれません。1本目のクリニカルパスには、内科医と担当看護師の知識と経験と労働力がインプット(投入)され、その過程でアウトプット(結果)をいくつか出しつつ、2本目につなぐアウトカム(成果)まで持って行く。2本目のパスでは、整形外科医と担当看護師とリハビリスタッフの知識と経験と労働力がインプットされ、その過程でアウトプットをいくつか出しつつ、退院基準を満たすアウトカムまで持って行く。3本目のパスは、患者ニーズに応じて始まり、例えば期間を要する介護保険申請などでは、早くからケアマネジャーやMSWの知識と経験と労働力がインプットされていて、退院支援ナースはその全体を見通しつつ、あらゆる局面でさまざまなインプットを惜しまない。

 「チーム医療」とは、これら多職種によるインプットとアウトプットの集合体であり、かつ、アウトカム基準によるパスの相互接続があって初めて成り立つもの、であると私は考えています。

2017/10/01

収益力改善余地と経験曲線効果の評価

「とりあえず“仕分け”終わりました!」

 ある病院で、診療実績を疾病ごとに仕分けてもらった(こちらのエントリ)あと、その理論的な裏付けについて「4つのタイプ」を提示しつつ解説しました(こちら)。でも、経営学的な分析はここからが本番です。さて、研修に出ていた皆さんの仕分け結果を詳しく見てみましょう。

 上の図は、それぞれの疾患を「4つのタイプ」に振り分けたものです。赤い字で書かれているものは各タイプにおける「件数の多い疾患」で、前回の仕分けでも提示されています。ここでは他にも、各タイプの「件数の少ない疾患」(青字)と「多くも少なくもない件数の疾患」(黒字)を併記しています。このように仕分けするだけでも、病院の収益を決める要因が明確に見えてくるはずです。

 せっかく仕分けて頂いた4タイプですが、早速これを修正する作業に入ります。
 第一に、ヨコ軸の仕分け結果を修正する取り組みです。ヨコ軸は「診療報酬-原価」で左右に分けていますが、在院日数削減の取り組みや取りこぼし加算の確保など診療報酬を引き上げていく工夫、また既存スタッフの活用やジェネリック薬の共同購入など原価を引き下げる工夫で、向かって右側の患者(「問題児」「招かれざる客」)を左側の収益ゾーンへと移動させる取り組みが必要です。こうした組織全体での取り組みのほか、患者ごとに設定される「主病名」の選びかたや疾患ごとに用意されているクリニカルパスの見直しなどで、疾患の中には大幅なコスト削減を実現させる道を探り、同様に右側の疾患の一つ一つを左側に寄せていく取り組みが重要です。こうした「収益力の改善余地」について全体と個別で検討し、速やかに実施して、右側の患者をできる限り左側に移動させていくわけです(2つの赤い矢印による「再仕分け」)。つまり、「問題児」はできる限り「看板」へ、「招かれざる客」はできる限り「金のなる木」へと転換させる施策を考える必要がある。これが修正作業の第一です。

 第二に、タテ軸の仕分け結果の再評価です。タテ軸はここ数年における患者数の「伸び」で上下に分けています。経営学的には、患者数が伸びて処置件数が多くなっていけば、対応するスタッフの経験値が増えて首尾良く医療処置をこなせるようになり、また同様の処置を大量にこなすことで規模の経済(量産効果)が引き出され、収益性が上昇していく(経験曲線)という前提があります。このとき患者数が伸びていて件数も多い各疾患においては、自院のチーム医療は「経験曲線効果」を発揮できているか否か(現在は発揮できていなくても、工夫次第で発揮できるようになる余地があるか)を判断することが求められます。その一方、患者数の伸びが滞っている「カネのなる木」は手術や処置の機会が減っていく訳ですから経験曲線効果は基本的には見込めないことになりますが、それぞれに対応する専門医療機器の技術革新や、手術等の時期を調整して一度に行ったりする工夫で、患者数が減少する中でも医療スタッフの経験曲線を上昇させていくことが可能な疾患もあります。これらを下から上へと引き上げていく、また逆に、患者数は伸びていても患者の容態は多種多様で経験曲線を引き上げにくい疾患については上から下へと移動させる。つまり、「看板」と「問題児」の上2つと、「金のなる木」と「招かれざる客」の下2つを、経験曲線効果の有無から入れ替えていく必要があるのです(2つの青い矢印による「再仕分け」)。

 以上のような左右、上下の移動をもって「4つのタイプ」を確定させ、それぞれにマッチした事業戦略を組み立てていく。病院の経営戦略は、こうして具体策を検討する段階に入っていきます(つづく)。

2017/09/28

「患者増加率×医業収益」マトリクス

「患者様受け入れの戦略的プランニング‥ですか」

 先のエントリで、病院診療実績の「仕分け」作業について紹介しました(こちら)。ある病院で、ここ数年の疾患別実績を「利益が多く増加中」の患者群(①)と「利益は多いが減少中」の患者群(②)、そして「増加中なのに利益の少ない」患者群(③)と「減少中で利益も少ない」患者群(④)の4類型に仕分けようとしたものです。経営戦略論の発想では、このような4つのグループを「戦略ユニット(事業方針検討単位)」として捉え、儲かる花形の事業単位①をさらに伸ばして拡大し、大黒柱である同②を効率化して先立つモノをひねり出し将来に備え、悩ましい同③の扱い方を革命的に見直して収益化の道を探り、縁あっていらした同④ではあるがこれを適確な他機関に振り向け自らの負担を減らして行こうとします。つまり、単位ごとにそれぞれ事業戦略の方向と発想法を異なるものとして捉え、メリハリある戦略で中長期的な経営発展につなげていこうとする「戦略思想(戦略的プランニング)」なのです。

 大学で教える経営戦略論のメインに「事業ポートフォリオマトリクス(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント:PPM)」があります。アメリカの世界的に著名な経営コンサルタント会社「ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)」が開発したフレームワークで、企業の製品や事業を「市場成長率×マーケットシェア」という二つの軸で4つの事業タイプを析出し、それぞれに然るべき戦略を明示しようとするものです。私が普段、病院で行っている研修講義では、このBCGの理論フレームの考え方に則りながら日本の医療制度における病院経営の事業環境を考量し、軸の設定や事業単位の名称を病院経営にマッチしたものに一部変更を加えて、新たに作成したマトリクス表を提示しています(以下)。

 このマトリクスでは、縦軸に疾患別の「患者数の伸び」(大・小)を設定し、各病院におけるここ数年の診療実績を、増加率が伸びている患者群と伸びていないもの患者群を分けています。BCGのマトリクスは市場全体の成長率を縦軸としていますが、日本の地域医療圏は完全な自由市場ではなく社会政策的観点のもと計画的に構築されているため、各病院が立地する医療圏での「患者数の伸び」を軸として設定しました。また、横軸に疾患別の「診療報酬収入額マイナス基本原価(診察→処方処置→手術→検査診断→リハビリまでの基本的ケアにかかる人件費、薬剤費、機械等経費、外注費など)」(大・小)を設定し、ここ数年の診療実績をDPC制度に照らして見たときの、医業収益率の高い患者群と低い患者群を分けています。この場合の大小(高低)は、各病院の保有機能によって異なります。疾病単体としては低くても、例えば急性期から回復期、さらに療養期から介護サービスに至るまで(前方から後方まで)カバーしている病院グループが、一人の患者をグループ内で連続してケアすることを前提に、「利益額の大きい事業単位」として区分することもできます。同じくBCGは(相対的)マーケットシェアを横軸としていますが、日本の地域医療制度の計画性を踏まえ、より経営業績に直結する「診療報酬の点数」を設定しました。

 こうして類型化した4つの「事業方針検討単位」ですが、それぞれのコードネームについても日本の病院経営を考量して一部変更を加えました。事業単位②を「金のなる木」、③を「問題児」とし、ここまでは日本で定着しているBCGのネーミングと同様ですが、他方の①を「看板」、④を「招かれざる客」としています(BCGではそれぞれ「花形」と「負け犬」)。

 講義のこの段階で良く聞く医療従事者のご意見が、冒頭のセリフです。「確かに“招かれざる客”かもしれないが、我々には応召義務がある」というものです。病院は公的な機関なので、「利益が少ないという理由で排除することに抵抗がある」という真摯な思いによるものでしょう。そうした場面で私は、いつも次のようにお答えしています。「日常的に意識して“花形”や“金のなる木”を増やし収益力を高めていて初めて、“招かれざる客”も余裕を持って快く対応することができるのです」。

2017/09/25

「在宅医療の充実」と共有すべき患者データ

「当院は、在宅療養支援病院として届け出ていますけど‥」

 国を挙げて、在宅医療と介護の連携推進が進められています。高齢患者が在宅で医療や介護サービスを受けられるようにするため、地域における連携のあり方をどう構築していくか、多くの関係者が精力的な取り組みを進めてきています。もちろん病院も、地域の重要な「関係機関」であり、在宅療養支援病院ともなれば、急変時の診療や一時的な入院受け入れ対応が求められるようになります。そうした病院は自ら訪問看護ステーションを設置し、ケアマネやMSWに新たな役割を与え、病棟の退院支援ナースと協働させて、地域における在宅医療・介護連携の中核的役割を果たそうとしています。

 「在宅医療の充実」のための、病院の課題とは何か。そのための地域連携、相談支援、専門研修、普及啓発、情報共有など具体的な課題が並んでいますが、そのなかで最も重要な課題は何か。その答えは間違いなく最後の「情報共有」、とりわけ「患者についての情報共有」でしょう。何より患者のことが理解できていなければ、連携も支援も研修も方向性と具体策が定まってこないからです。では、情報の具体的な共有項目とは何か。患者の名前、住居環境、病状、意思疎通能力(認知症の程度)、既往歴、収入、ADL、家族構成、対応できるキーパーソン、介護保険の適用状況、利用できる医療資源(訪問医や訪問看護)と介護資源(ケアマネや介護サービス)等々。これらのデータ収集は確かに重要ですが、ごく当たり前のことでもあります。頑張っている皆さんが行う連携なら、既に共有済みでしょう。それどころか、さらに主観的なデータも収集していると思います。患者の意思、気持ち、闘病意欲、合わせてキーパーソンの意欲、能力、関与できる時間などについて、自ら感じたり分析したりしたことを記録し、情報として共有しているはずです。

 しかしながら、「そこまで網羅的に情報を共有したのなら在宅化は完璧ですね?」と問いただすと「いやいや未だ未だ全然」と答える。続けて「それなら今後の課題は?」と聞くと「とにかく人手が足りない」で議論終了。そこから先に進めません。とはいえ高齢患者は今後さらに増える、医療財政は今後さらにキツくなるのだから、増員なんて無理。だからこそ、患者情報が重要なら、使える情報、有益な情報をもっともっと、さらにもう一段掘り起こして、活用して共有し、現状を打開して行くしかないのです。
 そこで病棟師長、退院支援担当、外来・訪看の責任者らベテランナースを集め、ケアマネやMSW部門の責任者を加え、「もっと掘り下げるべき患者情報は何か?」と問い質(ただ)し続けてみました。絞り出してもらったアイデアの利用可能性を突っ込み返す繰り返しの議論の中で、何とか見えてきた「さらなる情報項目」は次のようなものでした。

 まずは、患者の「拒否(固持)の程度」。治療上の指示や専門的なアドバイスを「固持して受け容れない」患者の状態を指標化するアイデアです。在宅医療や介護のあり方を指導しても、聞き流すだけで受け容れず、結局は再入院になってしまう(それを狙って受け容れない?)。こうしたリスクを可視化していく情報です。次に、患者の「病識の程度やIC内容の受けとめ方の変化」。患者が自分の病状を客観的に受けとめ、自分で考えて納得(インフォーム)し、客観的かつ有効な方法を自ら考え情報を収集しようとする姿勢が出てこないと、在宅医療は長続きしない。そうした姿勢変化のサインを見逃さず、ベストなタイミングで介入していくための情報です。そして、患者や家族が自ら自宅で医療処置を行う場合の「手技(技能)の程度」。痰の吸引やインスリン注射など、退院支援の際に担当看護師が丁寧に指導するものの、それがどのレベルのものか、とりわけ退院して帰宅した直後の1週間でどれだけ出来るか、どんなリスクがあるのか把握することが重要です。医療従事者が見守る病院での練習で上手く行っても、在宅時の自分の処置が上手く行くとは限らない。在宅医療は、退院日から始まる最初の1週間が肝腎。在宅医療の滑り出しを適確にサポートするため、患者や家族の対応力の実態を可視化しておく情報が必要です。

 「じゃぁ、それらのデータを数値化するなりスケールを考えるなり、患者情報として整備する方法を考えましょう!」と話を向けたら、「先生、何かそういう情報もっとありそうです‥もっと考えさせて下さい!」とのお返事。この他にも、もっともっとありそうです。「共有すべき患者データ」は継続討議となりました。

2017/09/24

院内連携のための「情報流」システム

「物流システムのように、“情報流”システムを整備するということですね」

 「物流が滞る」というのは、どういう状態を指すのでしょうか。包帯やサージカルテープなど衛生材料の物流で考えてみましょう。まず工場で製品が作られ、工場敷地内のメーカー倉庫に一時保管されます。商社や卸業者はそれを買い取ってトラックで引き取りに行き、自社の大きな物流センターに一旦運び、そこで荷分けして各地の営業所に向け分割配送し、病院グループなど大口取引先の場合はそこから直接病院へ、小口の場合はさらに小売業者を通じて、病院の用度係へと納品されていきます。この一連の製品の流れを「物流」と呼び、工場に原材料が届かなかったり、トラックが手配できなかったり、どこかの段階で倉庫がカラになってしまったり(逆に山積みになってパンクしたり)、病院の用度係にストックがなくなったり(逆に病棟の廊下に溢れたり‥)してしまうことを「物流が滞る」と言います。

 滞った物流をスムーズに流すために、企業は対策を立てます。最も簡単な方法は、多めに作って、各段階の倉庫で多めに備蓄しておくことです。でもそれでは倉庫用に広い場所を確保しなければならないので、コストが掛かって経営を圧迫します。衛生材料ならいざ知らず薬となると使用期限があるので、大量備蓄が大量廃棄になるリスクも出てきます。そのため企業は川上の工場に、川中となる卸の営業所の流通動向及び川下の小売店や末端消費者の消費動向をリサーチさせます。その結果をもとに工場は、ただ闇雲に大量生産することを止め、適正量を計画的に調整しながら生産することとし、他方、川下の小売店等は、工場の調査の限界を埋めるべく毎日の消費データを分析して工場にフィードバックしつつ、必要に応じて販促営業を強化したり、別の製品を紹介したりして、物流の最適化を図っているのです。

 病院の退院(在宅)支援プロジェクトなどで運営上の諸課題を聞いた時、良く出てくる話に「病棟やリハビリ(川上部門)の持つ患者情報が、外来や訪看(川下部門)へと流れて行かない」という現場の訴えがあります。外来や訪看のナース、MSWやケアマネジャーにしてみれば、「現場で使える共有情報が意外に少ない」「電カル上で探すのは一苦労」。つまり、物流(物の流れ)ならぬ「情報流(情報の流れ)が滞っている」ようなのです。では、その対策は何か?と聞くと、どの病院も「職種間でコミュニケーションを図り、院内連携を強化する」とのワンパターン回答。互いに話し合って頑張ろうという姿勢はいいのですが、情報の流れの川上から川下までを俯瞰し、「滞り」を調査してシステムとしての根本的改善を図ろう、という発想にならないのがずっと気になっていました。

 企業の対策としてはまず初めに、川上の工場の「ただ闇雲に大量生産する」活動の見直しに着手します。量産効果でコストダウンが図られるため、工場はついつい食べ過ぎがちです。でも胃腸が弱いのに、お得だからといってドカ食いしたら、便秘になったり体調を崩したりするのは当然でしょう。さて、ここで医療従事者の皆さんに、川上となる自院の病棟やリハビリの「情報生産活動」を改めて評価してみて欲しいのです。加算が付くから、電カルがそうなっているから、転院先に求められたからなどなど様々な理由はあると思いますが、極めて膨大な文書情報を後先考えず闇雲に大量生産していませんか?

 そうなんです、物流と同様に「情報流」もそうして滞っていくのです。物流は物を扱うので、量産し過ぎたら山積みになって目に付くし、倉庫がいっぱいになればコストが嵩むから解りやすいのですが、情報はコンピューターの中に入っているので「情報流の滞り」が実は解りにくい。しかしながら目に付かないだけで、多くの病院の情報流は既に滞っているのではないでしょうか。闇雲に大量生産して、工場の倉庫のごとく大量に山積みし、どこからどう触っていいか検討も付かない状況を放置しつつ、川下の営業所や小売店に「お前ら早く取りに来い!」「自分で探して活用しろ!」と言っているようなものかもしれません。工場における物の生産がその後の消費現場の動向分析で決まるように、病院における医療情報の生産はその後の退院支援や在宅医療の動向分析で決まる。そんな「情報流システム」構築の検討が必要になっていると思います。

2017/09/18

病院「オーナーシップ」の重要性

「“持分”のある病院は、もう設立できないんですよね」

 「持分」とは出資持分(比率)のことで、株式会社で言う「保有株式」のようなものです。会社を興すとき、出資者は株式を購入するかたちで出資金を出すのですが、その株式の保有比率によって、株主それぞれのオーナーシップ(所有者の役割や権限)が変わってきます。会社の最高意思決定機関は「株主総会」で、社長の選任や事業譲渡・合併の決定など重要事項を、株主が一株一票制の多数決で決めていきます。「一株一票」ですから、発行株式の過半数を保有する「大株主」が一人いれば、その一人の判断で重要事項の全てが決まってしまいます。これぞ「資本の論理」です。

 「持分」は、病院に残っている「資本の論理のようなもの」です。例えば病院設立時に出資者が4人いて、それぞれ25%ずつ出資すれば、その分が各出資者の所有権すなわち「持分」です。病院に多い医療法人社団の場合、出資者は「社員」と呼ばれ(「会社員」を略して言う社員ではなく、団法人の創業メンバー構成を意味する「社員」です)、それらの「社員総会」が会社の「株主総会」に当たる最高意思決定機関となって、病院の経営者たる理事長など理事の選任といった最重要事項を決めています。しかし、株式会社は一株一票ですが、社団である病院は「一人一票」です。一人に一票なので、それなりに民主主義的ではあります(資本主義的な株式会社とは異なります)。ちなみに医療法人財団の場合は、株主や社員に当たる人を「評議員」、株主総会や社員総会に当たる会議を「評議員会」と言います。

 「やっぱり病院は民主的な公的組織だから、株式会社の強欲資本主義みたいなところがなくて良いですね」という意見、医療従事者からちょくちょく聞きますが、そうそう安心できるものではありません。「病院の意思決定機関の仕組みの甘さ(自由度)」が、一人の出資者の行動一つで致命的な「資金ショート」(資金繰りが悪化して皆さんの給与の支払いが遅れたり、倒産しかけたりする状態)に陥ったり、外部の第三者の悪意ある戦略的行動一つで簡単に「乗っ取り」が行われたりするリスクを孕んでいるのです。

 先の例のように、大昔の病院設立時に25%の持分を持つ社員がいたとします。それから数十年経ち、病院が大きくなって病院の土地、建物、設備など総資産が数十億円になったとき、その社員が高齢を理由に引退しようとしたり亡くなったりして本人や関係者が持分(出資分)の払い戻し請求を行えば、その持分比率に応じて病院は「数十億円の25%」を支払わなければなりません。
 また、医療法人の持分のあり方に特別な規制はなく、持分の全部や一部を自由に譲渡することができます。株式会社なら、株式市場があり、証券取引所があり、上場基準(株式を自由に売買できるようになる基準)があり、買収のための公開取引(公開買い付け)など様々な社会制度があり、さらに売買契約、情報開示、独占禁止など様々な法律や規制があります。株式会社の企業買収は簡単にできる作業ではありませんが、医療法人の社員の持分が悪意を持つ者に譲渡され、その者やそのグループが社員総会や評議員会で議決権を行使すれば、病院経営の重要事項は全てそこで決定されてしまうのです。

 あなたは、病院の偉い人をどれだけ知っていますか? 「理事長や、理事となっている院長」は、一緒に働いているのですからよくご存じでしょう。でも、その上に、理事長の選任について議決権を持つ社員、評議員がいます。また、大株主のように大きな出資持分を持つ社員がいます。そしてその傍らに、持分譲渡から議決権を狙う第三者がいるかもしれません。それらの人たちの「オーナーシップ(病院所有者としての役割と責任、そしてビジョン)」を確認しておかなければなりません。
 ちょっと心配になってきた皆さんは一度、内閣府のこちらや厚労省のこちらで「病院のガバナンス(組織統治の仕組み)」を勉強してみて下さい

2017/09/17

健診センター事業化の経営課題

「健診センターは儲かるし、潜在患者確保にもイイんですけどね」

 病院にとって、健診は儲る事業です。そこは経営学的に、最も重要なポイントです。厚労省が民間シンクタンクに委託して行った2012年の調査報告書(こちらの48・49ページ)を見ても、それは明らかです。病院の医療外事業のうち儲かるのはクリニック、健診センター、治験施設の3つですが、収入「額」は健診センターよりクリニックがやや高いものの、クリニックは諸々コストも多くなり「益」が出にくくなっています。また、収益「率」で見れば圧倒的に治験施設ですが、こちらはそもそも市場が限られていて額が少ない。もう経営的に見ると、収益の額も多くて率も高い健診センターをやらない手はありません。その一方、残念ながら医療外事業として儲から「ない」のは、同報告書の通り保育所、訪看ステーション、居宅介護支援の3つです(だから経営的に「やるな」というわけではありません。いずれも非常に重要な事業です)。

 これだけ儲かるのに、なぜ病院は健診事業に力を入れられないのか。理由は大きく2つあると考えています。
 1つは場所と動線設計の問題です。健診は、様々な業務が一直線に並ぶラインを形成するので、工場のように広い場所で、各工程間の待ち時間が最小化するように処理ラインを設計するのが理想です。いつもの病院で、通常通り複数の外来部門がたくさんの患者を受け入れている間を縫い、健診利用者をライン動線に乗せながら随時送っていくような芸当は、自動車メーカーの最先端工場並みの管理技術を要します。1つの生産ラインで様々な車種を多様な仕様オプションごとに作り分ける、フレキシブル生産の技術です。そのレベルのライン管理技術を持つ病院は極めて少ないので、結局そこかしこで待ち時間が多くなって効率が低下し、利用者の不満が増大してしまうのです。もう1つは、人材とりわけ医師の配置の問題です。医学を修めたドクターの多くはとにかく治療がしたいのであって、健診の問診のような業務には興味を示しません(つまり医師が非協力的)。その気持ち、よく解ります。大学教授の私が「講義も研究もやらなくてよろしい。あなたは毎日、入学試験の面接だけやってなさい」と言われるようなものですから。

 周知の通り企業は、労働安全衛生法(労働安全衛生規則)のもと、雇い入れた従業員の健康診断を行う義務を負っています。とはいえ企業も従業員も大企業から中小企業まで様々で、これらからの受注チャンネルが色々あります。大企業やその健康保険組合は自社従業員のニーズを捉え、それに適合した健診プランや予約システムを提示する健診センターと契約します。また、インターネット予約システムなどをオープン化して病院や健診センターにつなぐ代行会社もたくさんあります。そして、法の規則とはいえ余りおカネを欠けられない中小・零細企業とその従業員向けに、国が国庫からコストを補助する「協会けんぽ」(全国健康保険協会)の仕組みがあります。

 さらには、それぞれを経由する企業の健診ニーズも異なっています。大企業などでは女性の雇用や管理職への登用の機会を拡大させる動きが顕著になっていますが、そうなればこれまでの男性向けのメニューを改編して行かなければなりません。「乳がん・子宮がん健診の同日利用」や「男女別ライン動線の確保(検査着姿を男性に、とりわけ同僚の男性社員には絶対見られたくない)」など、女性向けの体制整備が必要です。一方、中小企業はどこも人手不足が慢性化しているので、「とにかく早くしてほしい。待ち時間があって長引くと(会社で待っている上司が)イライラしはじめる」と訴える総務担当者が増えています。こうした様々な企業の声に耳を傾け、儲かる事業がさらに儲かるように取り組んでいかなければなりません。

複合疾患の増加と「転科パス」

「内科と整形の研修医の忙しさの違い、ちゃんと見て下さいよ!」

 その病院の医局では、整形外科ドクターの疲弊が目立っていました。骨折患者が多いのはそこも同様で、救急から入院となった患者を整形外科のドクターが主治医として受け入れていました。しかし、入院からしばらくして患者の発熱や容態悪化で肺炎が確認され、内科ドクターの診察の後、点滴抗菌薬の投与で発熱とCRP値が基準値を下回るまで骨折の手術を見合わせる、というパターンが増えています。ここで取り上げたケースは、大腿骨頸部骨折(整形外科)と肺炎(内科)の複合疾患でしたが、主治医を変更する再調整業務など医局政治的に大問題、ベッドの引っ越し移動もナース以下の大仕事となるので、その肺炎治療中の患者の主治医は整形外科ドクターのまま、病棟もベッドもサマリー担当も当然ながら手術も整形外科のままとなって、整形外科所属の医師は部長から研修医まで終日てんてこ舞い‥。これが「疲弊」の構造です。患者の高齢化に伴い、こうしたケースはどんどん増えていくでしょう。

 このとき、経営学者が考える「最大の問題」は何だと思いますか? 整形外科ドクターの長時間労働、医局間のコミュニケーション不足などいずれも大きな問題ですが、「最大」ではありません。ここで、私が最大の問題として捉えるのは「タスク間従属関係の逆転」です。これは生産管理論の視点で、以前のエントリ(こちら)でお話した「カレーの具材仕込みと煮込みが終わっているのに炊飯器のスイッチ入れるのを忘れていた」ケースと同じです。肉や野菜を切るタスクは炊飯のタスクに「従属している」のに、つまり最も時間を要する炊飯器でご飯が炊けるまでの間で、具材の仕込みやら煮込みやら「その間で処理できるタスクを填め込む(従属させる)」工程のプロセス構築が不可欠なのに、現実がそうなっていないという問題です。内科が炊飯、整形外科が具材仕込みで、整形の仕込みは内科の炊飯に従属するタスクなのに、従属・被従属間で連携がとれていないばかりか、被従属タスクを担当する内科がクリティカルな(最重点管理工程としての)役割を果たしていないのです。

 「カレーライス」が解りにくいかもしれないので、整形外科と内科の話に戻します。この複合疾患の治療で、熱とCRPが下がらないと骨折の手術が出来ないということは、整形外科の手術は内科の治療に「従属している」ということを意味します。各タスクの従属・被従属関係が明確にある複合タスクにおいては、被従属タスクを担当する部門(この場合は内科)がリーダーシップを取るのが通常の姿です。点滴抗菌薬による治療の経過観察を行い情報を共有し、後に続く骨折手術の担当者に必要なリードタイム(手術の準備をしっかり行える時間的余裕)を与え、ケースごとのバリアンス(軽快化までの想定時間の見込みが外れたケース)の原因を分析して次に備える。流れ作業におけるリーダーシップの基盤は、「待っているタスク担当への思いやり」であり「従属タスク全体への目配せ」だと考えています。

 問題を解決するため、その病院の医局では新たに(整形外科から内科への)「転科パス」の整備を検討することにしました。まず、転科の客観的基準を明確化することとし、整形外科主治医の骨折患者が「体温38.5℃、CRP値15」を上回った場合に、病棟師長などの経験あるナースが腎機能や肝機能などその他指標や患者の容態を総合的に勘案して、所見とともに「転科申請」を行い、必要に応じてカンファレンスを設ける。そして、この一連のタスクの流れを「転科パス」として組み上げて院内に周知し、担当それぞれの責任範囲を明確にしつつ、タスク執行に必要な権限を与える。クリニカルパス整備の観点で言うなら、既存の内科・肺炎パスと整形外科・骨折パスをつなげる「転科パス」は、言わば「バイパス手術のグラフト」のようなものです。

 「こんな面倒なことしなくても、昔なら、院長のリーダーシップでちょっと話して、すぐ調整できたんだけどなぁ‥」(整形外科の年配ドクター)、「それができないから現場が疲弊してるんじゃないですか?」(私)。そんなやりとりで、静にコンサルティングが終了しました。

2017/09/12

MSWによるセグメンテーション

「“顔が見える連携”なら、“顔を見に行くアタックリスト”を作って下さい」

 戦略的な地域医療連携のための第一歩こそ、セグメンテーションの実践です(詳しくは、こちら)。セグメンテーションとは、医療で言えば「様々なニーズや特性をもとに、患者や連携先を分類する作業」です。作業の担当者を決めるとすれば、MSW(医療ソーシャルワーカー)が最右翼でしょう。MSWこそ日々、患者・家族と接し傾聴してニーズを探り、前方後方の病院・施設のMSWと連絡を取り合って連携のあり方を模索している専門職だからです。
 さぁ、病院内のMSWを集め、マーケティング研修の始まりです。その第一時限目が、この「セグメンテーション」です。

 まずは、患者セグメンテーションです。とにかく「分ける」作業なのですが、分けるためには「分ける軸」が必要です。これまでの入院患者リストを手元に、患者さんの年齢、男女、住所、病名などの基礎的属性で分けるところから始めます。研修出席者の皆さんに「どんな属性の患者さんが多いですか?」と聞けばたいてい、「後期高齢者、女性、ご近所、骨折関係(頸部骨折or圧迫骨折)+α(心不全などの複合疾患)」なんて返事が返ってきます。次はちょっと難しくなります。今度は患者さんと家族の「心理的状態や行動パターン」で分けてもらいます。例えば、家族関係、同居か独居か(家族が遠くにお住まい)、認知症の程度、在宅環境(家の中はゴミ屋敷だったり‥)、本人の生活能力(要支援か否か)などです。分類基準は何でも構いません。これまでのケースをもとに、自由に分ける作業を行って頂きます。

 そして、連携先セグメンテーションです。今度は病院の機能(立ち位置)によって少々視点が異なってきます。急性期なら連携先は後方中心、回復期や療養期なら前方と後方の双方となるでしょう。施設を分ける作業なので、そのための分類軸(基本的属性)となると、施設機能、病床数、診療実績(DPCデータ)、所在地あたりでしょうか。同様に「どんな属性の連携先が多くなっていますか?」と聞けば、その病院のタイプ別にパターンが決まってきます。例えば、整形外科・内科とリハビリを主とした小規模回復期病院であれば、「前方、急性期、大規模、骨折」となるでしょう。さらに同じく少々複雑な「心理的契約や連携パターン」による分類も行ってもらいます。この回復期のケースなら、前方病院の看護・リハビリの質(「あそこは褥瘡が多い」「ADLのデータと実態が合わない」)、MSWの質(「反応が悪い」「人が直ぐ辞める」)など、これまでのケースをもとに、自由に分けて頂きます(ここまで来ると出席者は言いたい放題、結構愉しそうです)。

 さて、セグメンテーション研修はいよいよ佳境に入ります。分類してもらった「患者セグメント」「連携先セグメント」のそれぞれをホワイトボードに並べて書いて、全員でブレーンストーミング(自由な発想での企画会議)をして頂きます。「1つのセグメントで十分な医業収益を確保できる規模があるのはどれか?」「最も競合の少ないセグメントはどれか?」「最も効率化が可能なセグメントはどれか?(それはどんな方法か?)」「自院の医師やスタッフは、どのセグメントを得意としているのか(逆に、苦手としているのか)?」「どのセグメントに特化すれば(を強化すれば)、地域自治体や連携先施設に喜ばれるか?」「理事長以下、病院スタッフ全員が共有する理念を最も良く体現できるのは、どのセグメントか?」などなど何でもOK、事例を含めて喧々諤々の議論をしてもらいます。すると、セグメントやセグメントの組み合わせに優先順位が見えてくるので、それぞれのセグメントに入っている病院等を上からリスト化すると、MSWが訪問して「顔を見に行く」べきアタックリストが浮かび上がってくるのです。

 最後に私から、「研修お疲れさまでした。では、そのアタックリストを持って、理事長、院長、看護部長、関連する診療科部長(例えばリハビリ部長)、事務長のところに行き、議論の内容を説明して、ご意見をもらってきて下さい」。これで第一時限目終了です。

地域医療連携の「目的と手段」

「地域医療連携の重要性は判っていますが、でもどうすれば‥」

 余裕ある最新施設に最高のスタッフを多数揃え、医療圏の患者を全て受け入れて、その全てに最適かつきめ細かな医療を施す。それが可能なら、医療機関としての社会責任をしっかりと果たし、地域に胸を張ることができるでしょう。しかしながら現実問題として、それは理想に過ぎません。施設面もスタッフ面も、余裕のある病院はごく稀です。医療資源は現時点でも相当限られていて、今後はもっともっと厳しくなります。理想の地域医療を現実化させようとすれば、それは経営側が膨大なコスト支出を覚悟するか、現場の労働力に多大な負荷をかけるか、のいずれかの選択になってしまいます。

 医療者には応召義務があります(医師法19条)。たとえ深夜でも、休診日と設定した曜日であっても、急患があれば診療しなければなりません。その一方、現代の地域医療では、機能の分化、分担・連携と適正な配置(ポジショニング)がなされています。夜間に救急を受ける機能や集中的に高度な医療を提供する機能(ショートポジション)、中長期にわたって回復・療養を支援する機能や在宅復帰後の在宅医療を支援する機能(ロングポジション)という二つのポジションが、それぞれ分化するとともに融合しています。その他にも診療科など、得意分野別の分化、分担があります。これら高度に分化・分担された地域医療のシステムが高度に連携し、地域全体で応召義務を果たしているという解釈があって初めて、個別レベルで「受け入れを拒む」ことが可能となるのでしょう。

 以上の環境を踏まえ、各医療施設運営の「効率」を求めつつ、患者が求める医療「効果」の最大化を図る方法こそ、皆さんがた医療従事者が常日頃から重ね重ね仰る「地域医療連携」です。とはいえ現状はどうでしょうか。はっきり申し上げれば、「言うは易く行うは難し」にあるのが現状でしょう。効率的かつ効果的な連携は遅々として進まず、相変わらず各経営のコスト負担と各現場の労働負荷に頼り切っているのが実態です。「受け入れを拒」めば「たらい回し」とまで言われます。では、なぜ進まないのでしょうか。私は、「地域医療連携」はあくまでも目標・目的であって方法・手段ではない、医療者の皆さんはそこが整理できていないのではないか、と考えています。もっと言えば後者の「手段・方法」のアイデア不足、連携のために何をするか、の「何」が未だ未だ足りないのです。

 「手段・方法」として現在行われているのは、大きく「地域連携パスの整備」と「顔が見える連携(地域レベルでの会議開催)」の二つでしょう。非常に堅実で、網羅的な取り組みだと思います。皆さん各自の職場での激務をこなした上で地域の会議に出席しているのですから、本当に頭の下がる思いです(不真面目な私には真似できません)。しかしながら敢えて言わせて頂ければ、そこには「戦略性」がない。経営学的に格好良く言えば、「戦略的マーケティング」がないのです。
 この流れで考えられる定石的な「手段・手法」は、マーケティング活動の第一歩「セグメンテーション」だと思います。英語の直訳だと「分割、分裂」、経営学(マーケティング論)の定義だと「不特定多数の人や組織を同じ特性やニーズを持つ固まり(セグメント)に集めて分け、それぞれに特化する対応をとって、自らの内部効率性と外部との競争力を高めること」です(こちらにつづく)。

2017/09/11

アウトプットから「スループット」へ

「スループットとか、初めて聞きました」

 いま私はパソコンでワープロを立ち上げ、この原稿を書いています。文章が出来上がったら、パソコン画面で印刷指示を入力(インプット)しプリンターから出力(アウトプット)するのですが、昔は「“印刷”をポチっ!」から「プリンターから紙がガぁー」までソコソコ時間が掛かっていました。マウスでポチっとすると、パソコンが静かに「スコスコ」言った後、プリンターが騒々しく「ウィンウィン、ギーガチャ、ギーガチャ」と10秒弱唸り続け、その後しばしの沈黙があってから「(紙が)ガぁー」、でした。それが最近は、明らかに機械の性能が向上しています。いまは、ポチっから1~2秒でガぁ-です。

 このパソコンとプリンターの変化は、経営学で言うところの「スループットの向上」です。スループット(through-put)とは「処理力」を意味し、IT産業や製造業では「一定時間当たりの処理量・処理スピード」と定義されます。マウスを「ポチ、ポチ、ポチ、ポチ」と連打して、一定の時間内で「ガーーーー」と何種類の印刷が出せるか、という能力です。文字通り、「through(通して)put(置く)」能力のことです。毎日の何気ない文書の印刷も、コンピュータのCPU(中央処理装置)の能力が向上して、様々な情報インプットによるたくさんの指示もサクサクこなせるようになり、プリンター内部でもローラーを組み合わせた紙送り技術が向上し、給紙から転写そして排紙のシステムが効率化されました。インプット(印刷指示)とアウトプット(印刷)の間にある概念が、このスループット(処理速度)なのです。

 インプットからアウトプットまでの処理スピードと処理量がスループットなので、文章そのものの入力もインプットだとすると、モノ書きとしての私のスループットは、「キーボードを叩き始めた時点から原稿の出稿までの時間」、そして「時間当たり何編の原稿を書き、編集者に入稿できるか」という執筆能力を表す尺度となります。アイデアが思いつかず、キーボードの上で両手の動きが止まりウンウン唸っている私は、さながらスループットが低い一昔前のプリンターです。さらに、私が持っていたプリンター自体も反応が悪く印刷時間が長いのですから、スループット的には最悪な組み合わせとなるのでしょう。

 実は、病院に勤める医療従事者の皆さんは日々、この「スループット」に向き合っています。理事長や看護部長が毎日のように叫ぶ、「診療計画書はその日に出せ!」「シームレスな(滞りなく流れるような)チーム医療を!」「ベッドは稼働していて当然!」「ベッド1台当たりの患者回転率を引き上げよ!」「退院支援を強化せよ!」「平均在院日数は可能な限り短く!」などのお小言は全て、経営学で言う「スループットを引き上げろ」を意味する指揮命令です。「救急は断るな!」「MSWは患者を取りに行け!」というインプットや、「受け入れ特養を探せ!」「訪看や小規模多機能を使って在宅化を推進!」などのアウトプット戦略も重要ですが、その間にある肝腎のスループットが滞ったままでは、病院経営内部の本質的な構造改革は何時まで経っても成し得ないのです。

 日本企業の製造現場は、全社的なスループットの引き上げを目指し、各担当部門の一人一人が話し合い、互いに連携しつつ、涙ぐましいほどの「小さな小さな工夫」を積み重ね続けています。生産計画を立て、計画書を共有し、毎回のように見直し、それに合わせて生産ラインを組み、全体のスピードを考え、生産しながら計測し、ちょっとしたボトルネック(流れの滞留)も見逃さず、必要に応じてラインを組み直し、各部門が数秒ずつ短縮させ、工場のライン全体で数分短縮できたら大成功です。さながらオリンピックで銀メダルに輝いた、男子陸上400mリレーのバトンパス技術のようです。
 少なくとも製造業では、「計画をいくつか標準化(パスを整備)」「顔が見える連携が必要」「互いの仕事内容を理解すべき」「リスペクトし信頼を育む」なんてレベルではお話になりません。

2017/09/10

情報社会の「患者アウトカム」

「その治療の成果は、患者の求める“アウトカム”になっていますか?」

 貧しい時代、社会が求めていたのは「アウトプット」(生産量)でした。明日食べるものがない、お店に行ってもモノがない、の無い無い尽くしで、市民は様々なものに飢えていました。それを見て立ち上がった事業者が、生産を始めます。作ったそばから売れていくので、大量に作った事業者が評価されました。さらに、貧しい市民はおカネがありません。それゆえ出来るだけ安価なモノが求められていました。事業者はインプット(資材投入)にコスト(経費)とマージン(利益分)を乗せて価格を決めますが、それを抑えるために、大量生産を志向しました。量産効果でコストダウンが実現するからです。その意味でも、量産つまりアウトプットの量的拡大が大きな目標になっていました。

 豊かな時代に入り、店先にモノが溢れるようになって、単なるアウトプットは評価されなくなりました。何かモノを作った、事業者がアウトプットしただけのモノに、消費者は見向きもしなくなります。消費者はモノに飢えているわけではなく、消費者が価値を見出したモノしか売れません。事象者が生産し売り出すアウトプット(生産物)によって、何らかの成果、効果、価値、満足が得られると消費者が確信したとき、消費者はそれを購入します。しかし、その「何らかの成果、効果、価値、満足が得られなかった」とき、消費者は不満を持ち、その事業者を低く評価し、社会に訴えます。消費者の「何らかの成果、効果、価値、満足」こそが、この時代の「アウトカム」(成果)なのです。

 さて、これらを医療に置き換えて考えてみましょう。肺炎で発熱している患者を診察し、診療計画を定め、入院させて点滴抗菌薬を投入(インプット)します。幸いそれによって炎症が抑えられ、CRPが低下し熱が下がったとします。このときの「体温37.4度以下、CRP10mg/dL以下」という状態及びそれを示すデータ、これが医療の「アウトプット」です。しかしながら多くの患者は、このデータを客観的に評価することができません。「貧しい時代」が求めた工業社会は、「豊かな時代」に入り、既に情報社会へと変化しています。豊かな時代の患者の場合、そのアウトプット(治療結果のデータ)に「成果、効果、価値、満足」を感じられなければ、それは「アウトカム」ではないのです。「抗菌薬のインプットによって、私たちは下熱と炎症回復というアウトプットを得た。もう治療することはない。退院して欲しい」と医療従事者が説明しても、患者は「まだ私のアウトカムは来ていない。あなたのアウトプットに私は価値を感じないし、満足できていない。退院など論外。満足のいく治療をして欲しい」と出張し、両者の議論は平行線を辿ってしまうのです。

 現代の豊かな情報社会においては、医療におけるアウトカムの目標は、あなたの患者が「何らかの成果、効果、価値、満足を得た」と感じるレベルに設定しなければ意味をなしません。患者が「成果、効果、価値、満足」を感じない限り、そのアウトカムは貧しい時代のアウトプットに過ぎないのです。医療従事者の出したアウトプットを、患者と家族がアウトカムとして評価できるように、解りやすい情報提供、客観的かつ相対的な状況説明、インタラクティブな(対話を介した)評価指導が徹底されなければなりません。「患者のアウトカム」のハードルは、情報社会の進展とともに、加速度的に高まってきているのです。

2017/09/09

自ら行う地域医療マーケティング

「凄い! まるで経営コンサルタントみたいですね」

 コンビニであれクリニックであれ、新たに出店(開業)する場合は、予定あるいは検討している地域の基本情報を分析します。とりわけ、その地域の「人口」です。人口の多いところに出店(開業)すれば、たくさんの来客(患者)が見込めるはずです。大手コンビニチェーンなどには「(出店調査のための)地域マーケット分析」を専門に行う部署があって、エリア内の人口や気候など基本データのほか、学校やホテルなど人が集まる施設の立地、スーパーや酒屋など競合店の立地、駅の乗降者数や道路の交通量、地域イベントの年間スケジュールなどを綿密に分析して、出店先を決めています。

 こうした「出店マーケティング」は今でこそ当たり前ですが、由緒ある病院が開業した数十年前は、こんな分析調査はありませんでした。もちろん、その関係の専門部署などもっていません(医療事務だけで精一杯なのに、ましてやマーケティング部なんて‥)。しかしながら、数十年も経てば、周囲の環境も大きく変わってきます。例えば、新しい駅ができた、大規模商業開発があった、大きなマンションができた、あるいは逆に商業施設が撤退したなどなど、地域の環境は変化しています。こうした時、多くの病院は、外部のコンサルタントに頼ってしまいます。クリニックの新規出店の際も同様でしょう。「医療が専門なのだから、マーケティングなど専門外の仕事は外部に任せたほうが良い」。ある意味、それも真理です。

 とはいえ私は、病院の皆さんが「自ら、地域マーケティング分析」を行うよう勧め、積極的に指導しています。理由は、「自分らの働く地域のことは自分らが一番知っている」(経営コンサルタントはみな優秀ですが、その地域に住んで働いているケースは極まれです)こと、そして「情報化が発達して、昔に比べ分析が簡単になった」(インターネットにつながったパソコンがあればOK)からです。

 さて、私が住んでいる東京都世田谷区で、それをやってみました。Google検索で「世田谷区_人口_町丁別」と検索すると、「世田谷区の町丁別人口」という世田谷区役所のホームページがヒットします。そこをクリックして区の統計情報のページに入り、そのなかで「年齢別人口」→「平成29年(2017年)」→「北沢地域(町丁別)」と進んでいくと、「○○何丁目」ごとの年齢別人口が全て入ったエクセルファイルが出てきます(こちらです)。そのファイルには、「自分の住む地域(丁目別)で、ことし何人の子どもが生まれたか(ゼロ歳の数)、75歳以上の高齢者が何人いるか」などが全て出ています。役所のデータですから、もちろん無料です。毎年度、データが蓄積されています。それらを分析することで、病院周辺の人口動態が克明に分析できるのです。エクセルをちょっと使ったことがあれば、誰でもできることです。ただし、東京などの大都市や地方の中核都市はこの情報公開レベルにありますが、過疎地域の自治体だとここまで出ていないかもしれません(公開はPDFファイルのみ、など)。でも、そうした自治体では「人の付き合い」が逆に密なので、ぜひ役場の人に電話して直接問い合わせてみて下さい。

 さらに「おススメ」したい方法があります。それは、こうしたマーケティングを事務職員ではなく、OTと高齢患者さん達の作業療法としてやってみてもらうこと。部屋に地域の白地図(役所で売っています)を大きく広げ、みんなで「塗り絵」作業をしてみて下さい。「その一角は高齢人口が多いから赤に塗ってね!」(OT)、「あぁ、ここは特養があるから多いんだね」(パートさん)、「あのね、この土地は昔、沼地でね、私ね、小さい頃ここで遊んでね‥」(患者さん)などなど、ワイワイがやがややりながら、その土地の歴史と今を知る。これこそ究極の「エリアマーケティング」だと思います。

2017/09/08

財務諸表と筋トレダイエット

「全く解りません。一言で説明するとすれば、どんな感じになりますか?」

 貸借対照表(こちら)も損益計算書(こちら)も、会計関係の文書(財務諸表)がとにかく苦手で、「どこからどう見て良いのか、全く解らない」と仰る医療従事者が本当に多いと感じます。そうした声を聞くたび、手を変え品を変えイメージだけでも理解して頂こうと色んな言葉で説明したりしていますが、「何となく解った気がする」という反応があるのは以下のような例え話です。

 ダイエットに励んでいる人や、筋力強化トレーニングに取り組んでいるアスリートがいたとします。まず、ダイエットやトレーニングに入る前に内臓脂肪CT検査をして、お腹周りを輪切りにした画像を撮ります。その後、専門家によって期間を設定しプログラムが組まれます。現状の把握から目標を定め、その間どのような種類の食事をして、どのような種類の運動をするのか計画を立てます。その実行は、それぞれカロリーを計算しながらプログラムを消化していくのですが、同時に体重やBMIなどの解りやすいデータ指標を設定し、プログラムの進捗に合わせて指標の変化を追い、経過を記録した進捗報告書が作成されます。そして、定めた期間が来たら、もう一度CT検査をして画像を撮り、実際のどの脂肪がどの程度小さくなったのか確認します。OTやPTの方々がリハビリでいつもやっていることなので、容易にイメージできるでしょう。

 ここで会計の世界へアタマを切り換えて下さい。このダイエットやトレーニングに取り組む「人」、これは「病院」です。そして、そのプログラムに取り組む「期間」、これが「事業年度」です。日本の場合、企業や病院など事業組織の事業年は「毎年4月1日~3月31日」となっています(法制度上は、事業年を何月から始めても構いませんし、期間の日数が1年に満たなくても構いません。各組織が自由に決定できます)。

 さて、ここから財務諸表が登場します。「期間」の節目に撮った「CT検査画像」、これが「貸借対照表」です。CT画像には、その人の胴回りとその内部の骨の太さや筋肉や内蔵や脂肪などが「面積」で可視化されているはずですが、「貸借対照表」には、その「病院」の土地や病棟建物や購入設備や銀行預金などが「価格」で可視化されているのです。そして、プログラムの実施期間に入って様々な取り組みを綴った「進捗報告書」、これが「損益計算書」です。報告書には、期間内に食事によって摂取した総摂取量と同じ期間内に消費した総消費量が記録されるとともに、併せて有酸素運動や筋力トレーニングなどの活動をどのようにどれだけ実行したかが記録され、それらを「カロリー」で可視化しています。これと同じように「損益計算書」では、期間内に入った診療報酬の総収入量と同じ期間内に使った経費の総コスト量が記録されるとともに、併せて診療科別などでどのような活動がどれだけ実行されたのかが記録され、それらを「金額」で可視化しているのです。さらに、期間つまり年度が終わった次の節目に再度CT画像を撮って体内の脂肪と筋肉がどの程度変化したかを確認するように、年度終わり時点の貸借対照表で預金(キャッシュ)と病棟設備の変化を金額の動きで確認しているというわけです。

 例えて言えば、さながら「預金は脂肪、病棟設備が筋肉」で、適切な体幹バランスがとれるよう組まれる「プログラム計画は病院予算」です。財務諸表は、カラダの現状と変化の推移を確認する重要な文書なのです。

2017/09/07

多職種連携のための “communication”

「IPWが上手くいかないので、マーケティングとリーダーシップを教えて下さいませんか?」

 私の専門が経営学だと聞くと、このような話を向けてくる病院経営者が結構いらっしゃいます。まさに、国を上げての地域包括ケアシステム構築が求められるなか、IPW(Inter-Professional Work:専門職連携)の生産性引き上げは喫緊の課題です。地域に密着する病院はいずれも、在宅医療に向けた退院支援の推進に熱心ですが、そのためには医師、看護師(プライマリー・退院支援・訪問看護ナース)、療法士(OT・PT・ST)、MSW、ケアマネジャー、介護福祉士など関係「専門職」の「連携」が絶対不可欠となるからです。

 「連携!」の掛け声は良いとして、患者ADLの向上、在院日数の短縮、再入院率の削減など実際の生産性データは思うほど芳しくなく、多くの理事長が歯がゆい思いをしています。その理由としては、①患者視点が欠けていて、患者ニーズをしっかり捉えられず、また②専門職同士の相互理解が不十分で、それぞれのモチベーションが活性化されていないため、結果としてIPWチーム医療のシナジー効果(相乗効果)を十分に引き出せない現状がある、と考えられています。それゆえ、①の「患者視点と患者ニーズ」を捉えるために、経営学の「顧客志向マーケティング」を、そして②の「相互理解とモチベーション」を高めるために、同じく経営学の「組織リーダーシップ」を、病院の専門職たちに是非教えてあげて欲しい、とうことなのかと思います。

 そんな懇親会などでの立ち話の多くはその場限りのものなので、そうした話の流れでは病院経営者の方々に、とりあえず「自ら考えるヒント」をお伝えすることにしています。それが標題、“communication”の言葉の語源と意味です。
 communication(コミュニケーション)の語源と意味は、単なる「対話」ではありません。元々はラテン語の“communicatio(コムニカチオ)”が語源となっていて、その意味は、“share(シェア)”つまり「分かち合うこと」です。また、単語そのものをスペルから分解していくと、接頭辞の“com-(ともに、一緒に)”に、“municipal(自治の仲間=地方自治体の)”の意味を持つスペルが続き、最後は“-cation(-化)”で終わります。これらから考えると、コミュニケーションという言葉には「課業の“シェア”と業務の“共同自治”化」という目的的な意味が込められていると考えられます。現代でいう「対話」を手段としながら「仕事のシェア(分かち合い)と業務の共同自治(自らの責任による自らの処理)に向けて活動するさま」を表しているのです。

 マーケティングもリーダーシップもいずれも、経営学の主要科目です。これらの講義研修を新たに企画してしまうと、これまたもっともらしい膨大なコンテンツと学習メニューが提示され、真面目な医療従事者の皆さんはそれらのメニューを日々こなしていくことに傾倒してしまうでしょう。「真面目なスタッフ」にまず提示すべきは学習メニューではなく、本質を表すキーワードだと思います。IPW(専門職連携)が今ひとつと感じた場合は、第一に、業務全体の「仕事を分解」(WBS:詳しくはこちら)して関係専門職に改めて「シェア」し、第二に、各仕事における担当者の「責任を明確化」させて自らチームで「共同管理」する仕組みを作り、そして第三に、その仕組み作りに向け、担当者間での「対話」を継続させる。まずはこれだけ、で現場を見直してみることが肝要です。

2017/09/06

人材も「仕分け」てみる

「話す人が決まってますから、何を議論しても結論は一緒です」

 病院にはいろいろな会議やカンファレンス、打ち合わせがあります。それらミーティングには、大きく二つの種類があります。一つは、決められたポイント項目を確認し、情報を皆で共有するためのもの。例えば、日々の「申し送り」や定例の経営会議などです。情報が的確に隅々まで伝達されるなど、効率的側面が重視されます。メールやテレビ会議システムを使ったIT技術が導入されたり、ダラダラしないよう立ったまま行うなど「進め方・運営の工夫」が求められます。もう一つは、課題や方向を設定し、皆で自由に議論して、何らかの目標や結論を得ようとするもの。例えば、症例検討のカンファレンスやプロジェクトの企画会議などです。白熱した議論に全員を参加させるべく、教育的側面が重視されます。技術的・経営的な課題に取り組ませたり、専門家を招聘したりするなど「討議内容の工夫」が求められます。

 これら「ミーティングの質」は、経営者が最も気にするポイントです。精密なコードで適確な情報がトップからボトムへとスムーズに流れ、組織全体が効率的に整然と動いていく。また、現場のボトムで働くスタッフが気後れせず議論に入り、トップが傾聴して真摯に受け答え、同じ方向を向いた組織全体が活気と熱気に満ちていく。こうした雰囲気が確認できた経営者は、少しぐらい平均在院日数が伸びても病床稼働率が伸び悩んでも、気にしたりしません。こうしたミーティングができているなら、悪い数字も「三寒四温」の「三寒」の一つに過ぎない、と余裕が持てるからです。
 経営者が様々な会議に顔を出し、「ミーティングがスッキリまとまってるね」、「議論がしっかり出ていた企画会議だったね」と満足できていたとしても、しかしながら実は、その背後に大きな構造的問題が横たわっていたりすることがあります。意外に見過ごされがちなポイントです。

 そのシグナルが冒頭のスタッフの、何気ないセリフなのです。経営者目線で見れば、「あのミーティングも、その企画会議も、○○さんのリーダーシップがあったから。○○さんこそ次世代のリーダーだね」。とはいえ、でも現場はそれほど上手く行っていない。多職種協働、チーム医療、全員経営など、そう言えば依然として掛け声だけに終わっている。そんな状況や展開、心当たりありませんか?
 性善説で考えれば、きっと「その○○さん」は患者を思い組織のためにと、一生懸命頑張っていると思います。逆に性悪説で考えれば、「○○さん」は会議で自己実現、自己確認したいタイプが、経営者へのアピール兼ねて発言しているだけでしょう。そのどちらかは、実際見てみないと判断できませんが、そうした状況を全体から打開し、組織の問題を体幹からほぐしていくノウハウがあります。

 是非、会議や打ち合わせのグルーピングを一つでも、「人材のタイプで仕分け」して実施してみて下さい。私が研修のグループワークで、まず最初に行う作業です。常に声を出して会議の場を仕切るリーダータイプだけ集めた会議、リーダーのリーダーシップに協力(あるいは迎合)して場を持たせようとするマネージャータイプだけ集めた会議、リーダーとは一線を画し個人プレーの仕事に走る職人タイプだけを集めた会議、残業はせず仕事は効率化第一で会議では早く終われと押し黙っているワークライフバランスタイプだけを集めた会議です。
 きっと、場の雰囲気やコミュニケーションの展開が、いつもの会議と違ったものになるはずです。「仕切屋」タイプばかりが集まれば、発言のチャンスは減りますが、各自は話す内容のキレを上げようと切磋琢磨します。押し黙るタイプばかりを集めれば、誰も話さない気まずい雰囲気に耐えきれず、誰かが口を開き話し出します。こうして発言の場のレベルが上がり、その場に四方八方から多様な人材が出てくるようになるのです。

2017/09/05

医師と看護師の「働き方改革」

「もう毎日忙しすぎて、とにかく政府に何とかしてもらいたい一心ですね」

 2017年の東京の夏は雨ばかりでしたが、霞ヶ関の労働界隈は非常にホットな夏でした。政府は前年の夏「働き方改革担当大臣」という新ポストを設置し、翌年ことしの春「働き方実行計画」を発表しました(詳細はこちら:首相官邸HP)。そして、この夏、その法律案がまとめられています。法案に対し各方面から反論が出て、それをマスコミが取り上げ、国民的議論になってこじれて廃案‥という流れは隣国のミサイル発射と核実験ニュースにかき消されそうなので、この秋の臨時国会法案提出が順当かな?と考えています。そして国会通過で成立すれば、速やかに周辺のガイドラインや施行細則が整備され、翌年あるいはその次の年度はじめから法施行、新たな「働き方」が始まるということになります。

 「で、何を改革するのか?」ですが、大きく二つ「時間外労働の上限規制」(労働基準法、労働安全衛生法などの改正)と「同一労働同一賃金法制」(パート労働法、労働契約法などの改正)が目玉です。
 「時間外労働の上限規制」については2016年の秋、大手広告代理店社員の自殺が過労死と認定されたことが背景にあります。これをマスコミが大きく取り上げ、長時間労働が社会問題となりました。これらを受けて政府は、時間設定に関する紆余曲折の議論の結果、時間外労働の上限を「原則月45時間、年360時間、特例の場合は年720時間」と設定しました。さらに、従来まで猶予されていた中小企業にも「割増賃金率」を新たに適用し、年収1,075万円以上(「平均年収の3倍以上」という基準)の人なら一定条件の下で長時間労働も可能な「成果型労働制」(高度プロフェッショナル制度)を新たに設けました。
 一方、「同一労働同一賃金法制」については、いわゆる「正規・非正規間の格差」が、長らく社会問題としてマスコミに注目されてきたことが背景にあります。これを受けて政府は、短時間パートも有期契約もいずれも、職務内容が同じなら正規と「均等待遇」にするよう求め、「賃金などの待遇決定は個別の労使決定が基本だが、不合理な待遇差は是正が必要」という理念を掲げた法律を新たに作り、労働者からの裁判が増えることを前提に、各職場に「職務の成果、意欲、能力、経験」の司法判断要素を整備するよう規定を設けるとしています。

 これらは「法制化」つまり法治国家の法律ですから、もちろん医療の現場にも原則例外なく適用されます。
 時間外労働(残業)の上限については、年720時間のほか「休日出勤を含み2~6ヶ月平均で月80時間以内、休日出勤を含み単月で月100時間未満、月45時間を上回るのは年6回まで」とする「過労死基準」も法制度に加えられます。しかしながら医師については、医療現場の現実と応召義務の存在が考慮され、とりあえず「適用除外」となりましたが、「2年を目処に議論して規制のあり方をまとめ、法改正5年後を目処に規制を適用」する方向が示されています。今のところは先送りとなっていますが、今後の「ウルトラC」(例えば、医師を「年収1,075万円以上」の枠に組み入れる等)もあり得ないことではありません。
 一方、同一労働同一賃金の法制化については、「同じ職務で、同じ責任の程度」なら賃金などの条件を「均等待遇」にしなければなりません。女子型雇用の看護師では、出産後に職場復帰する際、子育てと両立させるために短時間の非正規形態を選択する人が多くいますが、これらの賃金条件の実態は「正規と均等待遇」になっていないケースが結構あります。さらには従来からの、いわゆる「正看・准看間の同一労働同一賃金化」問題もあります。これから育児のママさん看護師には朗報ですが、マイナス改定に喘ぐ病院に賃金アップの原資はなく、病院経営者には頭の痛い法制化です。残念ながら裁判は増えていくでしょうし、逆に正規側の賃金条件が下げられたら、大混乱は必至です。

 政府の「働き方改革」は法案整備など着々と進んでいます。医療の現場も、真摯に対応していかなければなりません。(その後のエントリはこちら

「損益計算書」の読みかた

「入ったカネから出て行ったカネを引いた、残りが儲けってことですよね」

 その通りです。損益計算書は、2大「財務諸表」のうちの一つですが(もう一つは、こちら:貸借対照表)、その作成目的は経営成績の明示、つまり「利益」を示すことです。これは企業も病院も変わりありません。「病院は営利追求を目的とした組織ではありません!」とか、経営学者イジメはなしです。病院は確かに非営利組織ですが、社会の中に存在する立派な「法人」、皆さんの病院の名称も「○○医療法人○○会○○病院」となっているはずです。法的に人として認められ、様々な権利を与えられて活動をしている訳ですが、同時に義務も果たさなければならない。日本国憲法「三大義務」のうちの二つ、「勤労の義務(しっかり働いていますか?)」と「納税の義務」の後者を果たす上で、その納税額を決めるのがこの損益計算書です。利益が出て黒字だったらそれなりの税額を、利益が出ず損失ばかりで赤字だったら最低限の税金を、法人として納税しなければなりません。それゆえ非営利組織でも、会計期間の利益を算出し税額を確定させるために、損益計算書をしっかり作り込まなければならないのです。

 税額確定のついでと言っては何ですが、損益計算書は、自らの利益(あるいは損失)が、具体的にどのような活動によって生じた利益(同じく損失)なのかを、背景や要因ごとに分類して整理しているところがミソになっています。利益が上がる背景や要因は色々あります。「皆さんが頑張ったから」だけではありません。例えば、「何を頑張った」によって利益は変わります。DPCの点数の高い患者さんのケアで頑張ったらグンと上がるし(医業収益)、低かったら余り上がりません。他にもあります。例えば、病院の駐車場が市街地にあり利用者が多かったりして、その料金収入が好調だったら上がるし(医業外収益)、病院が持っている土地を売却したりしたら上がります(臨時収益)。

 一方、利益が下がる背景や要因(コスト要因)は、医療従事者の皆さんにとってもっと重要です。例えば皆さんが、毎日の衛生材料を無駄に使っていれば下がるし(材料費)、働かない人にたくさん賃金を支払えば下がるし(給与費)、リネンなどの業者さんが料金を値上げすれば下がるし(委託費)、稼働しない高額機器がたくさんあれば下がるし(設備関係費)、大勢の人が研修に行けば下がるし(研究研修費)、人材が採れないからと寮としてマンションを借りたりすれば下がります(福利厚生費:経費)。他にも、皆さんのお仕事に関係ないところにもまだまだあります。理事長がクルマを買い換えれば下がるし(減価償却費)、病院が銀行融資を受けて病棟を建て替えたりしていて、その利息が高かったりしていれば下がるし(医業外費用:支払利息)、病院が病棟拡張用に土地を持っていたりしたけれど、やっぱりやめて売ったときに売値が買値を下回ったりすれば下がります(臨時費用)。

 近年では、診療科などの部門別に損益計算書を作成する病院も多くなっています(セグメント情報)。病院全体では利益が出ていても、内科、外科、小児科などに分けて見るといろいろと違いがあったりして、ただでさえ仲が悪い診療科間の「争いの種」になったりしています。また、多くの病院には関連のMS(メディカルサービス)法人があり、病院本体の利益や損失が、それらに移転されているケースもあります。ですので、これら関連法人の損益計算書もチェックしなければなりません(連結会計)。

2017/09/04

作業には、クリティカルな「順序」がある

「退院間近になって介護保険申請とか、普通ありえないでしょ」

 既婚者・子ありの「ママ・ナース」を研修で集め、自宅でカレーライスを作る話をします。冷蔵庫のなかスッカラカン、まずは買い出しにスーパーに行き、とりあえずカレーの材料は一通り揃えた、とする。子ども達はお腹をすかせて待っています。そこで「さて、最初の作業は何ですか?」と質問します。病院ではナース、自宅ではママをしている彼女たちの答えは十中八九、当然のことのように「そりゃ先生、まずお米研いで炊飯器のスイッチをカチャ、に決まってるでしょ」。

 「大正解です」と軽く褒め称えた後、私はダメな例として、大学のゼミ夏合宿で大学生がよくやるパターンについて話をします。湖畔や山林のコテージから、男子を中心にクルマに乗って買い出しに行って、女子は合宿所に残ってキッチンの確認。買い出し班が戻ったらテーブルに材料を広げ、男子女子ワイワイがやがや肉を切って、危なっかしい手つきで野菜を切って、キャーキャー言いながら鍋で炒めて、水を入れて煮込んで、「俺、これ好き」だとか何だとかでカレールーを投入し、調理開始から1時間強。合宿所にカレーの良いにおいが立ちこめ、お腹が減ってイイ感じになってきたところで、「あ、ご飯炊くの忘れた」。そこから慌てて米を研いで、炊飯器でご飯ができるまでプラス1時間弱。空腹が我慢できず、夜の飲み会用のポテチで飲み出す男子多数。結局、買い出しからカレーライスにありつけるまで、かかった時間は、買い出し30分+カレー完成1時間強+炊飯1時間弱の、計2時間半。私はそこで、「大学の合宿なら笑って思い出だけど、就職した先の会社でコレやったら、そのうち左遷だよ」。

 研修はママ(ナース)の集まりですから、「全く大学生は子どもよねぇ」といった感じなのですが、私はここぞとばかり、「皆さんの日頃のお仕事では、そういうのはゼロ、絶対ありえませんよね?」と問い正します。例えば、大腿骨頸部骨折の患者さんが、手術して、リハビリして、カンファレンス開いてドクターの退院・在宅療養OKが出た後で、ワーカーが自宅の家屋調査に行って、家のトイレや階段のものすごい段差を発見する。「ご家族は、段差とか無い。ゼンゼン大丈夫って言ってたのに!」とか怒ってみても後の祭り。リハビリ目標は再設定、段差解消のリフォームを大工さんに発注したら、見積もりの現場確認アポで1週間とか言ってる。「もっと安い業者あるかも」で複数に相見積もり取ってプラス1週間。設計図と総額固まって発注したと思ったら、今度は下請けの職人が忙しくて予定が立たず、そこから1カ月待ちなんだとか。かと思えば介護保険申請の手続きを忘れていて、言った言わないの騒動むなしく、さらにプラス。プライマリと退院支援のナースの間で責任の擦り合い、リハのOTとMSWのチームワークもなく、気付いてはいたけど、ともに放置。患者に聞いてもラチ開かず、結局何だかんだで、2週間で退院できる患者の在院日数1カ月半。看護部長と事務局長は相当のオカンムリ。ご家族らは何処吹く風で、「長く入院できて良かったわよね-。やっぱり病院は安心だし」とご満悦。ナース曰く、「だってウチ、多職種連携とかダメな病院だから。昔はそんなの良くあったし、似た患者で2カ月入院とかもありましたよ」。

 カレーライス作りに戻って、今回のまとめです。「炊飯」の仕事の「順序」を守るだけでの工程全体が効率化され、総時間は短縮できるということ。肉や野菜の仕込みや煮込みの作業は、後半の「炊飯1時間弱」のご飯が炊きあがるまでの間に処理できる。つまり、これらは「炊飯」作業に従属する作業である。このときの「炊飯」作業を「クリティカルタスク(最重点管理作業)」と言い、これをきちんとこなすことで、ゼミ夏合宿の現実の「計2時間半」より約1時間短縮できます。経営学では、この「30分+1時間弱」にシュッと炊飯作業(クリティカルタスク)をメインに最適化した工程を「クリティカルパス(最重点管理工程)」と言います。そうです。皆さんが普段使っている「クリニカルパス」の原型こそ、このクリティカルパスなのです。

医療分野における外国人労働者受入れ「制度の現在」

「これから、技能実習とかで外国人労働者が増えるんですよね?」

 医療・介護分野への外国人労働力受け入れが、ゆっくりと進んでいます。島国の日本にとって、外国人労働者問題は基本的に「制度論」です。ヨーロッパのように地続きだと、難民等の問題はその流入を止められない「現実論」(来ちゃうんだから仕方ない)なのですが、日本の場合、自然的国境として「海」があるので、空港や港での入国管理が可能だし、入国後も外国人登録などによる在留管理が徹底できます。かつてのバブル時代は、観光ビザで来日して働いたり(資格外就労)、ビザ期限を超えて働いたり(オーバーステイ)、風俗や飲食など地下経済ビジネスで働くケースの取り締まりが徹底できず、いわゆる「不法就労外国人」(“不法”という表現は適切ではないという意見がありますが、解りやすさを第一に使用しました)がたくさん滞在していました。ピークは1990年代半ばで、30万人弱の不法滞在者がおり、そのほとんどが就労していたとみられています。

 「制度論」というのは、島国日本の外国人労働者数は制度を厳格に運用すれば減り、制度を新たに設定すれば増える、ということを意味しています。ちなみに2017年現在の不法滞在者数は約6.5万人、入国管理局(「ニュウカン」)による入国管理「制度」に基づく取り締まり強化を背景に、ピークから大きく減少しました。その一方、新たに外国人労働者を受け入れる制度が設けられれば、その「制度」に基づき増加します。医療従事者の皆さんなら誰もが知る「EPA(経済連携協定)外国人看護師・社会福祉士」は、この「制度」そのものと言えます。医療関係のこうした「制度」ができる分だけ、医療分野の外国人労働者は増加していくという構造です。

 実際に、制度の変更とデータの動きを追って整理してみましょう。21世紀に入り、日本とフィリピンやタイなど東南アジア諸国とのFTA(自由貿易協定)やEPA交渉が盛んに行われていました。その過程で2004年、日本とフィリピンとの間でEPA交渉が決着し、2006年をメドにフィリピン人看護師を受け入れる合意がなされました。当時、日本のフィリピン人労働者と言えば、多くが「じゃぱゆきさん」(日本の飲食・風俗産業で働く女性労働者)でした。もちろん日本の入管法は単純労働者の受け入れを認めていませんが、フィリピンにおいてダンサーの資格を持つ「芸能の専門職」が「興行ビザ」(プロスポーツ選手と同様)で入国するケースが横行していました。つまり、ダンスを演じる目的で入国した者が飲食店等で給仕をする「資格外活動」です。しかも、その舞台は風俗産業など地下経済で、そうした流入は日本政府としても看過できませんし、フィリピン政府としても自国民の出稼ぎ先が他国(日本)の地下経済に集中することは人権保護の観点からも看過できません。他方、フィリピン人女性の出稼ぎは「ダンサーという名目の単純労働者」が主流なのでは決してなく、欧米や中東地域などに「看護師という専門職」を大量に送り出し、高い評価を得てきていました。両政府の間には、日比間の国際労働移動の流れを適正化したいという意識が明確にあったと考えています。その後の展開は、法務省の入国管理統計(こちら)みれば明らかな通り、フィリピン人女性の不法滞在者(多くは飲食・風俗産業の不法就労者)数は「看護師受け入れのメドとした2006年」から入管局の摘発が厳しくなり、急激に減少しています。とはいえ実際の日比EPA発効は、日本からのゴミ輸入問題等でフィリピン上院での審議が滞り、当初のメドからほぼ3年遅れた2009年12月となりました。不法就労者が摘発で激減する一方、看護師の送り出しが遅れたことで、フィリピンのGNPの約1割を占める「海外出稼ぎ者からの母国送金」が減少したのも、これら両国間の制度の進捗による「制度論」の影響と言ってよいでしょう。

 そして2017年、日本では技能実習制度の改正が行われ、新たに「介護」分野の受け入れが開始されることになりました。特養の介護業務や病院の看護助手分野などでの受け入れが想定されています。現在、その「制度」設計の仕組み作りが行われていますが、「制度」の目的はあくまでもインターン実習なので、誰がどのように教育し、成果をどう評価するかがポイントになります。とはいえ、この制度においても現実的な意味は他にあり、医療介護ともに報酬のマイナス改定が続くなか、収益減とコスト増に喘ぐ施設・病院経営者への「代替経営支援制度がコレ」であることは、当事者の方々も否定し得ないでしょう。ある意味これも、立派な「制度論」なのだと思います。

「医師のキャリア」の全体像

「新卒入社でずっと定年まで、というわけにはいかないんですよ」

 新卒一括採用、年功序列、終身雇用、定年後再雇用。これぞ、日本型雇用慣行の典型コースです。文系理系を問わず大卒正社員のサラリーマンなら、「一生のうち転職経験ゼロ」という人も少なくありません。最近でこそ雇用流動化で転職経験者も増えてきましたが、安定した業界の企業に正規採用されれば、「一生1社」こうしたコースで完全リタイヤまで40~50年、働き続けます。大卒就活生の近年のトレンドは、就「社」じゃなくて就「職」、大手に限らず中堅・中小。彼らに言わせれば、「大企業だと後輩がどんどん入って来るので人材豊富。それゆえリストラや出向があったり、定年後の再雇用がなかったり」するので、「少しぐらい条件が悪くても、自分のやりたい仕事にこだわり会社を選ぶ。中小だと人材は貴重なので大事にしてもらえるし、定年関係なく一生働き続けられる」。有名大企業に就職して合コン三昧!転職してステップアップ!なんて今は昔、あくまでもワークライフバランスが基本、その実現のために都合が良い会社を選ぶスタイルが支持を集めています。

 さて、医師のキャリアのパターンは如何に。医師のキャリアの全体像については、全国の民間病院の経営者団体、全日本病院協会が行った大規模アンケート調査(詳細はこちら:全日病PDF)が大変参考になります。この「医師の就業動向調査」(2015)は全国の医師3,915名から回答を得た、まさに直近の大規模調査です。医師のキャリアの全体構造を示した一つのグラフ、インターネットで公開されている報告書PDFの7ページ(全27ページ)「卒後年数別の主業務の勤務施設」を見て下さい。20代半ばの「卒後1年目」から定年前後の「卒後40年目」まで、それぞれの年齢の時に働いていた「勤務施設」を追跡調査したパネルデータ(個人別の回答を時系列に並べたモノ)の集計結果です。

 このグラフを見ると医師のキャリアのパターンは、大きな色が三つ分かれていて、多くが「一生3院」となっているようです。大卒サラリーマンのように、最初に就職したところで一生働くような人はごく少数派で、まずキャリア初期に若い人たちの大量病院移動があり、キャリア中期に少しずつ、もう一度その先へと移っていくパターン。その3つも属性がほぼ決まっていて、最初はほとんどが「大学病院」に入職(研修医として働き始め)、キャリア初期に過半数が「公立病院」へと大量移動(大学の医局から派遣され)、その後キャリア中期にかけて五月雨式に「私立病院」へと移っていき(医局から離れ自由に移動し)、卒後20年目のキャリアの丁度真ん中で私立病院勤務が過半数を超えています。つまり医学部卒業後は、「大学病院から公立病院、そして私立病院」という「一生3院」が医師のキャリアの全体像となっています。また、20代後半から30代前半のキャリア初期と中期の間には、大学院に戻るアカデミックなキャリアや、海外勤務や留学などグローバルなチャレンジを選択する医師もいます(グラフ「卒後4年目」から「12年目」辺りまでの、上部が凹んだ部分)。こうしたキャリアはテレビの医療ドラマでは良くある話ですが、とはいえ現実では少数派で30歳前後に数%見られるものの、キャリア中期にかけて徐々に少なくなっていくようです。

 この調査結果は、大規模なパネル調査とはいえ、民間病院に勤務する常勤医を対象としたものです。研修医からリタイヤ直前までのキャリア全体を俯瞰する上では非常に有効な調査ですが、もちろん卒業後ずっと大学に残っている医師や開業する医師もいます。それら様々なデータを総動員させ、医師のキャリアデザインについて研究を進めていかなければなりません。

2017/09/02

地域包括ケアの「包括」に相応しい英語は何か?

「別に何でも良いんですけど、結局どれなんですか?」
 
 いま医療従事者にとって「地域包括ケアシステム」は、非常に重要な概念となっています。にもかかわらず病院の皆さんから良く聞くのは、大多数の本音だと「実は真面目に考えたことないんです。結局、地域包括ケアって何なんでしょうか?」で、他方、MSWやケアマネジャーなど高齢患者相手に日々ガチンコで取り組んでいる方々に言わせれば「システムを考案された先生方には大変失礼ですが、実際そんなモノ(システム)は存在しないと思うんです!」というものです。結局これら両極の二つを合わせて、「地域包括ケアって何?」がこの手の議論の、永遠のメインテーマとなっています。

 専門外とは言え、いちおう教授なので、蘊蓄を「たれ」なければならない機会があったりします。そこで良く持ち出すのが、理解のポイントになるであろう「包括」の意味です。日本語で辞書引いても良くわからないので、それなら英単語!となるのですが、専門の学者や理事長先生が良く仰るのは、「地域包括の“包括”は、“comprehensive(全部を含む)”ではなく、“integrated(統合された)”である」というもの。しかしながら、病院研修の私の教え子さんたちは「余計イミフメイになった‥」という顔をするので、私は理解優先でいい加減に、「ラーメンのトッピング全部のせ」的なのが“comprehensive”で、「子どものブロックおもちゃの合体ロボ」的なのが“integrated”‥なんて説明をしています。

 地域包括ケアシステムは、体系だった全体を持つ“integratedケアシステム”です。言わば合体「トランスフォーマー」的なロボットの頭、胴体、手足の各パーツが一つ一つ小さな「レゴ」ブロックなどでキレイにカチッと仕上がっていて、胴体の上に頭のパーツ、両脇に腕のパーツなど、それぞれが然るべきところにガチャン、シャキンと組み上げられていくと、「元々はそれぞれ小さなブロックだったのに、あらまぁ不思議、格好いい立派なロボットになって敵を倒す‥」となる。その勇姿漲る「合体ロボット」こそがわれわれが求める「ケアシステム」で、それには厚生労働省から国民に向けて明確なイメージが提示されており、それが「“住まい”を中心に、医療と介護と生活支援・介護予防が三方からケアしあう」あのポンチ絵(厚生労働省「地域包括ケア研究会報告書」2013:こちらの政府HP)となるわけです。つまり、私流の合体ロボ解説で言えば、胴体が住まい、右手が医療、左手が介護、両足が支援と予防(頭になるのは患者・家族か?ケアマネか、SWか?)で、「2025年の団塊世代後期高齢者化時代に備えるフォーメーションこそ、この地域包括ケアだ!」というのを「永遠のメインテーマ」に対する回答としています。

 さらにもう一つ、現実的なありようを表現する英単語があるのではないかと思っています。“comprehensive(全部のせラーメン)”と“integrated(一つになった合体ロボ)”の中間にあるであろう、発展途上にある地域ケアの現実を含ませた単語がそれです。英語嫌いが言うのも何なのですが、“integrated”の手前には、国際援助ビジネス絡みで近年ちらほら耳にする“inclusive(人・モノ・考えを何とか広く含んだ)”な段階があり、多くの現場の実態はほとんどこのレベルにある、というのが私のイメージです。“inclusive”だと「持続的で意味があるなら、それもアリ」的な鷹揚なニュアンスが加わってきます。合体ロボの例で言えば、パーツ自体は現場なりに思い思いそれぞれ勝手にカッチリ固めてきてはいるのですが、頭でっかちだったり無かったり、機能が被っていたり互いに干渉していたり、組み上げ方が逆さまだったり中途半場だったり、何かがスッポリ抜け落ちていたり‥と、とても“integrated”と言えるような格好いい代物では決してない。でも何とか元気に動いている。日本では廃車同然のクルマが部品適当に組んで、屋根なんか吹っ飛んだままアフリカで現役バリバリ。途上国で、援助支援をしながら営利も求めるBOP(ベース・オブ・ジ・エコノミック・ピラミッド:こちらの政府HP)ビジネスのような、そんな、“inclusive”なケアシステムです。

 地域医療と介護の現場には、非営利から営利までごちゃ混ぜのまま、元々そうした主体的な各パーツが諸々既に活動していて、たまたま偶然パーツ同士がパチンとはまり、完全無欠に仕上がった(integrated)ロボットとまではいかないけれど、敵から何とか身を守り、地域を支えてきている仕組みがある。こうした途上国的雑然(inclusive)を醸し出す、かなり不格好な“inclusiveケアシステム”を、元々あったケア主体の固まりの機能と地力を活かしつつ、環境と制度に合わせてどうシェイプ、リメイクしていくか。さらに、どう効率化を図っていくか。このプロセスが「地域包括ケアシステムの構築」である、と講義で説明している現在です(結局解りにくくてすみません)。

2017/08/30

マーケティングとは「営業を不要にする活動」である

「営業職みたいなワーカーさん、よくいらっしゃいます(私はキライです)」

 「地域包括ケアシステム」の構築が求められる昨今、医療ソーシャルワーカー(MSW)の役割が注目されています。在院日数の削減、退院支援の強化、医療連携の拡充、在宅療養の支援など地域包括ケアに向けた病院の施策の多くに、MSWが大きく関わっているからです。病院で言ういわゆる“ワーカーさん”は「福祉系三大国家資格(社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士)の一つ」で、医療、福祉、教育、行政の各機関・施設で働いています。「社会福祉の大学等を卒業し、社会福祉士資格を持ち、病院等に雇用された」専門スタッフ、これがMSWです。

 MSWは社会福祉士なので、当然ながら社会福祉の教育訓練を受けています。それを象徴するキーワードこそ「傾聴と受容」です。この対人援助技術の訓練を受けて病院に就職したMSWは、援助を必要とする患者・家族と真摯に向き合って、じっくりとニーズを聴き出し(傾聴)、相手の立場を十分に理解して(受容)、様々な制度を活用しつつ適確かつきめ細かな援助策を提供する。これが本職であり天職だと考えているのに、悲しいかな現実はさにあらず、雇用先の病院からは全く異なった指揮命令が下される。「もっと入院していたい」と訴える患者・家族に「退院支援」(「在院日数」を削減するため)、「この病院が好き」と言ってくれる患者・家族に「転院支援」(そのための「医療連携」)などなど。学校で習ったことと就職先でやらされていることが大きく異なる。こうした不満を抱えるMSWは、結構多いのではないかと思います。

 その一方、病院経営者からの指揮命令に忠実なMSWがいます。傾聴なんて二の次、患者・家族の訴えをワザとスルーして機械的に退院勧奨、合理性もあるのでしょうが「次の病院・施設はココ!」とかなり強引な転院手続き、日々そうした「振り先となる“取引先”」に菓子折持って営業活動、出先では次いでを見つけて新規取引先の開拓営業、退院支援の人数と在院日数を壁に大きく張り紙して部下にハッパをかけ、理事長や事務長の顔が見えれば営業風に低姿勢の手揉みで近づき、ここぞとばかりに「傾聴」、そしてしっかりと自分の「営業成績」をアピール。理事長らは「地域包括ケアが実現できてるね」とご満悦。それどころか“普通のワーカーさん”に「あれを見習いなさい」と言って行く。その「あれ」の行為は、とても社会福祉士と言えるようなものではないのに。

 当エントリのタイトルは『もしドラ(もしも高校野球のマネージャー‥)』でも有名なアメリカの経営学者、ピーター・ドラッカー博士の言葉です。ドラッカーには営業マーケティングの分野でも様々な業績があり、その中で冒頭のような「遺言」を残しています。
 「買って!買って!なんて忙しく営業・販売活動なんかしなくても、顧客が自然に買っていく、取引先が向こうから近づいてくる、そうさせるために内部の組織をどう変えるべきなのか? それを組織全体で考えるのがマーケティング活動である」。MSWは、こうした病院マーケティング活動の中心的役割を期待されている(営業活動そのものではない)のだと考えています。

病院診療実績「仕分け」から考える

「ちょっと前の“民主党の事業仕分け”ですね(失敗したんでしたっけ?)」

A-1 圧迫骨折、A-2 大腿骨頸部骨折、A-3 脳梗塞‥。B-1 糖尿病、B-2 腎不全、B-3 胃がん‥」、そして「C-1 認知症、C-2 肺炎、C-3 インフルエンザ‥。D-1 高血圧、D-2 高脂血症、D-3 褥瘡‥

 これは都市型中規模急性期(約300床)の病院で職員研修を行った際、出席者の皆さんに自院の診療実績仕分けをしていただいた結果です。仕分けの仕方として、以下のごく簡単な指示を出しています。自院のここ2~3年の診療実績から、まず「AとB」として診療報酬点数が比較的「高い」グループ、つまり儲かる、美味しい患者さん(不謹慎で申し訳ありません)を分ける。他方、「CとD」は「低い」グループとして分けます(以下、感想略)。さらに、それぞれを「さいきん増えている or 減っている」で仕分けてもらいます。ということで「AとC」が増加中、「BとD」が減少中です。
 ここでは、とりあえず主要な上位3つだけ挙げていますが、実際は100近く列挙されています。研修では大きめの机に模造紙を広げ、多職種協働のグループワークで、ああでもないこうでもないと議論しながら全ての病名を網羅するよう、作業を指示しています(こういう、多職種のワイガヤが重要なのです)。

 病院経営にとって都合の良い患者は間違いなくA・B群、とりわけA群(点数高く増加中)です。点数が高いのですから(増加中ならなおさら)、色々プロモーション策を講じなければなりません。では「その方法は?」と聞くと、どの病院で聞いても大抵は、ネガティブ方向に発言が向いてしまいます。まず「医師が足りない(整形のドクターは疲労困憊。脳外科医がいない)」から始まり、「看護師が足りない、質が低い(認定看護師が出てこない)」、そして「PT・OTが足りない、質が低い(認定セラピストが出てこない)」、さらには「MSWが足りない、質が低い(医療連携活動に消極的)」。こうしたネガティブ議論の結論は、「病院にカネもコネもない、経営陣の質が低い」。全て「他人のせい」です。
 一方、C・D群については、どうでしょうか。議論の結論から言ってしまうと、「病院は患者を選べない(選んではいけない)、応召義務があるので仕方ない」。全て「政策のせい」です。

 さぁ私としては、ここからが研修の本番です。参加者からのネガティブが出きったところで、こう問いかけます。まず「医師も看護師もPT・OTもMSWも、確かに足りないかもしれないけど、皆さん一応いらっしゃいますよね? いらっしゃる方々の中で、少ないながらも、何か工夫できることはないのですか? 例えば、仕事の仕方を変えるとか、院内連携のあり方を変えるとか、地域連携のあり方を変えるとか‥」、そして「応召義務は、文字通り皆さんの“義務”です。でもそれ“だけ”では経営が持たない。逆に言えば、その義務を果たすために、点数の高い分野(A・B群)では業務効率化が必要だし、点数の低い分野(C・D群)では地域連携が不可欠。そのA・B群ではどんな効率化策が考えられると思いますか?(点数が高いのを良いことに、ムダを放置していませんか?)、同じくC・D群ではどんな連携強化策があると思いますか?(連携は面倒、自分たちで処理したほうが手っ取り早い、とか考えてませんよね?)」。

 毎回のごとく研修会場は、この段階でシーンと静まりかえってしまいます。でも押し黙っているのではなく、医療従事者の皆さんは非常に真面目なので、悶々と頭の中で「色々と方法を」考えて倦ねているのです。講師側としては、この「間(ま)」に耐えつつ、皆さん個々人の中にある「自分のせい」が出てくるのをじっと待たなければなりません。

2017/08/29

経営を取り巻く「ポートフォリオ」

「ポートフォリオって、株とか投資信託のヤツですよね?」

 医学部をはじめ大学教育における「ポートフォリオ」は教育学で語られるものですが(以前のエントリを参照)、経営学ではかねてより、そして今も幅広く使われている概念です(以下4つ)。繰り返しますが言葉の意味は「紙挟み」、皆さんが文書をまとめるとき普通に使う「クリップ」や「クリアファイル」のことです。

 まずは「投資ポートフォリオ」。株でも外貨でも、投資家は一つに全額ぶち込むことなどいたしません。10億円あったら運用は「日本株に25%、米国株に25%、日本国債に25%、土地に25%」といった感じで、リスクの分散を図るのが普通です。このとき、「日本株25%の内容(企業銘柄や価格)やその後の推移(儲け額の実績)を銘柄別などに文書化して一つのクリアファイルに、同じく米国株25%の内容と推移をまとめて一つのクリアファイルに‥」というように、4つの「紙挟み」(ポートフォリオ)で整理して、全体の投資活動を総括する手法、がこれです。

 次に「製品ポートフォリオ」。たとえ老舗の大手メーカーでも、一つのヒット商品だけで長らく収益を維持することなどできません。いずれ消費者に飽きられたり、競合製品に食われたり、事故が発生して法律が変わり生産できなくなったりするリスクがあります。それゆえ「主力製品の売上げが一定の比率を超えたら、あらかじめ決められた数の新製品を投入する」といった感じで、新製品の研究開発にチャレンジするのが普通です。もちろん、新製品も色々あって分野や方向性が異なったりするでしょう。これを「主力」や「新規○○系」、「××系」などグループに分けて文書を整理し、全体の製造・営業・研究開発活動を総括する戦略手法、がこれです。

 そして「雇用ポートフォリオ」。企業の雇用形態は多様化しています。病院同様、スタッフ全員が「正社員(正規職員)」というのはもはや過去の話で、その他にも「契約社員」「派遣社員」「フルタイムのパート(主婦など)」「パートタイムのアルバイト(学生など)」「嘱託社員(定年到達者のパート再雇用)」といった様々な処遇の人たちが働いています。もちろんそれぞれにメリット、デメリットがあります。例えば、正社員は長期安定的だが高コスト、パートは低コストだが不安定、などです。企業は業種のインフラや職種のマーケット事情を勘案し、各雇用形態別に戦略を組み、それぞれの条件や経緯やコストなどをグループに分けて文書を整理し、相互の兼ね合いや雇用構造全体を俯瞰・総括する手法、がこれです。

 最後は、ちょっと視点を変えて「ポートフォリオ労働」。ITエンジニアやコンサルタント、さらにはデザイナーやモデルなどフリーランス志向の専門職は、自分の能力・資格や実例・実績などを分野別にエビデンス付きで文書にまとめ、仕事をマッチングする時に使う「自分自身を売り込むパンフレット」を持っています。これを「ポートフォリオ」と呼び、こうした「パンフ片手に職を転々とする専門職」を「ポートフォリオ労働者」と言います。最近は紙のパンフより、ネット上のポートフォリオサイト(デザイナーやモデルの公式サイトなど)が主流です。

 「神原名医紹介所」が「大門未知子」の華々しい実績をエビデンス付きで分類し、盛々の価格を添えてクリップでまとめ取引先別の営業ツールとして、所長が大きい黒鞄に入れて持ち歩く。それが「ポートフォリオ」。しかし、大門だけではリスキーな(売上が安定しない)ので、「城之内」だけでなく「加地」さらにはもっと若手も入れてリスク分散を図る。これが「ポートフォリオ戦略」です。

2017/08/28

採用配置基準としての「仕事の閾値(しきいち)」

「閾値って、疼痛管理のときのアレですか?」

 「閾値(“しきい・ち” or “いき・ち”)」とは、もともとは生物学や心理学の専門用語で、「生体の感覚に訴え、行動を起こさせる際の、最小量の刺激量」を意味します。「閾」とは「=敷居(しきい)」で「一線を画す」的なもの。「閾値」は医療従事者の皆さんが疼痛管理などで教わる、「閾値が高いと痛みにも我慢できる(低いと痛みを訴える)」など限界値的な“ソレ”のことです。さて今回は、これを人事管理に置き換えてみましょう。未処理の仕事がどんどん積み上がっているのに、それで上司がガンガン指示を出しているのに「そんなのどこ吹く風で、ぜんぜん余裕な感じの仕事環境に無関心な自由人」がいる一方で、依頼や指示のメールが一通来たら直ぐ処理しなければと動き出し、同僚の処理スピードが遅れているとついつい手が出てしまう「仕事の情報がちょっとでも入ってしまうと、それに対応しなきゃ落ち着かない勤勉な組織人」がいらっしゃいます。つまり、「仕事と個人の間にある閾(しきい)の高さ」が人によって全く違うのです。

 この「仕事と個人の閾値」が大きく異なるスタッフを同一職場に入れてしまうと、様々な人事管理のトラブルが発生します。「Aさんは全然動かない、私はいつも彼女の尻ぬぐいばかり!」、「B君は残業も厭わないのに、同期のCは同じ仕事で直ぐ音を上げる‥」などなど同僚同士、上司部下で不平不満のオンパレード。最近では、大企業での過労死自殺が社会問題となり、政府は労働強化を廃し長時間労働を削減する「働き方改革」を進めていますが、もちろん法令違反や人権無視は論外として、閾値が高い人と低い人では、「働き方」への感度や反応が異なって出てきてしまうのです。同じ能力を持ち同じ職場で同じ仕事を同じ程度でしていても、「政策とか関係ない! 目の前に仕事があれば、そうするでしょ」と言う人もいれば、「われわれの職場は完全に異常な状態。誰か労基署に訴えてくれないかな‥」と考える人もいる。働きアリなど下等な生物の「仕事の閾値」は、働く生命体として持続可能なように「疲弊したら閾値が上がり、仕事環境からの情報に反応しなくなって休む(体力回復したら閾値が下がり、働き始める)」のですが、感情と大脳が発達し、恐怖と煩悩にまみれた人間の労働者は、閾値が低いまま働き過ぎて燃え尽きたり、閾値が高いままサボりまくって左遷されたりするわけです。

 人材の採用及び職場への配置を司る人事担当が最も気にかけなければならないのは、職業安定法や労働基準法の遵守は当然として、それ以上の興味関心をもって、採用配置対象となる医療従事者個々人の「仕事の閾値」を可能な限り把握しておくことだと考えています。「理想」的なのは、こんなケースです。まず、仕事の閾値が低い人材を採用し、しっかり働いてもらう。でも、こうした人たちはついつい働き過ぎるので、労働時間は短く、休暇は多く、条件は高く設定する。しっかり働く人ばかりなら何とかこれが可能です。しかし、相対的に高い労働条件を提示すると今度は、高い閾値の目ざとい人材がたくさん応募してくるので、人事担当がさまざまな調査や試験や面接を行ってそれらを排除する。採用配置後も個々人の「敷居の高さ」を常にチェックし、面接で読み間違った、あるいはそれぞれ違いすぎると思ったら人事異動で調整し(なるべく同じ閾値の者を集め)、採用試験の方法そのものを改善していく。厳しい採用環境の中でこれがどこまで出来るか、「チーム医療も多職種協働も閾値管理次第」なのです。

2017/08/26

医学部からの「ポートフォリオ」

「若いドクターなら知ってると思いますが、自分は良く解りません」

 大学教育における「ポートフォリオ」を一言で説明すると、「教育成果の記録をまとめたもの」となります。ノート・プリント・メモ・レポートの内容、実験・研修・試験の結果を、学生一人一人が分野ごとに整理したものです。最後の試験結果はあくまでも「教育成果のごく一部」に過ぎません。その学生の「学び」はいろいろ書き込まれたノートをはじめ、様々な文書の記録の中にあります。かつては、それらを全部まとめようとするとバッサバサの分厚く重い「バインダー」にファイリングするのが普通だったのでエラく大変でしたが、PC性能やWeb環境の向上に伴い、「黒板の板書やノートはスマホで撮ってクラウドに上げて、実験データもファイルにして上げて友達と共有して、後でレポートにまとめてファイル名を‥」など記録や保存が飛躍的に電子データ化し扱いが容易になったので、これらを電子情報として記録する「eポートフォリオ」が2010年頃から急速に普及し始めました。大学医学部における教育現場の変化も、概ねその時期です。なので冒頭の「若いドクターなら知ってる」というのは、「2010年代に大学・大学院教育を受けた」ぐらいの若いドクター、と言えるでしょう。

 「eポートフォリオ」なんて言うと未来的な響きがありますが、早い話、紙のカルテが電カルになったようなものです。ポートフォリオ(portfolio)という英単語の意味は「紙挟み」(「クリアファイル」のようなもの)、まさしく紙カルテです。今の医療現場では、患者の病状観察、与薬経緯、検査結果、指導内容、担当所見などが全て電カルに入っています。正直なところ、病院の電カルは大学のeポートフォリオの上を行っていると思います。ただし、記録をとる対象と使用目的が異なります。電カルは「患者の」、eポートフォリオは「学生の」変化の記録です。例えば今後、病院で「職員の」保有資格、仕事内容、処理速度、ミス頻度、最終成果などの変化が電カルのレベルで記録され、それが人事考課に反映されて、成果主義として人事管理に運用されたとしたら、病院は大学を完全に凌駕するでしょう。病院理事長の皆さん、どうでしょうか? こういうデータの記録分析による人事管理、やってみませんか? 2011年の米コロンビア映画、ブラッドピット主演の『マネーボール』は大リーグの弱小球団を、こうした分析手法で立て直した物語です。このモデルはオークランドアスレチックスのGMビリービーンで、2000年代前半に「セイバーメトリクス」という手法を導入し、年俸の安い若手主体の弱小球団をプレーオフ常連球団へと大躍進させました。

 企業人事においても、「ポートフォリオ」という概念は既に定着しています。例えば、企業が新規事業を立ち上げ、社内でプロジェクトチームを編成しようとする時など、人事は全社員に向け、プロジェクト計画の内容を告示するとともに「各自、ポートフォリオを提出せよ」と指示します。メンバー入りを希望する社員は、自分のポートフォリオに現在の保有能力、キャリア、これまでの実績、アイデアなどエビデンスを揃えて提出し、人事とプロジェクトリーダーが数あるポートフォリオの中から候補者を選び(書類選考)、社内オーディションを経て精鋭揃いのプロジェクトチームが始動する。その起点がポートフォリオとなるのです。

 なお、経営学のポートフォリオについては、こちらをご覧下さい。

人材紹介料支出と国民皆保険制度

「人材ビジネスに、国民のカネがたくさん流れちゃってるんですけどね」

 医療機関の従業者定着率は、他の業界に比べて極端に低くなっています。逆に言えば、雇用の流動性が著しく高いということです。高齢社会を迎え慢性的な人手不足かつ労働条件が過酷で、基準看護など採用配置が組織収益にリンクしており、資格や認定制度が整備されていて職業能力が判断しやすく、さらに労働供給地と需要地が偏在している(いわゆる「西高東低」問題など)ので、労働移動が生じやすい。これだけ低定着率(高流動性)の条件が揃っているのですから、無理もありません。

 さらに、2000年代から急激に進んだ政府の労働市場自由化政策によって、民間の人材紹介会社が雨後の竹の子のように生まれました。ほぼ同時期に、医学部卒業後の医師臨床研修制度が始まり、これによって大学医局の人材斡旋機能が空洞化してしまいました。また、看護など医療系大学学部が急増したもののキャリアセンター(かつての「大学就職部」)の整備が追いつかず、インターネットに頼らざるを得なくなり、医療分野の労働市場はネット情報と若い人材が縦横無尽に動き回る、無秩序な世界になってしまいました。ビジネスの自由化と大学機能の空洞化とインターネットの普及拡大がいっぺんに来たのですから、これまた無理もありません。

 そんな世界で病院など求人側の医療施設は、巷の人材紹介会社に、為す術もなく引っかき回されています。連日の度重なる営業。「医療を良く知らない」営業担当が、台本を覚えたかのような電話を執拗にかけてきます。実際、私からすると、医療の人材紹介も株式の投資信託も土地の賃貸アパート運用も高齢者の健康食品も、全てがほぼ同じ営業スキルに見えます。それでいて紹介手数料は高く、定着は短く、投資分が全く回収されない。紹介料率が年収の30%なら、1000万円の医師の紹介を受けて300万の紹介料を払って、持ち場に就いて仕事を覚えてもらい、やっと戦力になったか(300万分やっとここから回収できるかな)と思ったら「辞めます」。個人的な事情があって辞めるならまだしも、裏でかつての人材紹介会社が手を引いていたりする。紹介料収入は紹介件数に比例するので、一人の医師を何回も転職させれば、人材ビジネスとしての効率は上がる。ポイントは人材の回転率引き上げです。私が営業マンだったら、そうします。そして、その分の割を食うのは、紹介料を支払う求人側です。

 周知の通り、国民皆保険制度によって、全ての国民が何らかの公的保険に加入しています。そして、それら国民は毎月、勤務先の会社に折半してもらうなどして保険料を支払っています。病院等での医療費はここから支出されますが、高齢化の医療費高騰で保険料だけでは足りず、国と自治体がさらに「公費」を投入しています。もともと雇用流動性が高い市場で、人材ビジネスが生産性を追求すると、求人側の医療機関そしてそこに医療費を支払う国の制度が高コスト化していく。大きなジレンマです。

 

2017/08/25

「貸借対照表」の読みかた

「決算書とか全く意味不明なんですけど‥。そろそろ管理職になるんですが、簿記とか勉強しといたほうがいいですか?」

 貸借対照表は、2大「財務諸表」のうちの一つですが(もう一つは損益計算書:こちらを参照)、病院等の経営に関与する立場なら、当然読めたほうが良いに決まっています。ベテランのナースなどで、「経験豊かで部下の人望もあり、“その上さらに”財務諸表も読める」となれば、直ぐさま病院幹部候補の筆頭でしょう。でも「解っちゃいるけど今さら簿記とか無理」。そうですね、簿記3級の勉強とかしなくてもOKです。必要なのは「貸借対照表」の構造を理解すること。資格など不要、「貸借“対照”表とは、何と何を“対照”させた表なのか?」が判っていれば良いのです。

 「対照」させるのは、カネなど「元手」と、医療設備など「装備」の二つです。そして、それぞれの内容つまり「“元手”の出どころ」と「“装備”の使いみち」の確認です。これらがまともであるかどうかを評価するのが貸借対照表なのです。是非、ご自身の病院の貸借対照表を引っ張り出してみて下さい。あなたのように(医療はプロだが会計は)素人な人は必ず、医療事務で会計を担当している若手に声を掛け、ちょっと付き合ってもらって、専門用語を一つ一つ問い正しながらご一緒に、自院の貸借対照表に向き合うよう工夫して下さい。(無知で)恥ずかしいから、(彼らも)忙しそうだからなんて遠慮しないようにすること。医療従事者のプライドをちょっと捨てる。ここが重要です。

 まず、「元手」の「出でころ」は大きく三つあります。一つは理事長やその家族さらには関係の理事らが元々から出していたカネ。これを「資本金」と言います。貸借対照表には右下のほうに記載されています。二つめは、病院のこれまでの儲け分をため込んだカネ。これを「剰余金」と言います。同じく貸借対照表の右下、「資本金」の下辺りに記載されています。三つめは、銀行など金融機関から借りたカネ。これを「借入金(かりいれきん)」と言います。早い話が、病院による借金です。さて、この「出どころ三つ」、どんなバランスが良いと思いますか?(答え)「借金は少ない方が安全安心」、まあ(低金利時代ではありますが)、その通りです。会計担当の若手と一緒に、自院は「どこがどう良いか」話し合ってみて下さい。

 もう一方、「装備」の「使いみち」は色々あります。例えば、上記の「元手」を資本金や借入金など合わせて30億円ぐらい注ぎ込んだとして、その30億円をどんな装備などに使ったか、という用途のチェックです。貸借対照表の左中にある「固定資産」を見ると、病院の建物や設備にどれだけ投資した(使った)かが記載されています。そして、余ったお金は同じく対照表の左上、「現金・預金」として銀行に病院の口座に貯金してとってあります。さらに余裕があれば貸借対照表の左下、「投資その他の資産」として他の病院の買収のために使われたりしています。さて、この「使いみち」、しっかり意味あるモノに使ってますか?(答え)「ちゃんと病院の現在と地域医療の未来のために“使って”れば良い」、はい、その通りです。同じく、会計の若手と一緒に、「何が良かったか」話し合って見て下さい。

「療養上の世話又は診療の補助」の構造と目的

「ナースの仕事ってのは基本、“療養上の世話”なんですよ」

 退院支援の問題からナースの仕事に関するネガティブな話になったとき、あるドクターがボソッと口にした言葉です。保健師助産師看護師法第5条には、ナース(看護師)とは「大臣の免許を受けて(中略)療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者」とあります。「大臣の免許」とは国の許可、「業とする者」は、仕事で労役を提供して賃金や報酬を受け取る者を意味します。さらに言えば、その診療報酬制度上の業務として、①病状の観察、②病状の報告、③身体の清拭など療養上の世話、④診察の介補、⑤与薬など治療の介助及び処置、⑥検温など検査の介助、⑦患者家族に対する療養上の指導、が挙げられています。冒頭のセリフをドクター目線で考えるなら、条文業務の後者「診療(の補助)」は医師の仕事であって看護師の役割はあくまで「その補助」だから、医師の自分がその都度適確に指示を出せばいい。しかし、前者の「療養上の世話」については、ナースが自ら主体的に取り組んでもらわないと困る(のに、診療上のことに口を挟んできてばかりで、自分がまずしなければならないことを疎かにしている)という日頃の思いかと思います。こう言ってしまうと、ナース側からは強い反論がでるかもしれません。

 このとき私が連想したことは、企業営業部のセールスプロモーション担当が担う定型業務「ルーチン・サービス」と「テクニカル・サポート」についてです。前者「ルーチン・サービス」とは、顧客のペースに合わせるべく顧客の日常(ルーチン)に入り込み、サービスをしながら顧客ニーズを色々と探って、自社の取引を拡大させるための業務を言います。例えば、私の大学の教え子に大手ビールメーカーの営業職になった子がいますが、彼女は日々取引先の酒屋さんに伺っては店の掃除を買って出て、その酒屋の地域で花火大会があるとなれば出店を出すのにボランティアをやり、店主との人間関係を堅く構築して、自らの仕事につなげています。そして、後者「テクニカル・サポート」とは、詳しい商品説明や専門的な業務改善についてアドバイスする業務です。同じく彼女はその酒屋店主から「地域向けの新たな販売促進戦略を考えたい」という依頼を受け、エリアマーケティングやシステムエンジニアリングに関する専門知識・ノウハウを本社の専門家に教わったりしながら、店主に向けては店主のレベルに合わせて分かりやすく、販促戦略のイロハをアドバイスしています。この二つの業務が相互にしっかり回せて初めて、その酒屋から自社ビールの発注がたくさん舞い込む(イコール自分の業績が上がる)ようになるという流れです。

 私は、病院のナースもビール会社の教え子も、やっている業務は基本的に同じ構造と目的を有していると考えています。患者あるいは顧客のルーチンをしっかり把握しニーズを確認して初めて、テクニカル(専門的)なケアを効果的に提供することができる。近年、病院において最大の課題となっている退院支援、とりわけ様々な生活不安から入院が長期化している社会的入院など)高齢患者及び家族の退院支援のためには、病棟で日常業務につくナースが「ルーチン・サービス」にどれだけ取り組むか、そこから情報・ニーズをどれだけ引き出して分析し「テクニカル・サポート」につなげるか、にかかっています。しかし、「療養上の世話」となると、少々ニュアンスが異なってくる。このギャップが様々な問題の本質だな、と考え始めています。

チーム医療の「全体最適」

「私は有資格の専門職なので、専門以外のことはやっちゃいけないと思ってます」

 どんな職種でも、専門技術のレベルが向上することは喜ばしいことです。分野を限定して特化し、特定の作業のみに集中すると、情報や経験をより早くより深く蓄積することができます。未熟練の初心者でも、生産ラインの作業を効率的に分割し、一つの作業のみに特化させると、その作業の習熟曲線は短期間で上がっていきます。しかしながら、その作業は全体の中の一部に過ぎないので、工程システム全体の構築がかっちり確立していないと、一部だけの習熟曲線向上など意味を成しません。一部だけかっちりしていても、全体のかたちがグズグズなら、「チーム」仕事での結果が求められているのならなおさら、良好なパフォーマンスは出せないからです。

 冒頭の良く耳にするセリフについて言えば、「有資格の専門職」の仕事で、その仕事全体が完結するなら、それで問題ないかもしれません。例えば、一つの工芸作品を一人の職人が、加工から仕上げまで完全な一貫生産で、責任を持って取り組むような仕事です。それでも、自分一人でやっているように見えて、他に依存している部分は必ずあります。木の角材から、自分一人で削って磨いて絵を描いて人形を作るような職人作業でも、良質な角材を山林から探して切り出し、加工しやすい状態まで乾燥させ、手頃な大きさに切断して納品してくれる素材業者が存在して初めて、職人はその専門技術を発揮することができるのです。一見して「チーム」仕事でないように見えても、そこには裏方のチームメンバーが往々にして存在していて、そのメンバーがいなくなると途端にパフォーマンスが落ちてしまう、というわけです。

 病院をはじめ多くの医療施設で繰り広げられる仕事は、概ね基本的に「チーム」仕事でしょう。「チーム医療」という言葉は、既に広く定着しています。それぞれが専門職として担当している仕事の環境を整備しパフォーマンスを上げていく取り組みは重要ですが、それは「部分最適」に過ぎません。個々の医療従事者に求められる第一の目標は、チーム医療としての「全体最適」です。その全体最適」の引き上げのために必要な(自分からは見えない)仕事について、一時的にでも専門分野を離れ、鳥の眼で全体プロセスを見渡しながらそれが何かを探し、それが特定できたのなら、専門以外のことでも積極的に取り組むべきだと思います。この視点なくして「全体最適」は成しえません。

 とはいえ、例外もあるでしょう。たとえ「有資格の専門職」でも、全体のパフォーマンスの足を引っ張ってしまうほど著しく経験が欠如しているなら、専門技術の習熟曲線が一定程度上がるまで「専門以外のことはやっちゃいけない」(やってる場合じゃない)かもしれません。資格手当は貰っていいが、技術手当や技能手当は貰えないレベルの場合です。そうした若手がああしたことを言うのなら、こういう理屈を説明し、そこそこのレベルになるまで見守ってあげるのも、寛容な先輩としての大事な仕事だと思います。

2017/08/24

WBSで仕事の「分解」

「これ、私の仕事でしょうか?」

 「私は看護師なのに、本来はソーシャルワーカーがやるべき患者家族の相談対応をさせられている(看護の仕事だけでも激務なのに‥)」、「私はケアマネジャーなのに、本来は医療事務がやるべき雑用やヘルパーがやるべき介護までさせられている(ケアマネの‥以下同)」などなど。医療従事者と話していて、頻繁に耳にするセリフです。その背景にあるものとして、そもそも人手が足りず定着も悪い、職務規程があいまいなので仕事の境界がはっきりしていない、職場のコミュニケーションが不足していて仕事相手の状況やニーズが掴めない、などがあげられています。

 「人手」の人数は規定上足りていても、定着が悪く勤続が短いと状況判断が出来る人は限られ、どうしても特定の人に仕事が集まってしまう。政府は「働きかた改革」等で劣化した労働環境を改善すべく残業削減など様々な労働者保護政策を出しているのだけど、当院の幹部はそんなの気にしていないようだ。もう忙しすぎて、このままだと体調を崩してしまう。せめて通勤時間だけでも削れるように、ここは辞めて自宅近くに転職しよう。こうして平均勤続年数がさらに短くなり、問題がさらに悪化して、おきまりの悪循環に陥る。こんなケースに対する自己防衛的な姿勢が、冒頭のセリフのようなかたちで表出しているのだと思います。

 こんなときは経営学の基礎、WBS(ワーク・ブレークダウン・ストラクチャー:作業分割構成)の概念について解説し、それぞれの職場の仕事(ワーク)の「実際の流れ」を確認したあと、各パートの「内容別・専門別の分解(ブレークダウン)」を行ってみてはどうでしょうか。自分たちの仕事の内容を、まるで人ごとのように、「ここからここまではこういう仕事、そこから先はこういう仕事。その間に誰と誰のミーティング、そして全体のカンファレンス」など、仕事を個別に分解する作業です。分解した作業には、それぞれ名前を付けてもらいます。「患者さんのご家族への連絡」などの小さな仕事も、「家族アポ」でも何でも良いので、自分たちが判るような言葉で名前を付け「ワーク(仕事)」として位置づけて下さい。その後、ワークの一つ一つを、あるべき形につなげて並べていく(ストラクチャー)。仕事のパーツを、中学の数学の簡単な方程式のように公式を交えて1行ずつ因数分解したあと、それぞれをドミノ倒しのコマようにつなげて並べていくイメージです。

 すると、それぞれの仕事の「あるべき内容」や「こなすべき順序」、さらには「やるべき担当」と「前後の距離感」が見えてきます。確かに専門分野とはかけ離れているけれど、この流れでそこにいるのだから、その人がやったほうがいい、つまり「立ってる者は親でも使え」的な感覚です。もちろん、「立ってる者」ばかり使うと、その者が疲弊するし不満を募らせるので、全員で話し合って、ギブアンドテイクやお互い様や「労働力の貸し借り」の仕組みを決めて、実際にやってみる。しっくりこなかったら、もう一度作り直す。WBSが、その作業をするのに不可欠な知識となるはずです。