2017/08/30

マーケティングとは「営業を不要にする活動」である

「営業職みたいなワーカーさん、よくいらっしゃいます(私はキライです)」

 「地域包括ケアシステム」の構築が求められる昨今、医療ソーシャルワーカー(MSW)の役割が注目されています。在院日数の削減、退院支援の強化、医療連携の拡充、在宅療養の支援など地域包括ケアに向けた病院の施策の多くに、MSWが大きく関わっているからです。病院で言ういわゆる“ワーカーさん”は「福祉系三大国家資格(社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士)の一つ」で、医療、福祉、教育、行政の各機関・施設で働いています。「社会福祉の大学等を卒業し、社会福祉士資格を持ち、病院等に雇用された」専門スタッフ、これがMSWです。

 MSWは社会福祉士なので、当然ながら社会福祉の教育訓練を受けています。それを象徴するキーワードこそ「傾聴と受容」です。この対人援助技術の訓練を受けて病院に就職したMSWは、援助を必要とする患者・家族と真摯に向き合って、じっくりとニーズを聴き出し(傾聴)、相手の立場を十分に理解して(受容)、様々な制度を活用しつつ適確かつきめ細かな援助策を提供する。これが本職であり天職だと考えているのに、悲しいかな現実はさにあらず、雇用先の病院からは全く異なった指揮命令が下される。「もっと入院していたい」と訴える患者・家族に「退院支援」(「在院日数」を削減するため)、「この病院が好き」と言ってくれる患者・家族に「転院支援」(そのための「医療連携」)などなど。学校で習ったことと就職先でやらされていることが大きく異なる。こうした不満を抱えるMSWは、結構多いのではないかと思います。

 その一方、病院経営者からの指揮命令に忠実なMSWがいます。傾聴なんて二の次、患者・家族の訴えをワザとスルーして機械的に退院勧奨、合理性もあるのでしょうが「次の病院・施設はココ!」とかなり強引な転院手続き、日々そうした「振り先となる“取引先”」に菓子折持って営業活動、出先では次いでを見つけて新規取引先の開拓営業、退院支援の人数と在院日数を壁に大きく張り紙して部下にハッパをかけ、理事長や事務長の顔が見えれば営業風に低姿勢の手揉みで近づき、ここぞとばかりに「傾聴」、そしてしっかりと自分の「営業成績」をアピール。理事長らは「地域包括ケアが実現できてるね」とご満悦。それどころか“普通のワーカーさん”に「あれを見習いなさい」と言って行く。その「あれ」の行為は、とても社会福祉士と言えるようなものではないのに。

 当エントリのタイトルは『もしドラ(もしも高校野球のマネージャー‥)』でも有名なアメリカの経営学者、ピーター・ドラッカー博士の言葉です。ドラッカーには営業マーケティングの分野でも様々な業績があり、その中で冒頭のような「遺言」を残しています。
 「買って!買って!なんて忙しく営業・販売活動なんかしなくても、顧客が自然に買っていく、取引先が向こうから近づいてくる、そうさせるために内部の組織をどう変えるべきなのか? それを組織全体で考えるのがマーケティング活動である」。MSWは、こうした病院マーケティング活動の中心的役割を期待されている(営業活動そのものではない)のだと考えています。

病院診療実績「仕分け」から考える

「ちょっと前の“民主党の事業仕分け”ですね(失敗したんでしたっけ?)」

A-1 圧迫骨折、A-2 大腿骨頸部骨折、A-3 脳梗塞‥。B-1 糖尿病、B-2 腎不全、B-3 胃がん‥」、そして「C-1 認知症、C-2 肺炎、C-3 インフルエンザ‥。D-1 高血圧、D-2 高脂血症、D-3 褥瘡‥

 これは都市型中規模急性期(約300床)の病院で職員研修を行った際、出席者の皆さんに自院の診療実績仕分けをしていただいた結果です。仕分けの仕方として、以下のごく簡単な指示を出しています。自院のここ2~3年の診療実績から、まず「AとB」として診療報酬点数が比較的「高い」グループ、つまり儲かる、美味しい患者さん(不謹慎で申し訳ありません)を分ける。他方、「CとD」は「低い」グループとして分けます(以下、感想略)。さらに、それぞれを「さいきん増えている or 減っている」で仕分けてもらいます。ということで「AとC」が増加中、「BとD」が減少中です。
 ここでは、とりあえず主要な上位3つだけ挙げていますが、実際は100近く列挙されています。研修では大きめの机に模造紙を広げ、多職種協働のグループワークで、ああでもないこうでもないと議論しながら全ての病名を網羅するよう、作業を指示しています(こういう、多職種のワイガヤが重要なのです)。

 病院経営にとって都合の良い患者は間違いなくA・B群、とりわけA群(点数高く増加中)です。点数が高いのですから(増加中ならなおさら)、色々プロモーション策を講じなければなりません。では「その方法は?」と聞くと、どの病院で聞いても大抵は、ネガティブ方向に発言が向いてしまいます。まず「医師が足りない(整形のドクターは疲労困憊。脳外科医がいない)」から始まり、「看護師が足りない、質が低い(認定看護師が出てこない)」、そして「PT・OTが足りない、質が低い(認定セラピストが出てこない)」、さらには「MSWが足りない、質が低い(医療連携活動に消極的)」。こうしたネガティブ議論の結論は、「病院にカネもコネもない、経営陣の質が低い」。全て「他人のせい」です。
 一方、C・D群については、どうでしょうか。議論の結論から言ってしまうと、「病院は患者を選べない(選んではいけない)、応召義務があるので仕方ない」。全て「政策のせい」です。

 さぁ私としては、ここからが研修の本番です。参加者からのネガティブが出きったところで、こう問いかけます。まず「医師も看護師もPT・OTもMSWも、確かに足りないかもしれないけど、皆さん一応いらっしゃいますよね? いらっしゃる方々の中で、少ないながらも、何か工夫できることはないのですか? 例えば、仕事の仕方を変えるとか、院内連携のあり方を変えるとか、地域連携のあり方を変えるとか‥」、そして「応召義務は、文字通り皆さんの“義務”です。でもそれ“だけ”では経営が持たない。逆に言えば、その義務を果たすために、点数の高い分野(A・B群)では業務効率化が必要だし、点数の低い分野(C・D群)では地域連携が不可欠。そのA・B群ではどんな効率化策が考えられると思いますか?(点数が高いのを良いことに、ムダを放置していませんか?)、同じくC・D群ではどんな連携強化策があると思いますか?(連携は面倒、自分たちで処理したほうが手っ取り早い、とか考えてませんよね?)」。

 毎回のごとく研修会場は、この段階でシーンと静まりかえってしまいます。でも押し黙っているのではなく、医療従事者の皆さんは非常に真面目なので、悶々と頭の中で「色々と方法を」考えて倦ねているのです。講師側としては、この「間(ま)」に耐えつつ、皆さん個々人の中にある「自分のせい」が出てくるのをじっと待たなければなりません。

2017/08/29

経営を取り巻く「ポートフォリオ」

「ポートフォリオって、株とか投資信託のヤツですよね?」

 医学部をはじめ大学教育における「ポートフォリオ」は教育学で語られるものですが(以前のエントリを参照)、経営学ではかねてより、そして今も幅広く使われている概念です(以下4つ)。繰り返しますが言葉の意味は「紙挟み」、皆さんが文書をまとめるとき普通に使う「クリップ」や「クリアファイル」のことです。

 まずは「投資ポートフォリオ」。株でも外貨でも、投資家は一つに全額ぶち込むことなどいたしません。10億円あったら運用は「日本株に25%、米国株に25%、日本国債に25%、土地に25%」といった感じで、リスクの分散を図るのが普通です。このとき、「日本株25%の内容(企業銘柄や価格)やその後の推移(儲け額の実績)を銘柄別などに文書化して一つのクリアファイルに、同じく米国株25%の内容と推移をまとめて一つのクリアファイルに‥」というように、4つの「紙挟み」(ポートフォリオ)で整理して、全体の投資活動を総括する手法、がこれです。

 次に「製品ポートフォリオ」。たとえ老舗の大手メーカーでも、一つのヒット商品だけで長らく収益を維持することなどできません。いずれ消費者に飽きられたり、競合製品に食われたり、事故が発生して法律が変わり生産できなくなったりするリスクがあります。それゆえ「主力製品の売上げが一定の比率を超えたら、あらかじめ決められた数の新製品を投入する」といった感じで、新製品の研究開発にチャレンジするのが普通です。もちろん、新製品も色々あって分野や方向性が異なったりするでしょう。これを「主力」や「新規○○系」、「××系」などグループに分けて文書を整理し、全体の製造・営業・研究開発活動を総括する戦略手法、がこれです。

 そして「雇用ポートフォリオ」。企業の雇用形態は多様化しています。病院同様、スタッフ全員が「正社員(正規職員)」というのはもはや過去の話で、その他にも「契約社員」「派遣社員」「フルタイムのパート(主婦など)」「パートタイムのアルバイト(学生など)」「嘱託社員(定年到達者のパート再雇用)」といった様々な処遇の人たちが働いています。もちろんそれぞれにメリット、デメリットがあります。例えば、正社員は長期安定的だが高コスト、パートは低コストだが不安定、などです。企業は業種のインフラや職種のマーケット事情を勘案し、各雇用形態別に戦略を組み、それぞれの条件や経緯やコストなどをグループに分けて文書を整理し、相互の兼ね合いや雇用構造全体を俯瞰・総括する手法、がこれです。

 最後は、ちょっと視点を変えて「ポートフォリオ労働」。ITエンジニアやコンサルタント、さらにはデザイナーやモデルなどフリーランス志向の専門職は、自分の能力・資格や実例・実績などを分野別にエビデンス付きで文書にまとめ、仕事をマッチングする時に使う「自分自身を売り込むパンフレット」を持っています。これを「ポートフォリオ」と呼び、こうした「パンフ片手に職を転々とする専門職」を「ポートフォリオ労働者」と言います。最近は紙のパンフより、ネット上のポートフォリオサイト(デザイナーやモデルの公式サイトなど)が主流です。

 「神原名医紹介所」が「大門未知子」の華々しい実績をエビデンス付きで分類し、盛々の価格を添えてクリップでまとめ取引先別の営業ツールとして、所長が大きい黒鞄に入れて持ち歩く。それが「ポートフォリオ」。しかし、大門だけではリスキーな(売上が安定しない)ので、「城之内」だけでなく「加地」さらにはもっと若手も入れてリスク分散を図る。これが「ポートフォリオ戦略」です。

2017/08/28

採用配置基準としての「仕事の閾値(しきいち)」

「閾値って、疼痛管理のときのアレですか?」

 「閾値(“しきい・ち” or “いき・ち”)」とは、もともとは生物学や心理学の専門用語で、「生体の感覚に訴え、行動を起こさせる際の、最小量の刺激量」を意味します。「閾」とは「=敷居(しきい)」で「一線を画す」的なもの。「閾値」は医療従事者の皆さんが疼痛管理などで教わる、「閾値が高いと痛みにも我慢できる(低いと痛みを訴える)」など限界値的な“ソレ”のことです。さて今回は、これを人事管理に置き換えてみましょう。未処理の仕事がどんどん積み上がっているのに、それで上司がガンガン指示を出しているのに「そんなのどこ吹く風で、ぜんぜん余裕な感じの仕事環境に無関心な自由人」がいる一方で、依頼や指示のメールが一通来たら直ぐ処理しなければと動き出し、同僚の処理スピードが遅れているとついつい手が出てしまう「仕事の情報がちょっとでも入ってしまうと、それに対応しなきゃ落ち着かない勤勉な組織人」がいらっしゃいます。つまり、「仕事と個人の間にある閾(しきい)の高さ」が人によって全く違うのです。

 この「仕事と個人の閾値」が大きく異なるスタッフを同一職場に入れてしまうと、様々な人事管理のトラブルが発生します。「Aさんは全然動かない、私はいつも彼女の尻ぬぐいばかり!」、「B君は残業も厭わないのに、同期のCは同じ仕事で直ぐ音を上げる‥」などなど同僚同士、上司部下で不平不満のオンパレード。最近では、大企業での過労死自殺が社会問題となり、政府は労働強化を廃し長時間労働を削減する「働き方改革」を進めていますが、もちろん法令違反や人権無視は論外として、閾値が高い人と低い人では、「働き方」への感度や反応が異なって出てきてしまうのです。同じ能力を持ち同じ職場で同じ仕事を同じ程度でしていても、「政策とか関係ない! 目の前に仕事があれば、そうするでしょ」と言う人もいれば、「われわれの職場は完全に異常な状態。誰か労基署に訴えてくれないかな‥」と考える人もいる。働きアリなど下等な生物の「仕事の閾値」は、働く生命体として持続可能なように「疲弊したら閾値が上がり、仕事環境からの情報に反応しなくなって休む(体力回復したら閾値が下がり、働き始める)」のですが、感情と大脳が発達し、恐怖と煩悩にまみれた人間の労働者は、閾値が低いまま働き過ぎて燃え尽きたり、閾値が高いままサボりまくって左遷されたりするわけです。

 人材の採用及び職場への配置を司る人事担当が最も気にかけなければならないのは、職業安定法や労働基準法の遵守は当然として、それ以上の興味関心をもって、採用配置対象となる医療従事者個々人の「仕事の閾値」を可能な限り把握しておくことだと考えています。「理想」的なのは、こんなケースです。まず、仕事の閾値が低い人材を採用し、しっかり働いてもらう。でも、こうした人たちはついつい働き過ぎるので、労働時間は短く、休暇は多く、条件は高く設定する。しっかり働く人ばかりなら何とかこれが可能です。しかし、相対的に高い労働条件を提示すると今度は、高い閾値の目ざとい人材がたくさん応募してくるので、人事担当がさまざまな調査や試験や面接を行ってそれらを排除する。採用配置後も個々人の「敷居の高さ」を常にチェックし、面接で読み間違った、あるいはそれぞれ違いすぎると思ったら人事異動で調整し(なるべく同じ閾値の者を集め)、採用試験の方法そのものを改善していく。厳しい採用環境の中でこれがどこまで出来るか、「チーム医療も多職種協働も閾値管理次第」なのです。

2017/08/26

医学部からの「ポートフォリオ」

「若いドクターなら知ってると思いますが、自分は良く解りません」

 大学教育における「ポートフォリオ」を一言で説明すると、「教育成果の記録をまとめたもの」となります。ノート・プリント・メモ・レポートの内容、実験・研修・試験の結果を、学生一人一人が分野ごとに整理したものです。最後の試験結果はあくまでも「教育成果のごく一部」に過ぎません。その学生の「学び」はいろいろ書き込まれたノートをはじめ、様々な文書の記録の中にあります。かつては、それらを全部まとめようとするとバッサバサの分厚く重い「バインダー」にファイリングするのが普通だったのでエラく大変でしたが、PC性能やWeb環境の向上に伴い、「黒板の板書やノートはスマホで撮ってクラウドに上げて、実験データもファイルにして上げて友達と共有して、後でレポートにまとめてファイル名を‥」など記録や保存が飛躍的に電子データ化し扱いが容易になったので、これらを電子情報として記録する「eポートフォリオ」が2010年頃から急速に普及し始めました。大学医学部における教育現場の変化も、概ねその時期です。なので冒頭の「若いドクターなら知ってる」というのは、「2010年代に大学・大学院教育を受けた」ぐらいの若いドクター、と言えるでしょう。

 「eポートフォリオ」なんて言うと未来的な響きがありますが、早い話、紙のカルテが電カルになったようなものです。ポートフォリオ(portfolio)という英単語の意味は「紙挟み」(「クリアファイル」のようなもの)、まさしく紙カルテです。今の医療現場では、患者の病状観察、与薬経緯、検査結果、指導内容、担当所見などが全て電カルに入っています。正直なところ、病院の電カルは大学のeポートフォリオの上を行っていると思います。ただし、記録をとる対象と使用目的が異なります。電カルは「患者の」、eポートフォリオは「学生の」変化の記録です。例えば今後、病院で「職員の」保有資格、仕事内容、処理速度、ミス頻度、最終成果などの変化が電カルのレベルで記録され、それが人事考課に反映されて、成果主義として人事管理に運用されたとしたら、病院は大学を完全に凌駕するでしょう。病院理事長の皆さん、どうでしょうか? こういうデータの記録分析による人事管理、やってみませんか? 2011年の米コロンビア映画、ブラッドピット主演の『マネーボール』は大リーグの弱小球団を、こうした分析手法で立て直した物語です。このモデルはオークランドアスレチックスのGMビリービーンで、2000年代前半に「セイバーメトリクス」という手法を導入し、年俸の安い若手主体の弱小球団をプレーオフ常連球団へと大躍進させました。

 企業人事においても、「ポートフォリオ」という概念は既に定着しています。例えば、企業が新規事業を立ち上げ、社内でプロジェクトチームを編成しようとする時など、人事は全社員に向け、プロジェクト計画の内容を告示するとともに「各自、ポートフォリオを提出せよ」と指示します。メンバー入りを希望する社員は、自分のポートフォリオに現在の保有能力、キャリア、これまでの実績、アイデアなどエビデンスを揃えて提出し、人事とプロジェクトリーダーが数あるポートフォリオの中から候補者を選び(書類選考)、社内オーディションを経て精鋭揃いのプロジェクトチームが始動する。その起点がポートフォリオとなるのです。

 なお、経営学のポートフォリオについては、こちらをご覧下さい。

人材紹介料支出と国民皆保険制度

「人材ビジネスに、国民のカネがたくさん流れちゃってるんですけどね」

 医療機関の従業者定着率は、他の業界に比べて極端に低くなっています。逆に言えば、雇用の流動性が著しく高いということです。高齢社会を迎え慢性的な人手不足かつ労働条件が過酷で、基準看護など採用配置が組織収益にリンクしており、資格や認定制度が整備されていて職業能力が判断しやすく、さらに労働供給地と需要地が偏在している(いわゆる「西高東低」問題など)ので、労働移動が生じやすい。これだけ低定着率(高流動性)の条件が揃っているのですから、無理もありません。

 さらに、2000年代から急激に進んだ政府の労働市場自由化政策によって、民間の人材紹介会社が雨後の竹の子のように生まれました。ほぼ同時期に、医学部卒業後の医師臨床研修制度が始まり、これによって大学医局の人材斡旋機能が空洞化してしまいました。また、看護など医療系大学学部が急増したもののキャリアセンター(かつての「大学就職部」)の整備が追いつかず、インターネットに頼らざるを得なくなり、医療分野の労働市場はネット情報と若い人材が縦横無尽に動き回る、無秩序な世界になってしまいました。ビジネスの自由化と大学機能の空洞化とインターネットの普及拡大がいっぺんに来たのですから、これまた無理もありません。

 そんな世界で病院など求人側の医療施設は、巷の人材紹介会社に、為す術もなく引っかき回されています。連日の度重なる営業。「医療を良く知らない」営業担当が、台本を覚えたかのような電話を執拗にかけてきます。実際、私からすると、医療の人材紹介も株式の投資信託も土地の賃貸アパート運用も高齢者の健康食品も、全てがほぼ同じ営業スキルに見えます。それでいて紹介手数料は高く、定着は短く、投資分が全く回収されない。紹介料率が年収の30%なら、1000万円の医師の紹介を受けて300万の紹介料を払って、持ち場に就いて仕事を覚えてもらい、やっと戦力になったか(300万分やっとここから回収できるかな)と思ったら「辞めます」。個人的な事情があって辞めるならまだしも、裏でかつての人材紹介会社が手を引いていたりする。紹介料収入は紹介件数に比例するので、一人の医師を何回も転職させれば、人材ビジネスとしての効率は上がる。ポイントは人材の回転率引き上げです。私が営業マンだったら、そうします。そして、その分の割を食うのは、紹介料を支払う求人側です。

 周知の通り、国民皆保険制度によって、全ての国民が何らかの公的保険に加入しています。そして、それら国民は毎月、勤務先の会社に折半してもらうなどして保険料を支払っています。病院等での医療費はここから支出されますが、高齢化の医療費高騰で保険料だけでは足りず、国と自治体がさらに「公費」を投入しています。もともと雇用流動性が高い市場で、人材ビジネスが生産性を追求すると、求人側の医療機関そしてそこに医療費を支払う国の制度が高コスト化していく。大きなジレンマです。

 

2017/08/25

「貸借対照表」の読みかた

「決算書とか全く意味不明なんですけど‥。そろそろ管理職になるんですが、簿記とか勉強しといたほうがいいですか?」

 貸借対照表は、2大「財務諸表」のうちの一つですが(もう一つは損益計算書:こちらを参照)、病院等の経営に関与する立場なら、当然読めたほうが良いに決まっています。ベテランのナースなどで、「経験豊かで部下の人望もあり、“その上さらに”財務諸表も読める」となれば、直ぐさま病院幹部候補の筆頭でしょう。でも「解っちゃいるけど今さら簿記とか無理」。そうですね、簿記3級の勉強とかしなくてもOKです。必要なのは「貸借対照表」の構造を理解すること。資格など不要、「貸借“対照”表とは、何と何を“対照”させた表なのか?」が判っていれば良いのです。

 「対照」させるのは、カネなど「元手」と、医療設備など「装備」の二つです。そして、それぞれの内容つまり「“元手”の出どころ」と「“装備”の使いみち」の確認です。これらがまともであるかどうかを評価するのが貸借対照表なのです。是非、ご自身の病院の貸借対照表を引っ張り出してみて下さい。あなたのように(医療はプロだが会計は)素人な人は必ず、医療事務で会計を担当している若手に声を掛け、ちょっと付き合ってもらって、専門用語を一つ一つ問い正しながらご一緒に、自院の貸借対照表に向き合うよう工夫して下さい。(無知で)恥ずかしいから、(彼らも)忙しそうだからなんて遠慮しないようにすること。医療従事者のプライドをちょっと捨てる。ここが重要です。

 まず、「元手」の「出でころ」は大きく三つあります。一つは理事長やその家族さらには関係の理事らが元々から出していたカネ。これを「資本金」と言います。貸借対照表には右下のほうに記載されています。二つめは、病院のこれまでの儲け分をため込んだカネ。これを「剰余金」と言います。同じく貸借対照表の右下、「資本金」の下辺りに記載されています。三つめは、銀行など金融機関から借りたカネ。これを「借入金(かりいれきん)」と言います。早い話が、病院による借金です。さて、この「出どころ三つ」、どんなバランスが良いと思いますか?(答え)「借金は少ない方が安全安心」、まあ(低金利時代ではありますが)、その通りです。会計担当の若手と一緒に、自院は「どこがどう良いか」話し合ってみて下さい。

 もう一方、「装備」の「使いみち」は色々あります。例えば、上記の「元手」を資本金や借入金など合わせて30億円ぐらい注ぎ込んだとして、その30億円をどんな装備などに使ったか、という用途のチェックです。貸借対照表の左中にある「固定資産」を見ると、病院の建物や設備にどれだけ投資した(使った)かが記載されています。そして、余ったお金は同じく対照表の左上、「現金・預金」として銀行に病院の口座に貯金してとってあります。さらに余裕があれば貸借対照表の左下、「投資その他の資産」として他の病院の買収のために使われたりしています。さて、この「使いみち」、しっかり意味あるモノに使ってますか?(答え)「ちゃんと病院の現在と地域医療の未来のために“使って”れば良い」、はい、その通りです。同じく、会計の若手と一緒に、「何が良かったか」話し合って見て下さい。

「療養上の世話又は診療の補助」の構造と目的

「ナースの仕事ってのは基本、“療養上の世話”なんですよ」

 退院支援の問題からナースの仕事に関するネガティブな話になったとき、あるドクターがボソッと口にした言葉です。保健師助産師看護師法第5条には、ナース(看護師)とは「大臣の免許を受けて(中略)療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者」とあります。「大臣の免許」とは国の許可、「業とする者」は、仕事で労役を提供して賃金や報酬を受け取る者を意味します。さらに言えば、その診療報酬制度上の業務として、①病状の観察、②病状の報告、③身体の清拭など療養上の世話、④診察の介補、⑤与薬など治療の介助及び処置、⑥検温など検査の介助、⑦患者家族に対する療養上の指導、が挙げられています。冒頭のセリフをドクター目線で考えるなら、条文業務の後者「診療(の補助)」は医師の仕事であって看護師の役割はあくまで「その補助」だから、医師の自分がその都度適確に指示を出せばいい。しかし、前者の「療養上の世話」については、ナースが自ら主体的に取り組んでもらわないと困る(のに、診療上のことに口を挟んできてばかりで、自分がまずしなければならないことを疎かにしている)という日頃の思いかと思います。こう言ってしまうと、ナース側からは強い反論がでるかもしれません。

 このとき私が連想したことは、企業営業部のセールスプロモーション担当が担う定型業務「ルーチン・サービス」と「テクニカル・サポート」についてです。前者「ルーチン・サービス」とは、顧客のペースに合わせるべく顧客の日常(ルーチン)に入り込み、サービスをしながら顧客ニーズを色々と探って、自社の取引を拡大させるための業務を言います。例えば、私の大学の教え子に大手ビールメーカーの営業職になった子がいますが、彼女は日々取引先の酒屋さんに伺っては店の掃除を買って出て、その酒屋の地域で花火大会があるとなれば出店を出すのにボランティアをやり、店主との人間関係を堅く構築して、自らの仕事につなげています。そして、後者「テクニカル・サポート」とは、詳しい商品説明や専門的な業務改善についてアドバイスする業務です。同じく彼女はその酒屋店主から「地域向けの新たな販売促進戦略を考えたい」という依頼を受け、エリアマーケティングやシステムエンジニアリングに関する専門知識・ノウハウを本社の専門家に教わったりしながら、店主に向けては店主のレベルに合わせて分かりやすく、販促戦略のイロハをアドバイスしています。この二つの業務が相互にしっかり回せて初めて、その酒屋から自社ビールの発注がたくさん舞い込む(イコール自分の業績が上がる)ようになるという流れです。

 私は、病院のナースもビール会社の教え子も、やっている業務は基本的に同じ構造と目的を有していると考えています。患者あるいは顧客のルーチンをしっかり把握しニーズを確認して初めて、テクニカル(専門的)なケアを効果的に提供することができる。近年、病院において最大の課題となっている退院支援、とりわけ様々な生活不安から入院が長期化している社会的入院など)高齢患者及び家族の退院支援のためには、病棟で日常業務につくナースが「ルーチン・サービス」にどれだけ取り組むか、そこから情報・ニーズをどれだけ引き出して分析し「テクニカル・サポート」につなげるか、にかかっています。しかし、「療養上の世話」となると、少々ニュアンスが異なってくる。このギャップが様々な問題の本質だな、と考え始めています。

チーム医療の「全体最適」

「私は有資格の専門職なので、専門以外のことはやっちゃいけないと思ってます」

 どんな職種でも、専門技術のレベルが向上することは喜ばしいことです。分野を限定して特化し、特定の作業のみに集中すると、情報や経験をより早くより深く蓄積することができます。未熟練の初心者でも、生産ラインの作業を効率的に分割し、一つの作業のみに特化させると、その作業の習熟曲線は短期間で上がっていきます。しかしながら、その作業は全体の中の一部に過ぎないので、工程システム全体の構築がかっちり確立していないと、一部だけの習熟曲線向上など意味を成しません。一部だけかっちりしていても、全体のかたちがグズグズなら、「チーム」仕事での結果が求められているのならなおさら、良好なパフォーマンスは出せないからです。

 冒頭の良く耳にするセリフについて言えば、「有資格の専門職」の仕事で、その仕事全体が完結するなら、それで問題ないかもしれません。例えば、一つの工芸作品を一人の職人が、加工から仕上げまで完全な一貫生産で、責任を持って取り組むような仕事です。それでも、自分一人でやっているように見えて、他に依存している部分は必ずあります。木の角材から、自分一人で削って磨いて絵を描いて人形を作るような職人作業でも、良質な角材を山林から探して切り出し、加工しやすい状態まで乾燥させ、手頃な大きさに切断して納品してくれる素材業者が存在して初めて、職人はその専門技術を発揮することができるのです。一見して「チーム」仕事でないように見えても、そこには裏方のチームメンバーが往々にして存在していて、そのメンバーがいなくなると途端にパフォーマンスが落ちてしまう、というわけです。

 病院をはじめ多くの医療施設で繰り広げられる仕事は、概ね基本的に「チーム」仕事でしょう。「チーム医療」という言葉は、既に広く定着しています。それぞれが専門職として担当している仕事の環境を整備しパフォーマンスを上げていく取り組みは重要ですが、それは「部分最適」に過ぎません。個々の医療従事者に求められる第一の目標は、チーム医療としての「全体最適」です。その全体最適」の引き上げのために必要な(自分からは見えない)仕事について、一時的にでも専門分野を離れ、鳥の眼で全体プロセスを見渡しながらそれが何かを探し、それが特定できたのなら、専門以外のことでも積極的に取り組むべきだと思います。この視点なくして「全体最適」は成しえません。

 とはいえ、例外もあるでしょう。たとえ「有資格の専門職」でも、全体のパフォーマンスの足を引っ張ってしまうほど著しく経験が欠如しているなら、専門技術の習熟曲線が一定程度上がるまで「専門以外のことはやっちゃいけない」(やってる場合じゃない)かもしれません。資格手当は貰っていいが、技術手当や技能手当は貰えないレベルの場合です。そうした若手がああしたことを言うのなら、こういう理屈を説明し、そこそこのレベルになるまで見守ってあげるのも、寛容な先輩としての大事な仕事だと思います。

2017/08/24

WBSで仕事の「分解」

「これ、私の仕事でしょうか?」

 「私は看護師なのに、本来はソーシャルワーカーがやるべき患者家族の相談対応をさせられている(看護の仕事だけでも激務なのに‥)」、「私はケアマネジャーなのに、本来は医療事務がやるべき雑用やヘルパーがやるべき介護までさせられている(ケアマネの‥以下同)」などなど。医療従事者と話していて、頻繁に耳にするセリフです。その背景にあるものとして、そもそも人手が足りず定着も悪い、職務規程があいまいなので仕事の境界がはっきりしていない、職場のコミュニケーションが不足していて仕事相手の状況やニーズが掴めない、などがあげられています。

 「人手」の人数は規定上足りていても、定着が悪く勤続が短いと状況判断が出来る人は限られ、どうしても特定の人に仕事が集まってしまう。政府は「働きかた改革」等で劣化した労働環境を改善すべく残業削減など様々な労働者保護政策を出しているのだけど、当院の幹部はそんなの気にしていないようだ。もう忙しすぎて、このままだと体調を崩してしまう。せめて通勤時間だけでも削れるように、ここは辞めて自宅近くに転職しよう。こうして平均勤続年数がさらに短くなり、問題がさらに悪化して、おきまりの悪循環に陥る。こんなケースに対する自己防衛的な姿勢が、冒頭のセリフのようなかたちで表出しているのだと思います。

 こんなときは経営学の基礎、WBS(ワーク・ブレークダウン・ストラクチャー:作業分割構成)の概念について解説し、それぞれの職場の仕事(ワーク)の「実際の流れ」を確認したあと、各パートの「内容別・専門別の分解(ブレークダウン)」を行ってみてはどうでしょうか。自分たちの仕事の内容を、まるで人ごとのように、「ここからここまではこういう仕事、そこから先はこういう仕事。その間に誰と誰のミーティング、そして全体のカンファレンス」など、仕事を個別に分解する作業です。分解した作業には、それぞれ名前を付けてもらいます。「患者さんのご家族への連絡」などの小さな仕事も、「家族アポ」でも何でも良いので、自分たちが判るような言葉で名前を付け「ワーク(仕事)」として位置づけて下さい。その後、ワークの一つ一つを、あるべき形につなげて並べていく(ストラクチャー)。仕事のパーツを、中学の数学の簡単な方程式のように公式を交えて1行ずつ因数分解したあと、それぞれをドミノ倒しのコマようにつなげて並べていくイメージです。

 すると、それぞれの仕事の「あるべき内容」や「こなすべき順序」、さらには「やるべき担当」と「前後の距離感」が見えてきます。確かに専門分野とはかけ離れているけれど、この流れでそこにいるのだから、その人がやったほうがいい、つまり「立ってる者は親でも使え」的な感覚です。もちろん、「立ってる者」ばかり使うと、その者が疲弊するし不満を募らせるので、全員で話し合って、ギブアンドテイクやお互い様や「労働力の貸し借り」の仕組みを決めて、実際にやってみる。しっくりこなかったら、もう一度作り直す。WBSが、その作業をするのに不可欠な知識となるはずです。