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2017/11/12

「介護」技能実習制度の行方

「やっと受入開始ですね! 経営者はみんな喜んでいます」

 2017年11月、新しい外国人技能実習制度が始まって、外国人の在留資格「技能実習」の対象職種に「介護」が加わりました。特養などの介護施設はもとより、病院においても看護助手の担当分野で受け入れを進めようとする動きが進んでいます。なお、訪看などの移動を伴いつつ一人で行う分野については、言語や文化に不慣れな外国人にはリスクが伴うことから、その対象から外されています。
 少子高齢化で利用者や患者は急増する一方、人手は集まらない。世界トップクラスの財政赤字で、報酬のプラス改定など望むべくもない。他方、医師や看護師など専門職の流動化はさらに進み、こちらの賃金は上がり続けて人件費も嵩み、その他の職種(介護系など)の賃金を上げる余裕などない。「外国人技能実習生の受け入れ解禁は、平成30年同時マイナス改定のバーター」なんて、医療介護関係者の「見立て」もチラホラ聞く昨今です。

 この業界の皆さんには目新しい制度かもしれませんが、「技能実習生」はわれわれ企業経営関係者にとっては古くて新しい制度です。もう50年以上も前、1960年代に日韓国交正常化がなされ、日本企業が韓国に大量進出するとともに韓国からたくさんの「研修生」が来日し、アパレルや電子部品の工場で日本企業の技術を働きながら学んでいました。その後ほぼ30年前、1990年代に入って超円高と中国の改革開放とともに日本企業が中国に大量進出し、同様に中国からたくさんの研修生が来日しました。当時の日本はバブル経済の人手不足下にあり、外国人不法就労問題がマスコミで話題になっていたこともあって、研修生の企業受け入れを職種限定的に認め、中小企業が事業協同組合を設立して協同で研修生を監理する「外国人研修制度」が生まれました。不法就労の代替労働力として、職域を限定しつつ組合経由で間接的に在留を監理する外国人受け入れ制度、これが現在の「技能実習制度」の前身です。

 バブル時代から現在に至るまで、研修ではなく、外国人単純労働者の解禁を求める議論が盛んに展開されて来ていました。「国際化」は現代のキーワードの一つでもあります。外国人の受け入れは政府の専権事項、つまり政治が決定することなのですが結局、「労働者」の受け入れ自由化には至っていません。現在のような難民受け入れに伴う治安悪化を心配する意見のほか、好況の時は良いが不況時には日本人労働者が職を奪われると危惧する意見、外国人の社会福祉や子弟の教育に多大な予算が必要になるという「社会的コスト」を踏まえた否定的意見(ただでさえ福祉予算が厳しいのに)などが根強かったためです。それゆえ、その中で生まれた研修生受け入れ制度は「帰国前提の外国人材育成で技術の国際移転を行う国際貢献制度」とすることが強調されてきました。とはいえ、人手不足対策兼不法就労者代替制度という現場の認識は否めず、研修生の受け入れは「建前は国際貢献だが、実質は労働力受け入れのグレーで曖昧な制度」と揶揄され続けてきたわけです。

 2000年代に入り、日本経済においては長期に渡る不況が続いていました。いわゆる「失われた20年」です。デフレが蔓延し、非正規社員が増え雇用が不安定化して、賃金はどんどん下がり続けました。企業はこぞって人事のリストラを進め、賃金の引き下げを狙って動いたのですが、そのとき狙い撃ちされたのが「研修生」です。研修は労働ではない、つまり最低賃金や時間外割増賃金などを定める労働法は適用されない。日本人労働者は労働法や労働組合に守られるが、外国人研修生はそうした存在ではない。いつの時代も不況期には弱者にしわ寄せがいくのですが、それらを研修生が集め、「時給300円の“研修生”という名の労働者」が社会問題となりました。さらに、こうした悪評は海を渡り、アメリカの国務省(日本の外務省に相当)が「日本の研修生受け入れ制度は、違法な低賃金労働者を国際的に手配する人身売買制度に等しい」と日本政府を名指しで非難したほどです。

 こうして2009年、リーマンショック不況が蔓延するなか、外国人研修制度を引き継ぐかたちで生まれたのが「技能実習制度」です。制度改正のポイントは、「労働者ではない(だから労働法は適用されない)研修生」に労働法を適用し、人権問題を解決し、待遇改善を図ることです。在留資格が新たに設置され、「技能実習」というある種の就労ビザを発給し雇用認定することで、労働法が適用されるようになりました。しかし就労とはいえ、昨今の欧州などでな難民受け入れに伴う治安悪化テロ問題などもあって、やはり移民や外国人労働者受け入れ自由化には至りませんでした。「人づくりと帰国担保による国際貢献制度」という看板は維持されたわけです。労働法が適用されることで労働基準監督署が動き、悪質な受け入れ事例はその都度摘発されるようにはなったのですが、送り出し国から中小企業の事業協同組合(制度上では「監理団体」と言います)の仲介を経て斡旋されていく仕組みはそのまま、最低賃金は守られるようにはなったものの、肝腎の「人づくり」のところがほとんどなおざりになっていた。こうした状態を打開すべく検討されてきたのが今回2017年の制度改革、なのです。

 「介護」を含む新制度では、厚生労働省職業能力開発局(「人づくり」の所管部局)と法務省入国管理局(外国人受け入れの所管部局)などがリードして、新たに「外国人技能実習機構」が設置されました。この機構は、外国人技能実習生を受け入れる中小企業の事業協同組合に「事業許可」を出す役所です。もちろんこの機関の目的は、外国人技能実習生を受け入れる企業の労働法遵守の徹底を図るとともに、「人づくり」の効果的な取り組みと実際の成果がしっかり出ているかどうかを厳密にチェックすること。これまでの日本の入国管理と監理団体の審査は、地方外局のチェックが緩いところや厳しいところと様々だったのですが、これも厳格な審査を全国統一で行う。人権と労働法と職業訓練(人づくり)と国際貢献(帰国後の成果)を徹底的にチェックする。新たな機構の担当者の「もうグレーで曖昧な、いい加減な制度だなんて、絶対に言わせない!」という決意と意気込みを肌で感じる、そんな制度になっています。

 病院や施設の「介護の外国人技能実習生」受け入れは、こうした制度的チェックを経て実現するものです。「確か、何か新制度が出来たんだよね。ウチも外国人入れられるんだよね。先週そんな電話の営業があったんで、その営業マンに今度会ってみるんだよ。いろいろ手続きが面倒だけど、その辺は斡旋会社が何とかしてくれるらしい。協同監理で複数の施設がまとまって受け入れるんだから心強いよね。外国人がたくさん入ると人件費も抑えられて、来年度の決算は今よりちょっとラクになるかな‥」
 こんな感じの経営者が、「許可」が降りずにがっかりする、あるいは許可が下りて受け入れたは良いものの、その後の学校並みのチェックに辟易する‥。もし、何か問題が起きて世論が騒ぎ、政府が外国人受け入れを絞ろうと思ったら、「人づくり」体制のハードルを上げチェックを厳格にすればいい‥。
 そんな「行方」を思い浮かべるのは、私だけでしょうか。

2017/11/11

医療従事者の「モチベーション」を高めていくもの

「手当や給料でナースを働かせようとしても、ムダですよ」

 とある病院の研修で病棟師長さんに、こう言われてしまいました。退院支援促進のための新たなプログラムを開始するに当たり、「参加者に手当を出しては?」と提案してみた時のことです。彼女曰く、「ナースを動かすには、まずビジョン、そして意味と意義。ナイチンゲールの精神を尊ぶ人たちです。最初におカネの話なんかしたら下に見られて、先生の言うことなんて聞いてくれませんよ」。うーん、そうなのか‥と思い、インターネットで「看護師_モチベーション_論文」と入れて検索してみました。貴重な研究論文がたくさんヒットしたのでいくつか読んでみたのですが、誤解を恐れず率直な印象を申し上げると、「人並み外れて」いて「数字が多く難しい」。医療従事者のモチベーションは「モラル」「有能感」「達成感」等によって維持される、それらは「因子分析(斜行回転)」「測定尺度」「線型モデル」「重回帰分析(t検定)」によって支持される、そしてアメリカでは、EUでは‥。

 論文の中には、理論モデルが示されていたりします。それらを読み解いていくと、まず医療従事者のモチベーションを引き上げるもの(因子)があり、個人的には「教育的背景(出身学校)」「専門領域」「経験年数」「所属組織における職位」「学会や研修など教育機会への参加」「仕事のやりがい」等で、組織的には「所属組織の社会的地位」「理念や目標など組織の方針」「教育機会の提供」「臨床能力評価」「目標管理」「チームワーク内での返報性(恩返し的なもの)」等々。これらが医療従事者を動機付け、やる気を引き出す(確かに!)。一方、モチベーションを引き下げるものがあって、誰もが知る大小様々な「ストレス」。医療とは究極のサービス労働なのですが周知の通り少子高齢化で職場がどんどん過酷になっているため、「患者・利用者・家族からのストレス」「上司・同僚・部下からのストレス」「仕事内容に起因するストレス」「労働時間に起因するストレス」「法令遵守や管理責任に起因するストレス」等々、モチベーションの引き下げ要因は枚挙にいとまがない(そうでしょうね‥)。冒頭の病棟師長が仰る通り確かに、モチベーション因子(要因)に「おカネ(給料や手当)」が入る余地は少ないのかもしれません。

 要因の項目がたくさんありすぎて、それでいて統計的手法が多用され、論文は夥しい数の数字で溢れていたので、私の頭の中が少々混乱した。そこで、経営学の基本に立ち返って整理してみたくなった、というのが今回のエントリです。

 医療従事者界隈で何かと問題になる「モチベーション」ですが、経営学部の人的資源管理論では「モチベーションとインセンティブ」のセットで講義します。すなわち「動機付け(モチベーション)と誘因(インセンティブ)」でセット。簡単に言うと、前者は「やる気」、後者は「それを刺激するもの」。もっと簡単に例えると、「人参(インセンティブ)」を垂らして「馬の鼻息(モチベーション)」駆り立てるパターンの、この「鼻息と人参」でセット。そして「この2点セット」を理解し活用する上で欠かせない枠組みがあり、それが、この2つは①「金銭的」、②「社会的」、③「自己実現」の発展段階的3局面でそれぞれ相対する概念となる、というものです。

 まず①、人間には「生活のために稼ぎたい」という金銭的なモチベーションがあり、それに向けて工夫するのが金銭的インセンティブとなります。冒頭の病棟師長は「ウチのナースに金銭的インセンティブは効かない」と言っていましたが、これが効くスタッフ層(群)は必ず存在する。「夫がリストラされた」「子どもが私立中学に合格した」「マンションの修繕積立金が値上がりした」など、おカネが必要な人たちのモチベーションを刺激するのは、手当(時間外、役職)であり昇給なのです。しかし、これらのインセンティブは客観的で分かりやすいものの、ある一定レベルを超えると効果が薄れる傾向がある(年収300万円の人に100万円昇給するのは非常に効果的だが、年収1000万円の人に同じ額昇給してもそれほどの効果はない)。つまり、現在の看護師は賃金がある程度高いので、金銭的モチベーションが低く金銭的インセンティブが効きにくい、という仮説が成り立ちます。逆に言えば、年収が低い年齢層や、子どもがいるなど生活費が増えつつある世代には、普遍的に金銭的インセンティブが効く、ということです。

 次に②、人間には「同じ価値観を持つ集団に所属し、構成員として認められたい」という社会的なモチベーションがあります。皆さん良くご存じの、マズロー欲求5段階説の3番目です。医療従事者のモチベーション論文には、この社会的モチベーションに関する因子がたくさん取り上げられていたように思いました。医療従事者には、同じ思いを共有する組織の中で自らメンバーシップを発揮しようとする強い社会的モチベーションがあり、この情熱的で献身的な人となりが、スタッフそれぞれの出自、専攻、地位、権限、役割、扱い、評価、尊厳など社会的インセンティブによって刺激される。スタッフが定着し、良い医療を効率的に行う組織には必ず「面倒見の良いチーム」が存在し、個人はそのチーム集団に所属することでもたらされる利益を享受しながら、その集団内での評価、地位、権限を得ようと、集団内での自らの役割を出来うる限り果たそうとする。すなわち「役割」達成という社会的モチベーションが、集団における「評価、地位、権限」という社会的インセンティブによって刺激されていくわけです。

 そして③、人間には「自分はこうありたいという理想に向け、限りなく成長し続けたい」という自己実現的なモチベーションがあります。そうした人間の損得勘定を超えた究極的な自己実現モチベーションを刺激するものこそ、「憧れの先輩」のような「理想像」「先行モデル」、つまり自己実現インセンティブです。これらは最も高い次元に位置する「セット」となります。金銭的インセンティブが余り効かないレベルの高所得を得て、社会的インセンティブを刺激され最良のチームのポジションも得られたのなら、あと残されているのは自己実現インセンティブだけ。しかしながら自分の理想を完璧に体現できている人間など身近な周囲には、そうそういない。だから、その理想を文字にして壁に貼っておく。それが、組織が掲げる「理念」「ビジョン」「目標」なのだと思います。

 あなたの病院が掲げている「理念」は、あなたの高次元のモチベーションを日々刺激し続けるインセンティブに‥なっていますか?

2017/11/09

介護報酬マイナス改定を「国民目線」で考える

「この現状でマイナス改定なんて、政府は何を考えてんですかね!」

 周知の通り来年の平成30年度は、「6年に一度」の診療報酬と介護報酬ダブル改定です(診療報酬は2年ごと、介護報酬は3年ごとなので、6年ごとにダブル)。介護については、2年前から政府内で検討が始まっている「第7期介護保険事業計画」のスタート年度でもあります。同計画では、保険者(国民から介護保険料の納付を受けている団体組織=地方自治体)主導の制度改革と、ケアマネジャーなど地域の関係者が集って知恵をひねり続ける「介護予防」(地域包括ケアの予防的実践)が謳われています。さらに保険単位が市町村から都道府県に広がる、つまり保険者が市町村から都道府県へと移行します。市町村のような小規模保険者だと財政が不安定になるし(「小さな保険会社の保険に加入するより全国レベルの大企業のほうが安心」というビジネス原理と同じ)、小さな役所だと職員も少なく事務が大変だし(大会社で一括処理したほうが低コスト)、市町村単位だと良いところと悪いところの格差が出るし(企業城下町になっている市町村は良いが、その他の過疎地は目も当てられないマーケット問題)、といった具合なのですから経済合理性で考えれば必然の流れだと思います。

 来年度のダブルどころかトリプルの環境変化に対し、特別養護老人ホームの経営者など介護サービスの事業者は必死に今後の経営戦略を検討しているはずです。事業者にとって「介護報酬はサービス単価」に他なりません。これは、タクシーの「初乗り料金+一律のメーター運賃」と同じです。少子高齢化で、人手は集まらないのにも関わらず、入所希望者はどんどん増える。こんな状態で単価が下がってしまったら、収入減と職場のブラック化は必至です。減収が人件費負担にガツンと来て、賃金引き上げなど不可能、よって人材が集まるわけもなく悪循環。他方、保険者が大きくなるのは良いことばかりではない。しかも政府は、その「保険者主導のリーダーシップ強化」を国の計画として謳っているのです。民間保険の領域が広いアメリカなどでは、病院などの事業者より巨大な保険会社(米の保険者)のほうが立場も権限も強力で、「こんな適当なサービスじゃぁ支払いなんかできねーよ」なんて事業者たる現場の医療従事者は効率化とコストダウンを強いられるばかり。まさに、下請工場が親会社にイジメられるような構図が固定化するかもしれません。

 現在の状況は、事業者にとってかなり厳しい。そこで冒頭のセリフが出てきます。単価を下げられたら困る(介護報酬マイナス改定が続いたら困る)。効率化やコストダウンを迫られたら困る(保険者主導が行き過ぎたら困る)。だから社会に、とりあえずはマスコミにアピールしなければなりません。単価つまり介護報酬が引き下げられたら、介護施設の現場は崩壊する。高齢者(国民)は入所できなくなる(現状でも、入居待ち人数が凄く多いのに)。施設で働く労働者(こちらも国民)は、いつまでたっても処遇が改善されない(現状でも、かなりブラックな職場なのに)。実際、マスコミで展開される取材記事や論調は、こうした「事業者目線」のものが多くなっています。そしてわれわれ国民はそれらを読んで、「少子高齢化で大変なのだから、介護サービス事業者の単価は上げてやったら良いのでは?(それをマイナスなんて‥)」と、内心感じているのではないかと思います。

 経営学者は「事業者目線」を大事にしなければならないのですが、私も国民の一人ですし、介護保険制度自体が国民のためのものなので、ここは「国民目線」で書かせて頂きます。

 まずは、介護保険料についてです。「単価」はさておき、今後の日本においては「サービス供給量」が大問題です。団塊世代の後期高齢者化が控えている訳ですから、必然的に供給は増える。つまりサービス利用者が確実に増える。すると、その分が事業者から保険者に請求されてくる。支払いが増えカネが出て行けば、保険者はカネを確保するため保険料を引き上げるしかない。結果、われわれ国民が納付する介護保険料は増えていく。こうなると先の、「大変だから事業者の単価上げてやったら良いのでは」なんて国民の気遣いはどこかへ飛んで行くでしょう。自分の出費が増えるとなれば一大事、とりわけ「年金受給が少ない高齢層の国民」が納付する介護保険料問題がシビアです。保険料が上がって不満を募らせる国民が出てくる前に、その対策を打たなければならない。最も確実な対策は単価切り下げ、すなわち介護報酬のマイナス改定です。明確な事実は、「単価削減というマイナス改定は、介護サービス利用者のお財布にやさしい」と言うこと。これは「介護サービスの値段が下がる=国民の自己負担が減る」ことを意味します

 そして、介護職員の昇給問題についてです。前々々回の平成21年度改定の時(麻生内閣時代)、既に介護職場のブラック化は社会問題になっていて、現場の労働者の賃金を上げるべく介護報酬はプラス改定を実施しています。少なくとも「政府目線」ではそうです。それで、結果はどうだったか。そのプラス分は、現場職員の昇給にはほとんどつながって行かなかった。医者や看護師が病院に対して持つバーゲニングパワー(交渉力)と比べ、介護労働者が施設に対して持つそれは、力不足が否めなかったのでしょう。働き方改革と賃金アップによるデフレ対策を目指す安倍内閣は、そこに切り込んだ。こうして前回の平成27年改定では、介護報酬をマイナス改定として単価を絞りつつ、新たに「介護職員処遇改善加算」を設け、介護報酬を介護労働者の賃金増に紐付ける工夫がなされています。「われわれの施設では、現場の職員の賃金をこれだけ上げる」という計画を出させ、それが実行されて初めて加算が下りるシステムです。昨年度にこの加算を申請、受給した全ての法人は、この夏に実績報告書を提出しているはずです。介護現場で働く「国民目線」で評価される施策になっていると思います。

 「国民目線」で介護保険サービスの「未来(2025年の供給増問題)と過去(報酬の労働分配問題)」を考えると、今度の「介護報酬改定」はかなり厳しくなるのでは?と予想せざるを得ません。

2017/10/27

多職種「職務職能表」を作ってみる

「ウチにもありますよ‥。機能評価の時に、他のをコピーして作ったものが」

 医療の経営資源の中心は、間違いなく人材です。時間管理を軸とした「リソース管理」に関するエントリ(こちら)でも、そう強調しています。自院の人材が、雑務に振り回されることなく、また負荷が掛かりすぎないよう、持続的な活動継続のために人事労務管理を行うことこそ、医療機関の管理職の最大の仕事と言えます。

 しかし、それ以上に重要なことがあります。「経営資源」なのですから、その資源(人材)がどのくらいの能力を持ち、どのような機会でどう実力を発揮できるのか把握し、管理できていなければなりません。建設現場の現場監督が大型建機を取り合うように、能力ある経営資源が現場に少なければ、病棟など現場の日々の仕事がこなせなくなってしまうからです。また、建機のような経営資源は、文字通り機械ですからその保有能力が予め決まっていて等しく徐々に摩耗していくわけですが、人材という経営資源は、保有能力が当初わずかばかりでも、育成訓練や経験蓄積によって力を伸ばしていく可能性を有しています。成長する人材は、放っておいても成長します。しかし、人材の能力は「等しく」変化していくわけではない(放っておいたら、退化する者もいます)。つまり人材は、能力が多様に変化していく経営資源なので、その状況を常に把握していてこそ「リソース管理」の実効性が高められていくわけです。病院など医療機関は多職種による統合組織なので、その全ての職種に渡る人材の保有能力を把握していなければなりません。

 医療従事者の職業能力を測るための、様々な尺度や枠組みが検討されてきています。その代表例は、看護師の「キャリアラダー」(例えば、日本看護協会「クリニカルラダー」:こちら)でしょう。看護師に必要な能力レベルを高低で複数段階に分け、各段階の実践的かつ具体的な能力を発揮機会別に文書化したものです。非常に練り込まれた、汎用性のある良い尺度だと思いますが、問題は「これを、自分の現場の人的リソース管理に使えるか否か?」です。結論から言うと、実際はちょっと使い難くて、結局はラダーに明記されたチェックポイントを使い客観的に評価するのではなく、管理者自身が現場で感じる印象評価で決まってしまう。人材の評価は既に管理者の心の中で決まっていて、その数値化可能な後付け評価としてラダーが使われるパターン。なぜ、そうなってしまうのか。その「ラダー」が悪いのではありません。それは他の人が作った「ラダー」で、自らが自らの組織の人材の現状を前提に作ったものではないからです。

 「多職種に渡るクリニカルラダーみたいなものを、ましてや自分達で作るなんて、とてもとても‥」。例えば自院で、看護職の独自ラダーを作ろうとしても、看護師自身は忙しい、人事担当の事務職は現場感覚がない。「そう言えば病院機能評価の時に、他院のものをコピーさせてもらったっけ‥」。こんな感じでやり過ごされ、何時まで経っても整備できない。つまり、リソース管理ができない。人事担当を専門の外部研修に送ろうか‥、医療コンサルタントに頼もうか‥、企業の人事経験者を中途採用してみようか‥。いずれも病院の「管理部門あるある」ですが、いずれもダメです。結局は、他の人が作った枠組みを受け容れることになってしまうからです。

 さて、その「クリニカルラダーみたいなもの」を、人事労務管理論では「職務職能表」と言います。早速、Googleで「厚生労働省_職務職能表」と検索してみて下さい。「中央職業能力開発協会_職務職能表」だともっと詳しいサイトがヒットします。中央職業能力開発協会とは、厚生労働省職業能力開発局が設置した認可団体で、職業能力開発に関する様々なデータを集め、公開しています。それらが開設しているサイトで「職業能力評価基準」という概念で展開されているのが、ここで言う「職務職能表」です。これらは、簡単に言えば、業種の職種ごとに「新人・一人前・エキスパート・管理職」など人材を能力・職務別にざっくり分けて、それぞれの保有能力を言語化し、職務(医療で言えばケア業務、調整業務、管理業務など)ごとに整理したものです。検索で提示されたサイトを適当にクリックして行けば、様々な産業の様々な職種における「能力別保有能力の職務記述(能力の内容を言語化した文章)」を整理した表(枠組み)が大量に出てくると思います。これらは厚生労働省が予算を投入して作成した表ですから、もちろんどれだけ活用しても無料です。ちょっとしたアンケートに答えるだけで、全ての表がダウンロードできます。

 後は、見よう見まねでOK。自院の現状、自院スタッフのレベルに合わせて、ダウンロードしたファイルをコピペしながら自作してみること。専門研修や経営コンサルタントが作るフレームと比較してしまったら、すごく見劣りするようなものしか作れないかもしれません。でも、それで良いんです。何よりも、実際に使う人間が、実際に働いている人間を想定して作る「能力評価表(職務職能表)」。これこそ「リソース管理」を実行するための、必需品なのです。

2017/10/21

勤務医バーンアウトか、病院ブレークダウンか

「医師の応召義務って、一種の強制労働だと思うんですが‥」

 「夜勤医師の時間外労働賃金不払い問題」、「労基署による有名病院ガサ入れ」、「医師も同様に過労死自殺問題から働き方改革」、「応召義務を理由とした医療分野の適用除外と改革先送り」などなど。

 本格的な少子高齢化時代に入って医療現場の人手不足感は最高潮に達し、とりわけ救急など夜間勤務の労働現場では「ブラック」なんて言葉では表現しきれないほどの、異次元の労働強化が常態化しています。ただでさえ大変な現場なのに、しかもわが国は法治国家で、その労働法が時間外及び深夜勤務の際の割増賃金支払いを求めているのに、夜勤の勤務医に「宿直手当」しか支給しなかったり(割増賃金支払いは実際に急患があったときだけだったり)、大規模な公立病院が労基署の指導を受けたり、著名な民間病院が億単位の不足分を後から支払ったり‥。他方、大手広告代理店同様の医師の過労死問題が発生したり、医師が集団で転職エスケープ(いわゆる「逃散」問題)を図ったりと、テレビドラマの冒頭ナレーションではありませんが、既に「医療崩壊」と言っても過言ではない状況が顕在化しています。今後は団塊世代の後期高齢者化(終戦直後1947~50年生まれのベビーブーマーが、現在2017年で67~70歳)が進むわけですから、現状のさらなる悪化は目に見えています。

 「だから医師を増やせ」と声を上げるのは簡単ですが、それを実行するのはもちろん簡単ではなく、それゆえ実効性ある具体的な動きは今のところ見当たりません。いま医学部を増設したとしても医師を労働力として病院に送り出すのは約10年後になるし、外国人労働者(外国人医師・看護師)の受け入れ政策は国民的合意が前提だから入管法改正なんて早々ありえないだろうし(先進国はいずれも難民受入問題等で内向きだし、円安の進行で出稼ぎの旨味は少なくなったし)、歯科医師や弁護士や公認会計士など供給増で賃金条件が低下した花形専門職労働市場崩壊の前例が直近にあったし(いまや全てが大学最難関となった医学部も、現在の法科大学院のように人気や偏差値が低迷してしまうかもしれないし)、「人の問題の改革」は色々な背景や様々な利害が複雑に絡み合っていて、繰り返しますが「簡単ではない」のです。

 私のような一介の経営学者では何ともならない大きな問題なので、改革私案などを提示するなんて気概はあるわけがなく、「先々どうなるのか」を考えるだけの現在です。

 働き方改革」は現政権による官邸主導の政策、今や「政治主導」の力は強大です。官僚や業界が太刀打ちできる相手ではありません。これまで規制緩和政策などで、官邸に抗う抵抗勢力が様々存在しましたが、それを跳ね返すことができた勢力はほぼ皆無。「俺が本省に言う!」とか年配の重鎮先生は語気荒く何かと自信ありげですが、個人的には正直、さすがの医療界も厳しいと思っています。したがって、医師の時短や時間外問題の適正化は時間の問題。夜勤で出勤したのに宿直手当だけとか今時の労働法適用除外としてはかなり違和感があるし、救急医療など本来的に国や公共部門が担うべき役割を民間病院や個人に「応召義務」として負わせるのも、実態は、医師法が生まれた敗戦前後の医療の荒廃を乗り切るための「どさくさ当時の倫理規定」だった。少なくとも官邸と国民は、そう捉えると思います。結局、選挙を経て政権が落ち着けば働き方改革は実行され、いずれ政府は医療現場の異常さを解決すべく動き出すでしょう。「かとく(過重労働撲滅特別対策班)」に続き、東京と大阪の労働局に、新たに「医療かとく」が新設される‥。そんな絵(こちら)が脳裏に浮かんできます。

 当然ながらこうした政府の動きは、病院の財務と現場を直撃する巨大イベントとなります。病院経営コストの大半が人件費で、それが飛躍的に増大する。高齢化が進行して医療費が高騰する一方、健保も財政も既にカツカツで、診療報酬が増えることはない。つまり病院の収入が増えず(人件費)コストだけが急増するのですから、病院経営はコストの高い大都市部から一気に収縮して行く。そして結局、割増分の支払いに困った病院は、元々の賃金水準を下げ、全体の支払総額を抑えなければならなくなる。それでいて労働強化が極まる現場の仕事量は今と変わらず不変。既に「バーンアウト」(燃え尽き)寸前だった勤務医は、堰を切ったように「カネの切れ目が縁の切れ目」と病院を辞めていくでしょう。そして、その後の世界で真っ当な夜間の救急医療を維持できるのは、国・公共機関や一部の大規模病院などが巨額予算を投じて「大勢の医師を雇用し、ゆとりあるとは言えないまでも完全交代制を整備できる」現場のみ。その他の民間病院は残念ながら、夜間救急を断念し縮小均衡のソフトランディングを図ることが精々。少なくとも現在の、2,000を超える数の地域密着型民間病院に支えられた日本の地域医療は「ブレークダウン」(崩壊)必至の状況に追い込まれるハズです。

 さて、その、これまで大多数の民間病院で働いてきた勤務医はどこへ行くのか。普通に考えれば独立開業の方向でしょう。現在の医師のキャリアは「大学病院→公立病院→民間(私立)病院」(詳しくはこちら)ですが、その「後ろ2つ」を飛ばしてクリニック開業へと本気で走る。ブラックな病院の今後が、廃業か超ブラック化かのいずれかなのですから当然です。応じて、銀行など金融機関や医療コンサルタント会社がその波に乗ってビジネスを広域展開する。こうなると、今度は地域で診療所間の競争が激化していく。もちろん既存の開業医グループはこちらも本気で抵抗するでしょうから、恐らく、開業に関わる「保険医の配置・定数や自由開業・自由標榜の見直し」検討が急速に具体化されていく。この流れに、医師の需給や偏在を解消しようと検討してきた政府プロジェクトや総合診療医の普及拡充を目指す民間ネットワークなどが合流し、勤務医の独立開業への大量移動をコントロールしようと動き出す。他方、崩壊が進む民間病院には個を凝集して経営力をつけるべくホールディングス化(グループ持株会社化)の流れがうねり、経営層の代替わり問題も相まってドラスチックなM&A(病院買収)が展開されていく。もちろん金融機関やコンサルタント会社はまた、そのマーケットで一山当てようとするでしょう。

 保険医問題にせよホールディングス化にせよ、これまでシーズはあったもののブームにはなっていなかった「医療経営の独立ベンチャー志向と連携ネットワーク化」のうねりへの引き金を、1年半後に動き出す「医療の働き方改革」政策が大きく引く。このトリガー(引き金)は、改定だの加算だのの類いとはレベルが異なります。そこから一気に時計の針が回り出し、医療経営は戦国時代へ。そんなことを考えて、経営学者としては、ただただ身震いしつつ背筋が伸びる思いなのです。

2017/10/06

経営学の古典に学ぶ「チーム医療」管理論

「今度、師長になります。管理職として何か読むべき本とかありますか?」

 「上司に、ドラッカーを読めと勧められました」とか、良く聞きます。もちろん、アメリカの著名な経営学者P・F・ドラッカー(1909-2005)の本もオススメなのですが、大学の経営学部的にはC・I・バーナード(1886-1961)のほうがメジャーです。経営管理論のメインコンテンツこそ「バーナード理論」なのです。どちらかと言うとドラッカーは顧客志向のマーケティングに関する著作が有名で、人の上に立つ管理職について研究した本となると、やはりバーナードでしょう。バーナードの著作(『経営者の役割』)は、経営管理論の古典中の古典です。

 先のエントリ(こちら)では、私なりに「チーム医療」の定義づけを行いました。主治医と患者担当のプライマリ看護師、病棟師長、担当リハビリスタッフ、MSWなど多職種が、共有化された治療計画(クリニカルパスやプロトコル)のもと、個々の専門的知識と労働力を投入(インプット)して結果(アウトプット)を出し、それらを一定基準(中間アウトカム)で接続させて、最終的な成果となる退院基準(最終アウトカム)へと導く。その治療計画上での、参画メンバーそれぞれによる一連のタスクのつながりを「チーム医療」としています。先のエントリの表現を使えば、「中間アウトカムでつなげた複数のパスの連立方程式を、滞ることなく的確に解く」こと、これがチーム医療です。
 さて、バーナード理論を踏まえると、チーム医療はどう管理されるべきなのか? 同理論の要諦は「有効性と能率」という2つの概念にあります。

 バーナードが言う「有効性」とは、目的達成に有効なインプットの技術レベルのことです。つまり、技術的かつ具体的な処置や薬剤の使用などスキル全般を意味し、インプットの有効性が高ければしっかりとしたアウトプットが出せます。さらに、チームで協働するために必要な基準(中間アウトカム)があるので(例えば、転科基準を取り上げたこちらのケース)、その行為の達成目的は必然的にアウトカムとなります。チームメンバーのそれぞれが、知識と経験と労働力の完璧なインプットを行って、あっさりとアウトカムを引き出すことが出来る技術。そうした技術を有するメンバーが多ければ、それは「組織の有効性」が高いチームです。いわば最も有効性が高いのは、「どんな状態でも焦らず成果を出せる、実績十分のベテランを揃えたチーム」となるでしょうか。
 ごく当たり前の話ですよね。問題は次です。

 バーナードが言う「能率」とは、成果目的達成に取り組むチームメンバーの意欲の持続性(モチベーション維持)のことです。通常「能率」概念は、インプットに対するアウトプットの比率を意味します。少量のインプットだけで大量のアウトプットを産出することを、われわれは「能率的」と表現します。しかし、それだけでは、組織が求めるアウトカム水準に達しないアウトプットを、個人が勝手に、「能率的」に量産させてしまうかもしれません。そこでバーナードは、インプットとアウトプットではなくアウトカムと個人のモチベーションを軸に据え、この「能率」概念を全く異なったものに仕立てています。インプットすれば一応のアウトプットは出るのであって、最終的な目標はあくまでもアウトカムなのだけれども、そのアウトカムは達成できることもあるし、達成できないこともある(クリニカルパスではこれをバリアンスと言っています)。そこでの現実問題は、仮にアウトカムが達成できなかった時、インプットを行ったメンバー個人のモチベーションが下がってしまうことであって、たとえアウトカムを達成できなくても(通常、アウトカム未達ならガッカリ意欲喪失してしまうところ)メンバーのモチベーションが高く維持できるなら、それこそが「組織の能率」の高いチームだ、と考えるのです。いわば最も能率的なのは、「少量のアウトカムしかなくても腐らず、有効なインプットを大量に投入し続けるチーム」となるでしょうか。

 管理職の役割は、チームの「有効性と能率」を引き上げることです。看護師長になったのなら、病棟におけるチーム医療の「有効性と能率」を引き上げなければなりません。技術力の低いままアウトカムが出せずに腐っているプライマリばかり(WLBを盾に現場から逃げようとするのも同じ)、では師長失格なのです。パス上のアウトカムを確実なものとするために、チームメンバー個々が行う「知識と経験と労働力」というインプットの技術レベルを可能な限り引き上げるには、何をどうしたら良いのか。例えば、どんな訓練や振り返り、さらにはどんな情報共有を行うべきか(外部の定型的な研修やコンサルティングに、安易に依存していませんか?)。パスのアウトカムが達成できずバリアンスとなっても、関係メンバーのモチベーションを維持し続けるには、何をどうしたら良いのか。例えば、どんな声かけや手当、さらにはどんなバリアンス対策を講ずるべきか(半ば軍国主義的に、現場スタッフへ自己犠牲を強要していませんか?)。

 「何となく解ったような、まだ腑に落ちないところがあるような、モヤモヤした感じがあるので、バーナードの本、早速買って読んでみます!」と、皆そう仰るのですが、私はオススメ致しません。というのは、バーナードの本は超難解!!だからです。

2017/09/18

病院「オーナーシップ」の重要性

「“持分”のある病院は、もう設立できないんですよね」

 「持分」とは出資持分(比率)のことで、株式会社で言う「保有株式」のようなものです。会社を興すとき、出資者は株式を購入するかたちで出資金を出すのですが、その株式の保有比率によって、株主それぞれのオーナーシップ(所有者の役割や権限)が変わってきます。会社の最高意思決定機関は「株主総会」で、社長の選任や事業譲渡・合併の決定など重要事項を、株主が一株一票制の多数決で決めていきます。「一株一票」ですから、発行株式の過半数を保有する「大株主」が一人いれば、その一人の判断で重要事項の全てが決まってしまいます。これぞ「資本の論理」です。

 「持分」は、病院に残っている「資本の論理のようなもの」です。例えば病院設立時に出資者が4人いて、それぞれ25%ずつ出資すれば、その分が各出資者の所有権すなわち「持分」です。病院に多い医療法人社団の場合、出資者は「社員」と呼ばれ(「会社員」を略して言う社員ではなく、団法人の創業メンバー構成を意味する「社員」です)、それらの「社員総会」が会社の「株主総会」に当たる最高意思決定機関となって、病院の経営者たる理事長など理事の選任といった最重要事項を決めています。しかし、株式会社は一株一票ですが、社団である病院は「一人一票」です。一人に一票なので、それなりに民主主義的ではあります(資本主義的な株式会社とは異なります)。ちなみに医療法人財団の場合は、株主や社員に当たる人を「評議員」、株主総会や社員総会に当たる会議を「評議員会」と言います。

 「やっぱり病院は民主的な公的組織だから、株式会社の強欲資本主義みたいなところがなくて良いですね」という意見、医療従事者からちょくちょく聞きますが、そうそう安心できるものではありません。「病院の意思決定機関の仕組みの甘さ(自由度)」が、一人の出資者の行動一つで致命的な「資金ショート」(資金繰りが悪化して皆さんの給与の支払いが遅れたり、倒産しかけたりする状態)に陥ったり、外部の第三者の悪意ある戦略的行動一つで簡単に「乗っ取り」が行われたりするリスクを孕んでいるのです。

 先の例のように、大昔の病院設立時に25%の持分を持つ社員がいたとします。それから数十年経ち、病院が大きくなって病院の土地、建物、設備など総資産が数十億円になったとき、その社員が高齢を理由に引退しようとしたり亡くなったりして本人や関係者が持分(出資分)の払い戻し請求を行えば、その持分比率に応じて病院は「数十億円の25%」を支払わなければなりません。
 また、医療法人の持分のあり方に特別な規制はなく、持分の全部や一部を自由に譲渡することができます。株式会社なら、株式市場があり、証券取引所があり、上場基準(株式を自由に売買できるようになる基準)があり、買収のための公開取引(公開買い付け)など様々な社会制度があり、さらに売買契約、情報開示、独占禁止など様々な法律や規制があります。株式会社の企業買収は簡単にできる作業ではありませんが、医療法人の社員の持分が悪意を持つ者に譲渡され、その者やそのグループが社員総会や評議員会で議決権を行使すれば、病院経営の重要事項は全てそこで決定されてしまうのです。

 あなたは、病院の偉い人をどれだけ知っていますか? 「理事長や、理事となっている院長」は、一緒に働いているのですからよくご存じでしょう。でも、その上に、理事長の選任について議決権を持つ社員、評議員がいます。また、大株主のように大きな出資持分を持つ社員がいます。そしてその傍らに、持分譲渡から議決権を狙う第三者がいるかもしれません。それらの人たちの「オーナーシップ(病院所有者としての役割と責任、そしてビジョン)」を確認しておかなければなりません。
 ちょっと心配になってきた皆さんは一度、内閣府のこちらや厚労省のこちらで「病院のガバナンス(組織統治の仕組み)」を勉強してみて下さい

2017/09/06

人材も「仕分け」てみる

「話す人が決まってますから、何を議論しても結論は一緒です」

 病院にはいろいろな会議やカンファレンス、打ち合わせがあります。それらミーティングには、大きく二つの種類があります。一つは、決められたポイント項目を確認し、情報を皆で共有するためのもの。例えば、日々の「申し送り」や定例の経営会議などです。情報が的確に隅々まで伝達されるなど、効率的側面が重視されます。メールやテレビ会議システムを使ったIT技術が導入されたり、ダラダラしないよう立ったまま行うなど「進め方・運営の工夫」が求められます。もう一つは、課題や方向を設定し、皆で自由に議論して、何らかの目標や結論を得ようとするもの。例えば、症例検討のカンファレンスやプロジェクトの企画会議などです。白熱した議論に全員を参加させるべく、教育的側面が重視されます。技術的・経営的な課題に取り組ませたり、専門家を招聘したりするなど「討議内容の工夫」が求められます。

 これら「ミーティングの質」は、経営者が最も気にするポイントです。精密なコードで適確な情報がトップからボトムへとスムーズに流れ、組織全体が効率的に整然と動いていく。また、現場のボトムで働くスタッフが気後れせず議論に入り、トップが傾聴して真摯に受け答え、同じ方向を向いた組織全体が活気と熱気に満ちていく。こうした雰囲気が確認できた経営者は、少しぐらい平均在院日数が伸びても病床稼働率が伸び悩んでも、気にしたりしません。こうしたミーティングができているなら、悪い数字も「三寒四温」の「三寒」の一つに過ぎない、と余裕が持てるからです。
 経営者が様々な会議に顔を出し、「ミーティングがスッキリまとまってるね」、「議論がしっかり出ていた企画会議だったね」と満足できていたとしても、しかしながら実は、その背後に大きな構造的問題が横たわっていたりすることがあります。意外に見過ごされがちなポイントです。

 そのシグナルが冒頭のスタッフの、何気ないセリフなのです。経営者目線で見れば、「あのミーティングも、その企画会議も、○○さんのリーダーシップがあったから。○○さんこそ次世代のリーダーだね」。とはいえ、でも現場はそれほど上手く行っていない。多職種協働、チーム医療、全員経営など、そう言えば依然として掛け声だけに終わっている。そんな状況や展開、心当たりありませんか?
 性善説で考えれば、きっと「その○○さん」は患者を思い組織のためにと、一生懸命頑張っていると思います。逆に性悪説で考えれば、「○○さん」は会議で自己実現、自己確認したいタイプが、経営者へのアピール兼ねて発言しているだけでしょう。そのどちらかは、実際見てみないと判断できませんが、そうした状況を全体から打開し、組織の問題を体幹からほぐしていくノウハウがあります。

 是非、会議や打ち合わせのグルーピングを一つでも、「人材のタイプで仕分け」して実施してみて下さい。私が研修のグループワークで、まず最初に行う作業です。常に声を出して会議の場を仕切るリーダータイプだけ集めた会議、リーダーのリーダーシップに協力(あるいは迎合)して場を持たせようとするマネージャータイプだけ集めた会議、リーダーとは一線を画し個人プレーの仕事に走る職人タイプだけを集めた会議、残業はせず仕事は効率化第一で会議では早く終われと押し黙っているワークライフバランスタイプだけを集めた会議です。
 きっと、場の雰囲気やコミュニケーションの展開が、いつもの会議と違ったものになるはずです。「仕切屋」タイプばかりが集まれば、発言のチャンスは減りますが、各自は話す内容のキレを上げようと切磋琢磨します。押し黙るタイプばかりを集めれば、誰も話さない気まずい雰囲気に耐えきれず、誰かが口を開き話し出します。こうして発言の場のレベルが上がり、その場に四方八方から多様な人材が出てくるようになるのです。

2017/09/05

医師と看護師の「働き方改革」

「もう毎日忙しすぎて、とにかく政府に何とかしてもらいたい一心ですね」

 2017年の東京の夏は雨ばかりでしたが、霞ヶ関の労働界隈は非常にホットな夏でした。政府は前年の夏「働き方改革担当大臣」という新ポストを設置し、翌年ことしの春「働き方実行計画」を発表しました(詳細はこちら:首相官邸HP)。そして、この夏、その法律案がまとめられています。法案に対し各方面から反論が出て、それをマスコミが取り上げ、国民的議論になってこじれて廃案‥という流れは隣国のミサイル発射と核実験ニュースにかき消されそうなので、この秋の臨時国会法案提出が順当かな?と考えています。そして国会通過で成立すれば、速やかに周辺のガイドラインや施行細則が整備され、翌年あるいはその次の年度はじめから法施行、新たな「働き方」が始まるということになります。

 「で、何を改革するのか?」ですが、大きく二つ「時間外労働の上限規制」(労働基準法、労働安全衛生法などの改正)と「同一労働同一賃金法制」(パート労働法、労働契約法などの改正)が目玉です。
 「時間外労働の上限規制」については2016年の秋、大手広告代理店社員の自殺が過労死と認定されたことが背景にあります。これをマスコミが大きく取り上げ、長時間労働が社会問題となりました。これらを受けて政府は、時間設定に関する紆余曲折の議論の結果、時間外労働の上限を「原則月45時間、年360時間、特例の場合は年720時間」と設定しました。さらに、従来まで猶予されていた中小企業にも「割増賃金率」を新たに適用し、年収1,075万円以上(「平均年収の3倍以上」という基準)の人なら一定条件の下で長時間労働も可能な「成果型労働制」(高度プロフェッショナル制度)を新たに設けました。
 一方、「同一労働同一賃金法制」については、いわゆる「正規・非正規間の格差」が、長らく社会問題としてマスコミに注目されてきたことが背景にあります。これを受けて政府は、短時間パートも有期契約もいずれも、職務内容が同じなら正規と「均等待遇」にするよう求め、「賃金などの待遇決定は個別の労使決定が基本だが、不合理な待遇差は是正が必要」という理念を掲げた法律を新たに作り、労働者からの裁判が増えることを前提に、各職場に「職務の成果、意欲、能力、経験」の司法判断要素を整備するよう規定を設けるとしています。

 これらは「法制化」つまり法治国家の法律ですから、もちろん医療の現場にも原則例外なく適用されます。
 時間外労働(残業)の上限については、年720時間のほか「休日出勤を含み2~6ヶ月平均で月80時間以内、休日出勤を含み単月で月100時間未満、月45時間を上回るのは年6回まで」とする「過労死基準」も法制度に加えられます。しかしながら医師については、医療現場の現実と応召義務の存在が考慮され、とりあえず「適用除外」となりましたが、「2年を目処に議論して規制のあり方をまとめ、法改正5年後を目処に規制を適用」する方向が示されています。今のところは先送りとなっていますが、今後の「ウルトラC」(例えば、医師を「年収1,075万円以上」の枠に組み入れる等)もあり得ないことではありません。
 一方、同一労働同一賃金の法制化については、「同じ職務で、同じ責任の程度」なら賃金などの条件を「均等待遇」にしなければなりません。女子型雇用の看護師では、出産後に職場復帰する際、子育てと両立させるために短時間の非正規形態を選択する人が多くいますが、これらの賃金条件の実態は「正規と均等待遇」になっていないケースが結構あります。さらには従来からの、いわゆる「正看・准看間の同一労働同一賃金化」問題もあります。これから育児のママさん看護師には朗報ですが、マイナス改定に喘ぐ病院に賃金アップの原資はなく、病院経営者には頭の痛い法制化です。残念ながら裁判は増えていくでしょうし、逆に正規側の賃金条件が下げられたら、大混乱は必至です。

 政府の「働き方改革」は法案整備など着々と進んでいます。医療の現場も、真摯に対応していかなければなりません。(その後のエントリはこちら

2017/09/04

医療分野における外国人労働者受入れ「制度の現在」

「これから、技能実習とかで外国人労働者が増えるんですよね?」

 医療・介護分野への外国人労働力受け入れが、ゆっくりと進んでいます。島国の日本にとって、外国人労働者問題は基本的に「制度論」です。ヨーロッパのように地続きだと、難民等の問題はその流入を止められない「現実論」(来ちゃうんだから仕方ない)なのですが、日本の場合、自然的国境として「海」があるので、空港や港での入国管理が可能だし、入国後も外国人登録などによる在留管理が徹底できます。かつてのバブル時代は、観光ビザで来日して働いたり(資格外就労)、ビザ期限を超えて働いたり(オーバーステイ)、風俗や飲食など地下経済ビジネスで働くケースの取り締まりが徹底できず、いわゆる「不法就労外国人」(“不法”という表現は適切ではないという意見がありますが、解りやすさを第一に使用しました)がたくさん滞在していました。ピークは1990年代半ばで、30万人弱の不法滞在者がおり、そのほとんどが就労していたとみられています。

 「制度論」というのは、島国日本の外国人労働者数は制度を厳格に運用すれば減り、制度を新たに設定すれば増える、ということを意味しています。ちなみに2017年現在の不法滞在者数は約6.5万人、入国管理局(「ニュウカン」)による入国管理「制度」に基づく取り締まり強化を背景に、ピークから大きく減少しました。その一方、新たに外国人労働者を受け入れる制度が設けられれば、その「制度」に基づき増加します。医療従事者の皆さんなら誰もが知る「EPA(経済連携協定)外国人看護師・社会福祉士」は、この「制度」そのものと言えます。医療関係のこうした「制度」ができる分だけ、医療分野の外国人労働者は増加していくという構造です。

 実際に、制度の変更とデータの動きを追って整理してみましょう。21世紀に入り、日本とフィリピンやタイなど東南アジア諸国とのFTA(自由貿易協定)やEPA交渉が盛んに行われていました。その過程で2004年、日本とフィリピンとの間でEPA交渉が決着し、2006年をメドにフィリピン人看護師を受け入れる合意がなされました。当時、日本のフィリピン人労働者と言えば、多くが「じゃぱゆきさん」(日本の飲食・風俗産業で働く女性労働者)でした。もちろん日本の入管法は単純労働者の受け入れを認めていませんが、フィリピンにおいてダンサーの資格を持つ「芸能の専門職」が「興行ビザ」(プロスポーツ選手と同様)で入国するケースが横行していました。つまり、ダンスを演じる目的で入国した者が飲食店等で給仕をする「資格外活動」です。しかも、その舞台は風俗産業など地下経済で、そうした流入は日本政府としても看過できませんし、フィリピン政府としても自国民の出稼ぎ先が他国(日本)の地下経済に集中することは人権保護の観点からも看過できません。他方、フィリピン人女性の出稼ぎは「ダンサーという名目の単純労働者」が主流なのでは決してなく、欧米や中東地域などに「看護師という専門職」を大量に送り出し、高い評価を得てきていました。両政府の間には、日比間の国際労働移動の流れを適正化したいという意識が明確にあったと考えています。その後の展開は、法務省の入国管理統計(こちら)みれば明らかな通り、フィリピン人女性の不法滞在者(多くは飲食・風俗産業の不法就労者)数は「看護師受け入れのメドとした2006年」から入管局の摘発が厳しくなり、急激に減少しています。とはいえ実際の日比EPA発効は、日本からのゴミ輸入問題等でフィリピン上院での審議が滞り、当初のメドからほぼ3年遅れた2009年12月となりました。不法就労者が摘発で激減する一方、看護師の送り出しが遅れたことで、フィリピンのGNPの約1割を占める「海外出稼ぎ者からの母国送金」が減少したのも、これら両国間の制度の進捗による「制度論」の影響と言ってよいでしょう。

 そして2017年、日本では技能実習制度の改正が行われ、新たに「介護」分野の受け入れが開始されることになりました。特養の介護業務や病院の看護助手分野などでの受け入れが想定されています。現在、その「制度」設計の仕組み作りが行われていますが、「制度」の目的はあくまでもインターン実習なので、誰がどのように教育し、成果をどう評価するかがポイントになります。とはいえ、この制度においても現実的な意味は他にあり、医療介護ともに報酬のマイナス改定が続くなか、収益減とコスト増に喘ぐ施設・病院経営者への「代替経営支援制度がコレ」であることは、当事者の方々も否定し得ないでしょう。ある意味これも、立派な「制度論」なのだと思います。

「医師のキャリア」の全体像

「新卒入社でずっと定年まで、というわけにはいかないんですよ」

 新卒一括採用、年功序列、終身雇用、定年後再雇用。これぞ、日本型雇用慣行の典型コースです。文系理系を問わず大卒正社員のサラリーマンなら、「一生のうち転職経験ゼロ」という人も少なくありません。最近でこそ雇用流動化で転職経験者も増えてきましたが、安定した業界の企業に正規採用されれば、「一生1社」こうしたコースで完全リタイヤまで40~50年、働き続けます。大卒就活生の近年のトレンドは、就「社」じゃなくて就「職」、大手に限らず中堅・中小。彼らに言わせれば、「大企業だと後輩がどんどん入って来るので人材豊富。それゆえリストラや出向があったり、定年後の再雇用がなかったり」するので、「少しぐらい条件が悪くても、自分のやりたい仕事にこだわり会社を選ぶ。中小だと人材は貴重なので大事にしてもらえるし、定年関係なく一生働き続けられる」。有名大企業に就職して合コン三昧!転職してステップアップ!なんて今は昔、あくまでもワークライフバランスが基本、その実現のために都合が良い会社を選ぶスタイルが支持を集めています。

 さて、医師のキャリアのパターンは如何に。医師のキャリアの全体像については、全国の民間病院の経営者団体、全日本病院協会が行った大規模アンケート調査(詳細はこちら:全日病PDF)が大変参考になります。この「医師の就業動向調査」(2015)は全国の医師3,915名から回答を得た、まさに直近の大規模調査です。医師のキャリアの全体構造を示した一つのグラフ、インターネットで公開されている報告書PDFの7ページ(全27ページ)「卒後年数別の主業務の勤務施設」を見て下さい。20代半ばの「卒後1年目」から定年前後の「卒後40年目」まで、それぞれの年齢の時に働いていた「勤務施設」を追跡調査したパネルデータ(個人別の回答を時系列に並べたモノ)の集計結果です。

 このグラフを見ると医師のキャリアのパターンは、大きな色が三つ分かれていて、多くが「一生3院」となっているようです。大卒サラリーマンのように、最初に就職したところで一生働くような人はごく少数派で、まずキャリア初期に若い人たちの大量病院移動があり、キャリア中期に少しずつ、もう一度その先へと移っていくパターン。その3つも属性がほぼ決まっていて、最初はほとんどが「大学病院」に入職(研修医として働き始め)、キャリア初期に過半数が「公立病院」へと大量移動(大学の医局から派遣され)、その後キャリア中期にかけて五月雨式に「私立病院」へと移っていき(医局から離れ自由に移動し)、卒後20年目のキャリアの丁度真ん中で私立病院勤務が過半数を超えています。つまり医学部卒業後は、「大学病院から公立病院、そして私立病院」という「一生3院」が医師のキャリアの全体像となっています。また、20代後半から30代前半のキャリア初期と中期の間には、大学院に戻るアカデミックなキャリアや、海外勤務や留学などグローバルなチャレンジを選択する医師もいます(グラフ「卒後4年目」から「12年目」辺りまでの、上部が凹んだ部分)。こうしたキャリアはテレビの医療ドラマでは良くある話ですが、とはいえ現実では少数派で30歳前後に数%見られるものの、キャリア中期にかけて徐々に少なくなっていくようです。

 この調査結果は、大規模なパネル調査とはいえ、民間病院に勤務する常勤医を対象としたものです。研修医からリタイヤ直前までのキャリア全体を俯瞰する上では非常に有効な調査ですが、もちろん卒業後ずっと大学に残っている医師や開業する医師もいます。それら様々なデータを総動員させ、医師のキャリアデザインについて研究を進めていかなければなりません。

2017/08/28

採用配置基準としての「仕事の閾値(しきいち)」

「閾値って、疼痛管理のときのアレですか?」

 「閾値(“しきい・ち” or “いき・ち”)」とは、もともとは生物学や心理学の専門用語で、「生体の感覚に訴え、行動を起こさせる際の、最小量の刺激量」を意味します。「閾」とは「=敷居(しきい)」で「一線を画す」的なもの。「閾値」は医療従事者の皆さんが疼痛管理などで教わる、「閾値が高いと痛みにも我慢できる(低いと痛みを訴える)」など限界値的な“ソレ”のことです。さて今回は、これを人事管理に置き換えてみましょう。未処理の仕事がどんどん積み上がっているのに、それで上司がガンガン指示を出しているのに「そんなのどこ吹く風で、ぜんぜん余裕な感じの仕事環境に無関心な自由人」がいる一方で、依頼や指示のメールが一通来たら直ぐ処理しなければと動き出し、同僚の処理スピードが遅れているとついつい手が出てしまう「仕事の情報がちょっとでも入ってしまうと、それに対応しなきゃ落ち着かない勤勉な組織人」がいらっしゃいます。つまり、「仕事と個人の間にある閾(しきい)の高さ」が人によって全く違うのです。

 この「仕事と個人の閾値」が大きく異なるスタッフを同一職場に入れてしまうと、様々な人事管理のトラブルが発生します。「Aさんは全然動かない、私はいつも彼女の尻ぬぐいばかり!」、「B君は残業も厭わないのに、同期のCは同じ仕事で直ぐ音を上げる‥」などなど同僚同士、上司部下で不平不満のオンパレード。最近では、大企業での過労死自殺が社会問題となり、政府は労働強化を廃し長時間労働を削減する「働き方改革」を進めていますが、もちろん法令違反や人権無視は論外として、閾値が高い人と低い人では、「働き方」への感度や反応が異なって出てきてしまうのです。同じ能力を持ち同じ職場で同じ仕事を同じ程度でしていても、「政策とか関係ない! 目の前に仕事があれば、そうするでしょ」と言う人もいれば、「われわれの職場は完全に異常な状態。誰か労基署に訴えてくれないかな‥」と考える人もいる。働きアリなど下等な生物の「仕事の閾値」は、働く生命体として持続可能なように「疲弊したら閾値が上がり、仕事環境からの情報に反応しなくなって休む(体力回復したら閾値が下がり、働き始める)」のですが、感情と大脳が発達し、恐怖と煩悩にまみれた人間の労働者は、閾値が低いまま働き過ぎて燃え尽きたり、閾値が高いままサボりまくって左遷されたりするわけです。

 人材の採用及び職場への配置を司る人事担当が最も気にかけなければならないのは、職業安定法や労働基準法の遵守は当然として、それ以上の興味関心をもって、採用配置対象となる医療従事者個々人の「仕事の閾値」を可能な限り把握しておくことだと考えています。「理想」的なのは、こんなケースです。まず、仕事の閾値が低い人材を採用し、しっかり働いてもらう。でも、こうした人たちはついつい働き過ぎるので、労働時間は短く、休暇は多く、条件は高く設定する。しっかり働く人ばかりなら何とかこれが可能です。しかし、相対的に高い労働条件を提示すると今度は、高い閾値の目ざとい人材がたくさん応募してくるので、人事担当がさまざまな調査や試験や面接を行ってそれらを排除する。採用配置後も個々人の「敷居の高さ」を常にチェックし、面接で読み間違った、あるいはそれぞれ違いすぎると思ったら人事異動で調整し(なるべく同じ閾値の者を集め)、採用試験の方法そのものを改善していく。厳しい採用環境の中でこれがどこまで出来るか、「チーム医療も多職種協働も閾値管理次第」なのです。

2017/08/26

医学部からの「ポートフォリオ」

「若いドクターなら知ってると思いますが、自分は良く解りません」

 大学教育における「ポートフォリオ」を一言で説明すると、「教育成果の記録をまとめたもの」となります。ノート・プリント・メモ・レポートの内容、実験・研修・試験の結果を、学生一人一人が分野ごとに整理したものです。最後の試験結果はあくまでも「教育成果のごく一部」に過ぎません。その学生の「学び」はいろいろ書き込まれたノートをはじめ、様々な文書の記録の中にあります。かつては、それらを全部まとめようとするとバッサバサの分厚く重い「バインダー」にファイリングするのが普通だったのでエラく大変でしたが、PC性能やWeb環境の向上に伴い、「黒板の板書やノートはスマホで撮ってクラウドに上げて、実験データもファイルにして上げて友達と共有して、後でレポートにまとめてファイル名を‥」など記録や保存が飛躍的に電子データ化し扱いが容易になったので、これらを電子情報として記録する「eポートフォリオ」が2010年頃から急速に普及し始めました。大学医学部における教育現場の変化も、概ねその時期です。なので冒頭の「若いドクターなら知ってる」というのは、「2010年代に大学・大学院教育を受けた」ぐらいの若いドクター、と言えるでしょう。

 「eポートフォリオ」なんて言うと未来的な響きがありますが、早い話、紙のカルテが電カルになったようなものです。ポートフォリオ(portfolio)という英単語の意味は「紙挟み」(「クリアファイル」のようなもの)、まさしく紙カルテです。今の医療現場では、患者の病状観察、与薬経緯、検査結果、指導内容、担当所見などが全て電カルに入っています。正直なところ、病院の電カルは大学のeポートフォリオの上を行っていると思います。ただし、記録をとる対象と使用目的が異なります。電カルは「患者の」、eポートフォリオは「学生の」変化の記録です。例えば今後、病院で「職員の」保有資格、仕事内容、処理速度、ミス頻度、最終成果などの変化が電カルのレベルで記録され、それが人事考課に反映されて、成果主義として人事管理に運用されたとしたら、病院は大学を完全に凌駕するでしょう。病院理事長の皆さん、どうでしょうか? こういうデータの記録分析による人事管理、やってみませんか? 2011年の米コロンビア映画、ブラッドピット主演の『マネーボール』は大リーグの弱小球団を、こうした分析手法で立て直した物語です。このモデルはオークランドアスレチックスのGMビリービーンで、2000年代前半に「セイバーメトリクス」という手法を導入し、年俸の安い若手主体の弱小球団をプレーオフ常連球団へと大躍進させました。

 企業人事においても、「ポートフォリオ」という概念は既に定着しています。例えば、企業が新規事業を立ち上げ、社内でプロジェクトチームを編成しようとする時など、人事は全社員に向け、プロジェクト計画の内容を告示するとともに「各自、ポートフォリオを提出せよ」と指示します。メンバー入りを希望する社員は、自分のポートフォリオに現在の保有能力、キャリア、これまでの実績、アイデアなどエビデンスを揃えて提出し、人事とプロジェクトリーダーが数あるポートフォリオの中から候補者を選び(書類選考)、社内オーディションを経て精鋭揃いのプロジェクトチームが始動する。その起点がポートフォリオとなるのです。

 なお、経営学のポートフォリオについては、こちらをご覧下さい。

人材紹介料支出と国民皆保険制度

「人材ビジネスに、国民のカネがたくさん流れちゃってるんですけどね」

 医療機関の従業者定着率は、他の業界に比べて極端に低くなっています。逆に言えば、雇用の流動性が著しく高いということです。高齢社会を迎え慢性的な人手不足かつ労働条件が過酷で、基準看護など採用配置が組織収益にリンクしており、資格や認定制度が整備されていて職業能力が判断しやすく、さらに労働供給地と需要地が偏在している(いわゆる「西高東低」問題など)ので、労働移動が生じやすい。これだけ低定着率(高流動性)の条件が揃っているのですから、無理もありません。

 さらに、2000年代から急激に進んだ政府の労働市場自由化政策によって、民間の人材紹介会社が雨後の竹の子のように生まれました。ほぼ同時期に、医学部卒業後の医師臨床研修制度が始まり、これによって大学医局の人材斡旋機能が空洞化してしまいました。また、看護など医療系大学学部が急増したもののキャリアセンター(かつての「大学就職部」)の整備が追いつかず、インターネットに頼らざるを得なくなり、医療分野の労働市場はネット情報と若い人材が縦横無尽に動き回る、無秩序な世界になってしまいました。ビジネスの自由化と大学機能の空洞化とインターネットの普及拡大がいっぺんに来たのですから、これまた無理もありません。

 そんな世界で病院など求人側の医療施設は、巷の人材紹介会社に、為す術もなく引っかき回されています。連日の度重なる営業。「医療を良く知らない」営業担当が、台本を覚えたかのような電話を執拗にかけてきます。実際、私からすると、医療の人材紹介も株式の投資信託も土地の賃貸アパート運用も高齢者の健康食品も、全てがほぼ同じ営業スキルに見えます。それでいて紹介手数料は高く、定着は短く、投資分が全く回収されない。紹介料率が年収の30%なら、1000万円の医師の紹介を受けて300万の紹介料を払って、持ち場に就いて仕事を覚えてもらい、やっと戦力になったか(300万分やっとここから回収できるかな)と思ったら「辞めます」。個人的な事情があって辞めるならまだしも、裏でかつての人材紹介会社が手を引いていたりする。紹介料収入は紹介件数に比例するので、一人の医師を何回も転職させれば、人材ビジネスとしての効率は上がる。ポイントは人材の回転率引き上げです。私が営業マンだったら、そうします。そして、その分の割を食うのは、紹介料を支払う求人側です。

 周知の通り、国民皆保険制度によって、全ての国民が何らかの公的保険に加入しています。そして、それら国民は毎月、勤務先の会社に折半してもらうなどして保険料を支払っています。病院等での医療費はここから支出されますが、高齢化の医療費高騰で保険料だけでは足りず、国と自治体がさらに「公費」を投入しています。もともと雇用流動性が高い市場で、人材ビジネスが生産性を追求すると、求人側の医療機関そしてそこに医療費を支払う国の制度が高コスト化していく。大きなジレンマです。