2017/10/21

勤務医バーンアウトか、病院ブレークダウンか

「医師の応召義務って、一種の強制労働だと思うんですが‥」

 「夜勤医師の時間外労働賃金不払い問題」、「労基署による有名病院ガサ入れ」、「医師も同様に過労死自殺問題から働き方改革」、「応召義務を理由とした医療分野の適用除外と改革先送り」などなど。

 本格的な少子高齢化時代に入って医療現場の人手不足感は最高潮に達し、とりわけ救急など夜間勤務の労働現場では「ブラック」なんて言葉では表現しきれないほどの、異次元の労働強化が常態化しています。ただでさえ大変な現場なのに、しかもわが国は法治国家で、その労働法が時間外及び深夜勤務の際の割増賃金支払いを求めているのに、夜勤の勤務医に「宿直手当」しか支給しなかったり(割増賃金支払いは実際に急患があったときだけだったり)、大規模な公立病院が労基署の指導を受けたり、著名な民間病院が億単位の不足分を後から支払ったり‥。他方、大手広告代理店同様の医師の過労死問題が発生したり、医師が集団で転職エスケープ(いわゆる「逃散」問題)を図ったりと、テレビドラマの冒頭ナレーションではありませんが、既に「医療崩壊」と言っても過言ではない状況が顕在化しています。今後は団塊世代の後期高齢者化(終戦直後1947~50年生まれのベビーブーマーが、現在2017年で67~70歳)が進むわけですから、現状のさらなる悪化は目に見えています。

 「だから医師を増やせ」と声を上げるのは簡単ですが、それを実行するのはもちろん簡単ではなく、それゆえ実効性ある具体的な動きは今のところ見当たりません。いま医学部を増設したとしても医師を労働力として病院に送り出すのは約10年後になるし、外国人労働者(外国人医師・看護師)の受け入れ政策は国民的合意が前提だから入管法改正なんて早々ありえないだろうし(先進国はいずれも難民受入問題等で内向きだし、円安の進行で出稼ぎの旨味は少なくなったし)、歯科医師や弁護士や公認会計士など供給増で賃金条件が低下した花形専門職労働市場崩壊の前例が直近にあったし(いまや全てが大学最難関となった医学部も、現在の法科大学院のように人気や偏差値が低迷してしまうかもしれないし)、「人の問題の改革」は色々な背景や様々な利害が複雑に絡み合っていて、繰り返しますが「簡単ではない」のです。

 私のような一介の経営学者では何ともならない大きな問題なので、改革私案などを提示するなんて気概はあるわけがなく、「先々どうなるのか」を考えるだけの現在です。

 働き方改革」は現政権による官邸主導の政策、今や「政治主導」の力は強大です。官僚や業界が太刀打ちできる相手ではありません。これまで規制緩和政策などで、官邸に抗う抵抗勢力が様々存在しましたが、それを跳ね返すことができた勢力はほぼ皆無。「俺が本省に言う!」とか年配の重鎮先生は語気荒く何かと自信ありげですが、個人的には正直、さすがの医療界も厳しいと思っています。したがって、医師の時短や時間外問題の適正化は時間の問題。夜勤で出勤したのに宿直手当だけとか今時の労働法適用除外としてはかなり違和感があるし、救急医療など本来的に国や公共部門が担うべき役割を民間病院や個人に「応召義務」として負わせるのも、実態は、医師法が生まれた敗戦前後の医療の荒廃を乗り切るための「どさくさ当時の倫理規定」だった。少なくとも官邸と国民は、そう捉えると思います。結局、選挙を経て政権が落ち着けば働き方改革は実行され、いずれ政府は医療現場の異常さを解決すべく動き出すでしょう。「かとく(過重労働撲滅特別対策班)」に続き、東京と大阪の労働局に、新たに「医療かとく」が新設される‥。そんな絵(こちら)が脳裏に浮かんできます。

 当然ながらこうした政府の動きは、病院の財務と現場を直撃する巨大イベントとなります。病院経営コストの大半が人件費で、それが飛躍的に増大する。高齢化が進行して医療費が高騰する一方、健保も財政も既にカツカツで、診療報酬が増えることはない。つまり病院の収入が増えず(人件費)コストだけが急増するのですから、病院経営はコストの高い大都市部から一気に収縮して行く。そして結局、割増分の支払いに困った病院は、元々の賃金水準を下げ、全体の支払総額を抑えなければならなくなる。それでいて労働強化が極まる現場の仕事量は今と変わらず不変。既に「バーンアウト」(燃え尽き)寸前だった勤務医は、堰を切ったように「カネの切れ目が縁の切れ目」と病院を辞めていくでしょう。そして、その後の世界で真っ当な夜間の救急医療を維持できるのは、国・公共機関や一部の大規模病院などが巨額予算を投じて「大勢の医師を雇用し、ゆとりあるとは言えないまでも完全交代制を整備できる」現場のみ。その他の民間病院は残念ながら、夜間救急を断念し縮小均衡のソフトランディングを図ることが精々。少なくとも現在の、2,000を超える数の地域密着型民間病院に支えられた日本の地域医療は「ブレークダウン」(崩壊)必至の状況に追い込まれるハズです。

 さて、その、これまで大多数の民間病院で働いてきた勤務医はどこへ行くのか。普通に考えれば独立開業の方向でしょう。現在の医師のキャリアは「大学病院→公立病院→民間(私立)病院」(詳しくはこちら)ですが、その「後ろ2つ」を飛ばしてクリニック開業へと本気で走る。ブラックな病院の今後が、廃業か超ブラック化かのいずれかなのですから当然です。応じて、銀行など金融機関や医療コンサルタント会社がその波に乗ってビジネスを広域展開する。こうなると、今度は地域で診療所間の競争が激化していく。もちろん既存の開業医グループはこちらも本気で抵抗するでしょうから、恐らく、開業に関わる「保険医の配置・定数や自由開業・自由標榜の見直し」検討が急速に具体化されていく。この流れに、医師の需給や偏在を解消しようと検討してきた政府プロジェクトや総合診療医の普及拡充を目指す民間ネットワークなどが合流し、勤務医の独立開業への大量移動をコントロールしようと動き出す。他方、崩壊が進む民間病院には個を凝集して経営力をつけるべくホールディングス化(グループ持株会社化)の流れがうねり、経営層の代替わり問題も相まってドラスチックなM&A(病院買収)が展開されていく。もちろん金融機関やコンサルタント会社はまた、そのマーケットで一山当てようとするでしょう。

 保険医問題にせよホールディングス化にせよ、これまでシーズはあったもののブームにはなっていなかった「医療経営の独立ベンチャー志向と連携ネットワーク化」のうねりへの引き金を、1年半後に動き出す「医療の働き方改革」政策が大きく引く。このトリガー(引き金)は、改定だの加算だのの類いとはレベルが異なります。そこから一気に時計の針が回り出し、医療経営は戦国時代へ。そんなことを考えて、経営学者としては、ただただ身震いしつつ背筋が伸びる思いなのです。

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